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死後の様子

 

死後の世界を知れば知るほど、今の人生を無駄にすることなく有意義に過ごしたいという思いが増して来ます。+

臨死体験をされた人たちも死後の世界に触れてから、生き方が劇的に変わりましたと「かいまみた死後の世界」、

「死後の世界が教える、人生はなんのためにあるのか」、立花隆氏の「臨死体験」などの本には書かれています。

 

どの人もそれ以降、死を恐れなくなって愛情深い心で人に接するようになったと言われています。

ですから、地上界で生きて行きますには、誰もが死後の世界についてきちんと理解しておく必要があるように思います。

 

私たち人間は、肉体がすべてではなく、肉体をまとった霊的な存在でありますことを押さえておかなければなりません。

その本体には霊の心がありまして、高度な意識活動はそこで行われていると言われているのです。

 

 

死は新しい門出

 

実に様々な方面で、たくさんの人々が死後について研究されていました。

臨死体験をした人々からの情報を基に、死後の世界を探求されましたレイモンド・A・ムーディ・Jr氏、退行催眠による生と生の間に起こることを研究されたマイケル・ニュートン氏です。

 

また、死と死ぬことについての探求者でありましたエリザベス・キューブラーロス氏、日本の心霊主義運動の先駆者でありました浅野和三郎氏などの方々です。

しかし、こうした人々の業績は最近知ったばかりでありまして、これまで私の視界には入って来ませんでした。

 

生き抜くことに関してのみ興味を持ち、死にまつわる情報には触れぬようにして来ましたので当然でした。

死について考えますのは敗北を意味し、人生を自ら降りるに等しく絶対に認めたくなかったのです。

 

スピリチュアリズム(シルバーバーチの霊訓ほか)に出合ってから、死に対して積極的なとらえ方ができるようになりました。

死は決して恐れたり忌み嫌うものではなくて、新しい人生への門出であるのですから。

 

 

死に対する姿勢

 

過去に死後の世界を知る機会がいくらでもありましたが、なぜ今までわかろうとはしなかったのでしょうか。

死後について書かれた書物が何冊も手元にありましたのに、一度も開いて見ようとしなかったのが不思議でならないのです。

 

何らかの理由か時期尚早ということで、死後について触れる機会が封印されいたのでしょうか。

唯一、マイケル・ニュートンの「死後の世界が教える、人生はなんのためにあるのか」という本を、十数年前に読んだことがあります。

 

しかし、記憶に残るような印象を何も得ませんでしたので、二度と読み返すこともありませんでした。

スピリチュアリズムを知りましてから、改めて読んでみますと、それはとても興味を引く内容でありますのに驚きます。

 

続編の「死後の世界を知ると、人生は深く癒やされる」も読みたい心境になります。

来世だけではなく、退行催眠で明らかにされました、この世で生まれる前に多くの人生があったことにも納得できます。

 

それにしましても前世はともかくも、なぜ今になって来世に関心を持つに至ったのでしょうか。

もちろん年齢的な理由も考えられますが、それだけなのでしょうか。

 

 

地上界での限界

 

常に心に留めておかなければならないのは、自己のほんの一部しか認識できていないということです。

大部分の自己は潜在意識化しており、直接のコンタクトは取れないのです。

 

本来の自己の内、限られた顕在意識でしか自覚できませんので、何を考え何を行うにしましても絶えず限界が伴います。

地上で肉体をまとい、脳に依存する思考活動を続けます以上は避け難いことであったのです。

 

一方、死後の世界ではじめて自分という全存在は目覚め、持てる能力をフルに活用できるようになると言われています。

テレパシーで人と交信しましたり、人々の体験したすべてを自分のものとしましたり、自分の体験を人々に供することができるのです。

 

これらは人間として当たり前の特質であったのです。

以上を踏まえて日常生活を送るようにしますと、どんなに失敗したとしましても落ち込まずにチャレンジできます。

 

 

死後も存続する事実

 

現在において死後の世界を信じない人々が大勢おられますことに不思議な気がします。

以前の自分がそうでありましたように、心霊現象としての数々の「霊界通信」の存在をご存じないからでしょうか。

 

広くその信憑性が認められています、他界した人たちから送られてくるメッセージの内容を読めば、死後も霊魂が存続しますことが一目瞭然ではないかと思うのです。

もし、こうした歴史的に検証されて来ました膨大な証拠を頑なに認めないとするなら、事実に対する偏見と偽りの思想に毒されているのではないかと言わざるを得ません。

 

もっとも数百年後には、スピリチュアリズムが万人の認めるところとなりますのは確実でありましょう。

近い将来、これまで信じ込まれて来ました唯物論や科学万能主義などの誤った考え方を捨てて行くことになりそうです。

また、五感でとらえるものがすべてという物質至上主義の間違いにも多くの人々は気づいて行くことでしょう。

 

 

相手本位の視点

 

「スピリチュアリズム入門」を読んでいまして、地上世界でしか通用しない物事に関わっている場合でないのに気づきました。

例えば、自分の所有物に愛着を持つことよりも、人の思いにもっと関心を持たなくてはならないことです。

 

それで自分が作った新商品を親しい人に食べていただき、それを評価してもらうのでした。

それなりに考えた末の作品だったのですが、あまり良くない評価でした。

それを聞いても不思議とがっかりせず、相手の意見に素直に同意できました。

 

それからもう一つ思ったのは、今から心の中を浄化して行かなくてはならないことです。

死後の世界では思ったことがどんな内容であれ、直ちに周りの人たちに伝わるのです。

 

そのときになってあわてて悔い改めようとしましても、仕方がないのです。

特に自己中心的な動機などは即刻、手放して行かなくてはなりません。

どこまでも相手本位の視点で考えて行き、純粋な気持ちを持ち続けるように努めます。

 

 

思考を観察する

 

地上での生涯を終えました後もなお、人は生き続けるというのはわかってまいりました。

肉体は確かに死ぬ運命にあるのですが、私という存在はもともと不滅であり永遠の霊であったのです。

 

肉体を脱ぎ捨ててから、向かいます死後の世界は人によって全く異なっていると言います。

この人生をどのように生きたかによって、その行き先は地獄のようなところから天国のようなところまであると言われています。

 

物欲など、この世的な欲望をどれだけ制御することができたのか、人々のためにどれほど貢献して来たのかで決まるのです。

その人間に一番ふさわしいところへ行き着くと言うのですから、素晴らしい世界へ行きたければ、それこそ素晴らしい人間になるように努めるだけなのです。

 

いつも何を思い、何を考えているのかがとても重要なのでした。

自分についてでしょうか、それとも人のことに心を砕いているのでしょうか。

その有様がまさに自分という人間を決めていますから、普段から思考にもっと気をつけて観察することです。

 

 

大霊と守護霊

 

地上世界ではなかなか実感しにくいことでありますが、死後の世界においては誰もが万物の創造主との結びつきを顕著に感じられると言います。

霊界の人たちは大霊の愛の恩恵を四六時中、受けているのが痛いほどわかると言うのです。

 

今後、霊的視野を養って行きますには、地上界にあっても同様の大霊の愛を一身に浴びていますことを、意識して感じ取る態度を持ち続けますのがとても重要な気がいたします。

 

そもそもスピリチュアリズムに出合いまして、ようやく確信できましたのが死後の世界と守護霊の存在でありました。

この守護霊に対しまして日頃の導きへの感謝を示すと共に、霊的成長へ向けての協力を自分から要請して行くことの大切さに気づけたところです。