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人生の答え

 

いざ心の声に耳を傾けてみようとしましても、なかなかできるものではありません。

しかし内なる声を無視しつづけています限りは、日々を落ち着かない状態のままで過ごすようになります。

 

耳を傾けようともせずに無視してしまいますのは、どうしてなのでしょうか。

自分には何かが欠いていて、それはどこかにあるはずだと思いつづけ、いつも外側に意識が向いていたからです。

 

必要なものはすべて自分に備わっているという事実を、まったく理解していませんでした。

周りのどこかに幸せを追い求めていましたので、ことごとく裏目に出る結果となり、平安にはほど遠いみじめな気持ちを味わうばかりでした。

 

求める方向が間違っていただけでしたのに、自分に対する自信をすっかり失ってしまいました。

人生に対する答えが自分の内面奥深くにあるとは、とても信じられなかったのです。

 

結局、あれこれと知識を探し求めたにもかかわらず、手元に知恵として残るようなものは何一つ見出せず呆然となるのでした。

 

 

真実は自分の中に

 

自分にとっての真実が誰にとりましても真実でありますとは、どのように受け取ればいいのでしょうか。

もちろん、自分は間違った考えをいっさい抱かないと言っているのではないでしょう。

 

自分には真実だと確信しています事柄を語りますことで、それはすべての人々にとっての真実へとなって行くという意味なのでしょうか。

もしも確信している事柄を自分が語らなければ、誰かが語り出してそれがすべての人の真実となるであろうと言うのでしょう。

 

真実は、分け隔てなく誰にでも訪れているものです。

いち早くそれに気づいて自覚した後、意識してその真実を語れます人が発案者となるのだと思います。

 

ラルフ・ウォルドー・エマソンの著書「自己信頼」に次の言葉があります。

おのれのほかに求むることなかれ

自分が感じ思いますことを軽々しく否定しないようにして、真実はつねに自分の中にありますのを忘れないでいることです。

 

 

無知に気づけるか

 

ジェームス・ヴァン・プラグ著の「人生を、もっと幸せに生きるために」に次の一節があります。

私たちは、日々の雑事に追われながら人生を生きていることがあまりに多い。

 

実際に、たくさんの人が「やるべきこと」のリストを作っている。

私たちは、ある心の状態でいることよりも、何かをやること、得ること、作り出すことに没頭している。

 

毎日の習慣ともいうべきものでありまして始終、何かを行い、何かを作り出しますのに余念がありません。

未だ、ある心の状態にいいますのが、どれほど重要でありますかに気づいていないのを知ります。

 

自分の最大の課題であります、自分自身と周りの人々に対して、あるがままに信頼しますのを見失ってばかりいるのです。

心を無条件の信頼で埋め尽くしますのが、これほどの困難さを伴いますのを思い知ります。

 

相も変わらず自分の内面については知ろうともしませんし、何が大切なのか、あきれますほどにわかってはいないのです。

自分が無知でありますのに、それにさえ気づかず無知の状態のままでいます。

 

 

内面に向かう

 

人間というのは元々この地上で、肉体をもった多次元的な存在だと言われています。

その自覚をもつためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは、内なる声に耳を傾ける必要があるということに気づきます。

 

現世に向けていました意識を、内面にあります自分の本質の部分に焦点を当ててみます。

そこは思考のおしゃべりや感情などは一切なくて、静寂と平安があります。

 

こんな身近なところにとても大事な、なくてはならないものが見つかるのです。

ようやく心から安心できる境地にやって来られたという思いになります。

 

これまでの迷いや焦りとかの世俗的な煩悩などとは無縁な存在感に包まれます。

また、ありとあらゆるものが潜在的にあるような感じもします。

 

この場と一体になればいいのにと思うのですが、なれない自分を意識して分離の状態に気づきます。

それと同時に、すべてを委ねる気持ちが徐々に湧き起こりつつあるのもわかります。

 

 

今という瞬間にいる

 

