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観察者の視点

 

なぜ自分の思考や行動などを観察することが重要なのでしょうか。

大きな問題としまして、よほど注意していませんと、自分の思考や行動などを、自分そのものと取り違えてしまうことです。

 

そして、それらを生み出しています、主体の自分自身のことをすっかり忘れてしまうからです。

ちょうど自分の肉体が、自分自身であると思い込んでしまうのと、よく似ています。

 

それがどうしていけないのでしょうか。それは、自分の考えや行いなど、そのものに執着してしまうからです。

執着しますと、それを失ったり傷つけられたりすることへの恐れが生まれて来るのです。

それで必死にそれを守ろうとしまして、異常なまでに敵がい心を燃やしてしまうものです。

 

ときには怒りにかられたり、葛藤に巻き込まれたりするのです。

自分の意見やアイデア、手柄などを簡単には手放せなくなって、頑なになってしまうものです。

争いのほとんどは、こうしたことが大きな原因となっているように思います。

 

それに対して、観察する目を養っていきますと、執着する理由がありませんので、はるかに容易に考えを変えることができます。行動を改めていくこともたやすいのです。

いつでも当事者の目線から離れて、第三者の目で物事をとらえられますので、的確な判断を下せるからです。

それに、観察者の視点をもっていますと、自分自身への道を踏み外すことが少なくなって、迷わずに進んで行けます。

 

 

謙虚さを学べるのは娘から

 

謙虚になるためには自分はどうあればいいのか、この機会に考えてみました。

例えば、運転中に方向指示器を出すのがが早いと言われた時、運転していた当事者という立場をはなれて、第三者として聞く姿勢に切り替えていれば、

自分のやったことは確かに早かったと謙虚に受けとめられたのではないかと思います。

 

それで、急に切り替えることはできないので普段から、やったことに対して執着せず、その都度、手放すぐらいに身軽でいることを心がけたいと思うのです。

ところで、物語の主人公と脚本家のことも触れたいと思います。

 

私たち一人一人は、自分の人生の主人公であると同時にその脚本家でもあるということです。

でも、自分の一生なのに脇役で過ごす人もいれば、悲劇の主人公を演じる人もいたりします。

 

いずれも本人は意識していないかもしれませんが、そういう脚本を選んで自ら演じていることに変わりはないのです。

この脚本家になるというのが、観察者の視点で生きるということに通じるのです。

 

よく陥(おちい)りがちなのが、主人公という当事者に成りきってしまって脚本家であることを忘れ、被害者を演じてしまうことです。

私も過去の人生で被害者をずっと演じていた時期がありました。脚本家でもあることを知らせれてやっとそこから脱出できたのです。

脚本家であるとは、自分が知らずに被害者という役を演じていたストーリーを自由に書き変えることです。

 

望まない状況を望む状況へと変えるにはどうすればいいのか?

まずその望まない状況は、自分がもたらしたことを素直に認めることです。その上で、どういう風な状況へと変えたいのかを明らかにすることです。

そして、そうするためには自分はどういうことをしなければならないのかをリストアップします。

 

その後はリストに優先順位を付けて一つずつ手がけていくのです。もちろん先のことはわからないので、融通と余裕をもつことも必要です。

ただし、やると決めたことは確実にやっていくことがポイントだと思います。