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他者を顧みる

 

そもそもエゴとは自我意識のことでありますが、利己主義とか利己主義な人を指す言葉としても使われています。

この利己主義というのは自分の利益を重視して、他者の利益を顧みない考え方です。

 

なぜエゴは抑圧しなければならないのかと言えば、他者の利益を無視します自我意識としてとらえていたからです。

対人関係におきまして、うまく行かないのはこのエゴが原因だと考えていました。

 

自分勝手な行動に駆り立てるエゴを何とか根絶しなければと、ずっと思っていたのです。

しかし自分の利益について考えますのは、別に悪いことではなくむしろ必要なことのように思われます。

 

個々人がそれぞれ自分を大事に扱いますのは、自己維持の観点からして当然であります。

そして大切なのは、自分を大事にするように他者を大事に扱わなければならないということです。

 

この物質世界は、自己を愛しますように他者を愛しますのを学ぶのに絶好の場所なのです。

 

 

私と個別意識

 

なぜ、大して重要でないことに思い煩うのでしょうか。

内側の意識に焦点を当てて見ましても、そこには煩った痕跡は見当たりませんでした。

私の個別意識が思い煩っていただけでした。元々実態のないものだけに、絶えず恐れを抱かずにはおれない小心者です。

 

いつかは、この個別意識を手放すときが訪れるような気がします。

だからと言って、それはなくなってしまうわけではなく、隅のほうで観察者の役目を果たしているだけだと思われます。

 

それまでは、この自我意識に振り回される生活が続くことになります。

今後も思い悩んだり、恐れおののいたりすることでしょう。

ただ、それと完全に同一化してしまわないよう気をつける必要があります。

 

 

害を与えない選択

 

周りの人や自分自身に有形無形の害を与えていますのは、個別の意識のときだと思います。

車を運転中、ゆっくり前を走っている車にイライラしますのも、無理に横から入って来た車に腹を立てたりしますのも、自分が個別意識の状態にあるときです。

 

もっとも普段の生活では100%近く、この意識で過ごして来ましたから、取り立てて指摘するまでもないのかもしれません。

ただ問題として、この意識があまりに強く作用し過ぎまして個人的な面で、あるいは社会の様々なところでトラブルが発生していますのが現実だという点です。

 

成長初期の段階においては、自己を確立しますために他者というものを識別し分離する必要上、個別意識に頼るほかはなかったのでしょう。

幼少の頃からそのようにして育ち、大人になったわけです。

 

そして今度は再び、自我という枠組みを取っ払って行きまして全体の中の一部に帰るべく、全体の意識を取り戻して行くときを迎えていますように思います。

その手始めとしまして、相手や自分にいかなる害も与えない生き方を、意識して選択するように決めたのです。

 

なるべく個別意識から離れて自他の区別を薄めて行き、一体感を思い出すようにします。

例えば、自然に触れる機会を持ったり、ぼんやりとしてでも地球規模のことを思ったりしてみるのです。