無条件に自分を信頼しますのは、もちろん簡単にすぐできるものではありません。

せいぜいやれますのは、一日に何度か思い出すぐらいであります。

 

信頼をつくり出しますには、何が何でも信頼しつづけるという決心がまず必要でした。

これまで過ぎ去った過去の出来事を繰り返し思いつづけています自分に気づきましても、ほとんど見過ごしていました。

 

しかし、そのようにして今という瞬間にいますことを怠っていたのです。

そもそも信頼を意識しますためには、今というときにいなければできないのです。

 

何かやっていましても心はここにあらずの状態が頻繁にありまして、やり損ねますことも多々ありました。

もしも自分を百パーセント信頼していましたら、一つ一つの行動に細心の注意を払うのは、ごく当たり前になっているはずです。

 

自分を粗末に扱いますのは、自分をまったく信じていないからにほかならないのです。

できるだけ、今この瞬間を意識しますように。

 

 

倫理的に正しい道

 

ジェームス・ヴァン・プラグ著の「人生をもっと幸せに生きるために」には、次のような言葉があります。

すべてにおいて意識的に良い点を見つけるようにすれば、前よりはるかにポジティブな人生を送れるようになる。

 

ネガティブな思いを何とか変えようとしますよりも、いつも良い点を見つけるように努力します方が適切でありました。

そうしますだけで、自ずとネガティブな感情もなくなって行きますように思います。

 

どんな最悪と思われます出来事でありましても根気強く探せば、どこかに一抹の希望が見いだせるように思われるのです。

常に倫理的に正しい道を歩むと、言い換えることができるかもしれません。

また、次の言葉も勇気づけられます。

 

自分の意識レベルを上昇させて、出会うすべての人の中に神を見いだそう。

他の人のハイヤーセルフに気づき、つながることができるようになればなるほど、魂としての本当の彼らを理解できるようになる。

 

何か落ち着かないときというのは、その原因として人との魂レベルでのつながりを見失っている場合があります。

その人の高次の存在に気づくことができましたら、強い絆で結ばれていますのがわかり落ち着きを取り戻したのです。

 

 

ただ望むだけ

 

例えば自分が神秘体験をしますには、それ相応の意識のレベルに達するまで修行をしなければならないと考えていました。

そうしますと当然、修行をしなければならない状況へと招かれて行くことになります。

 

このように何かを得るために前提条件を自分で勝手に作り上げていますので、そこから改めて行かなくてはなりません。

どうしてそのような条件を考えついてしまうのでしょうか。

 

小さい内から、価値のあるものは簡単には手に入らないと教え込まされて来たからです。

勉強ができて成績が優秀でなければ、欲しいものを得る資格はないと言われて育って来たのです。

 

だから今の自分では、いくら欲しくても何も得られはしないと思い込んでしまったのです。

また汗水流して手にしたものにこそ価値があると、ずっと信じて来たのです。

 

それはある意味で真実かもしれませんが、全て価値あるものは簡単に手にできないという誤った考えを抱くようになりました。

このことに気づけましたなら前提条件をいっさい付けずに、ただ望むだけです。

 

 

思いが実現する

 

人生には失敗は付きものだとよく言われており、私もそう思っておりました。

しかし、よく考えてみますと、必ずしも失敗する必要はないことに気づいていなければなりません。

 

もし、どこかで失敗しました場合には、それを周り状況や人のせいにしてはならないです。

成功しなかったということは自分の選択の間違いに気づかせてくれますサインに過ぎず、それだけのことなのです。

 

ですから、うまく行かなかった自分はダメな人間なのだと思う必要は全くなかったのです。

そもそも失敗しなくても目的は果たせるのですから、失敗は付きものという考えこそ改めなければなりません。

 

また、回り道もしたくなければやめればいいですし、やりたければやればいいだけの話です。

どちらを選びましても、いずれ目的地へたどり着くという点においては大差がないのです。

 

一刻も早く着きたければ、いっさい脇目もふらずに進んで行けばいいですし、寄り道をして遊びたければそれもOKなのです。