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自己を信頼する

 

自分を信頼しているとは、どういう状態なのでしょうか。

心の底からやり遂げたい望みは、必ず実現できますのを確信しています。

すべての生命とのつながりを自覚していて、あらゆるものを敬い尊びます意思で満たされています。

 

人から何かをしてもらうのを待つのではなく、自分のほうから与えられます何かをいつも考えています。

内から湧き出ます感情を、どのような形で表現できますかに関心を持っています。

 

それにしましても一番身近であるはずの自分自身に対しての信頼を、いとも簡単に忘れ去ってしまいますのは、いったいどうしてなのでしょうか。

自分を信じない生き方を選べば、どのような人生が待ち受けていますかを学んで、そこから再び信頼を手にしますために奮闘せざるを得ない状況を作り上げるのでしょう。

 

これまで確かに信頼心の欠如によって、さまざまな不安や恐れなどを数多く経験して参りました。

それでは、信頼を取り戻し、それを揺るぎないものにして行きますには、どのようにあればいいのでしょうか。

 

ラルフ・ウォルドー・エマソンの「自己信頼」に、次の一節があります。

『自分の考えを信じること、自分にとっての真実は、すべての人にとっての真実だと信じる――それが天才である。

 

心の中で確信していることがあるなら、声に出して語るがよい。

そうすれば、それは普遍的な意味を持つようになるだろう。』

まずは自分が抱く考えを徹底して信じて行く、これが一つの突破口になりそうです。

 

 

内面を意識する

 

自分の内面をどのようにして探求して行けばよろしいのでしょうか。

自分自身の内側に意識を当てますと、あれこれと思考が飛び交っていますのがよくわかります。

 

観察モードを維持していますことで、それらは収まって行き静寂が訪れます。

そこにどれだけの間、留まれますかが試されていますようにも感じます。

 

あまり長くは続かずに、意識は別のほうへといつの間にか移っていましたのを後で気づきます。

恐らくはこういった経過を何度も経まして、ようやく内面を意識しつづけられますようになるのだと思います。

 

ですから、気がついた時にはいつでも内面へと入って行くように心がける必要がありそうです。

黙想の場合にはしばらく内側に焦点を当てられるのですが、以前ほどの時間は保てない状況にあります。

 

なぜだろうかと思いましても、よくわからないのであります。

たとえ少しの間でありましても、幾度も内側に入ってみます以外に方法はいまのところ見当たりません。

 

 

三次元を超える存在

 

自分はこの三次元世界のどこにいると言うのでしょうか。「ここ」にいますことは、間違いないようです。

しかし「ここ」とは、どういうところなのでしょうか。自分が存在している場所と言えるかもしれません。

 

仮に、家の中にいると思っていましても本当は肉眼を通して、ある視点から家の中を眺めているに過ぎないのであります。

肉体は家の中にあるとしましても、同じように自分もそこにいるとは限らないのです。

 

存在していますのは確かですが、物質を超えた私自身は、この三次元ではどこにもいないような気がします。

ですから、物質世界に関しまして、あまり深入りする必要性がないのに気づいていなければならないのです。

 

自分に取りまして、もっとも大事なことは何でしょうか。

人生におきまして常に自分を見失わずに、あらゆる機会を生かして十分に体験しますことではないでしょうか。

 

地上界での出来事に翻弄されず、自由意志による選択権を行使しまして、自分を信頼し主体的に生きて行くことなのです。

 

 

本質に立ち帰る

 

いま自分が認識しております宇宙の成り立ちに関して右往左往します前に、もっと自分自身について承知しておく必要があるように思います。

自分の本質は何かと問いますなら、間違いなく魂だと言えそうです。

 

それが肉体をまといまして、物質世界という造られた枠内で様々な体験をしています。

また魂は愛に基づいたエネルギーだと言われており、魂であります自分はすべてとつながっているのです。

 

それらを踏まえ、確固とした意識状態で在り続けるのがもっとも重要なことです。

よほど気を付けていましても何か不快な出来事や刺激に出会いますと、いとも簡単に揺れ動いてしまうのです。

 

いまの状態がまさしく、それなのです。

もし驚きますような説がその通りだとしますと、これまで事実と受け取っていましたのは仮説であるかもしれない、ただそれだけのことなのです。

 

真実とはあらゆる可能性であるわけですから、特定の考えに固執しますことこそ避けなくてはなりません。

そうかもしれませんし、そうでないかもしれないと受けとめ、物事に中立的な態度で臨みますのが無難と言えそうです。

 

 

霊的存在であること

 

自分という存在が肉体をまとった霊的存在であるのは、何となくわかってまいりました。

この自分が霊的な存在であるとは一体、どういうことなのでしょうか。

 

ある目的を携えて物質世界に降り立ち、そこで必要な体験を積むために一時的に肉体という衣をまとったということでしょうか。

しかし生まれ出た瞬間に、そうした全ての記憶は消されてゼロの状態から人生を歩み始めたわけです。

 

そして、いまようやく本来の自分という存在に目覚め、その目的などを思い出そうとしているのだと思います。

これまでの自分には想像も及ばないほど、遙かに大きな可能性を秘めました本当の自分というものが潜在意識でありました。

 

霊的存在であるとは、大霊から永遠の生命を授かった存在と言えるでしょう。

それに伴い、霊的な成長を限りなく続けて行く存在でもあるのです。

 

 

信頼と感謝の念

 

人生においてあるいは他者に対しての、信頼と感謝に満ちた態度はどのようにして生まれ、身に付けて行けるものでしょうか。

なぜ片時も忘れないほどに信頼できていないのでしょうか。いま自分の置かれています状況を正しく認識していないからでしょう。

 

こうして存在していること自体も奇跡でありますのに、そのことにさえ気づいていないのです。

どうしてでしょうか。人間や自分自身に対する無知、これが最大の問題と言えるかもしれません。

 

どうすれば、自分についてもっと知ることができるのでしょうか。もっと知ろうと欲するのです。

人間とは何でしょうか。自由意志を行使して霊的に成長する存在だと言えるでしょう。

 

なぜ人類は生まれ出たのでしょうか。創造しそれを体験するためだと思われます。

実際、それらを可能にします大いなる力が常に働いているのです。

一瞬たりとも忘れられたり見捨てられたりすることなく、支えられていないときはないのです。

 

いついかなるときも命は脈動し、その生命の息吹が感じられるでしょう。

それがわかれば、どうして信頼と感謝の念が湧いて来ずにいられましょう。

 

 

自分とは何か

 

いずれにしましても、自分というものを探求して行く身であることは自覚しています。

なんとなれば、自分とは何なのかを知らずにいるのは到底できない段階まで認識が深まったからです。

 

限られた範囲内とは言え、創造者としての資質を備えていますことや自分がまいた種は自分が刈り取らなければならないということを真に理解し始めたところなのです。

なぜ人類というものが生まれたのでしょうか。どうして宇宙というものが存在しているのでしょうか。

 

その宇宙は、どのような仕組みになっているのでしょうか。宇宙や人類を何のために、誰が造ったのでしょうか。

これらは自分を知るための手がかりになるような気がするのです。

 

 

霊的無知に気づく

 

これまで自分が知り得なかった死後の世界や霊界についての知識を授かりつつあります。

もっとも以前から漠然と、死んだ後も人は生き続けるのではないかと感じていました。

 

しかし、シルバーバーチの「古代霊は語る」の書を紐解いていきますと、死んでからが本当の意味で生き始めるのだと知ることができたのです。

とても驚くと同時に、長年の疑問が氷解する内容でありますだけに、深い感謝の念がわき起こりました。

 

100年ほど前に英国での家庭交霊会において、50年以上にわたって語り続けていた古代霊がおられたのです。

その語るところによれば地上界が惨憺たる状況なのは、霊的に無知であることが最たる原因だという指摘でありました。

 

霊的真理をまったく理解していませんから、利己主義がはびこり物質欲に支配された人生を送っていました。

死を恐れ必要以上に肉体に固執しすぎるのも、自分の本質を自覚する上での大きな弊害となっていたのです。

 

気づいたからには、少しずつでも霊的な無知から抜け出していかなくてはなりません。