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真実は自分の中に

 

自分にとっての真実が誰にとりましても真実でありますとは、どのように受け取ればいいのでしょうか。

もちろん、自分は間違った考えをいっさい抱かないと言っているのではないでしょう。

 

自分には真実だと確信しています事柄を語りますことで、それはすべての人々にとっての真実へとなって行くという意味なのでしょうか。

もしも確信している事柄を自分が語らなければ、誰かが語り出してそれがすべての人の真実となるであろうと言うのでしょう。

 

真実は、分け隔てなく誰にでも訪れているものです。

いち早くそれに気づいて自覚した後、意識してその真実を語れます人が発案者となるのだと思います。

 

ラルフ・ウォルドー・エマソンの著書「自己信頼」に次の言葉があります。

おのれのほかに求むることなかれ

自分が感じ思いますことを軽々しく否定しないようにして、真実はつねに自分の中にありますのを忘れないでいることです。

 

 

内面を意識する

 

自分の内面をどのようにして探求して行けばよろしいのでしょうか。

自分自身の内側に意識を当てますと、あれこれと思考が飛び交っていますのがよくわかります。

 

観察モードを維持していますことで、それらは収まって行き静寂が訪れます。

そこにどれだけの間、留まれますかが試されていますようにも感じます。

 

あまり長くは続かずに、意識は別のほうへといつの間にか移っていましたのを後で気づきます。

恐らくはこういった経過を何度も経まして、ようやく内面を意識しつづけられますようになるのだと思います。

 

ですから、気がついた時にはいつでも内面へと入って行くように心がける必要がありそうです。

黙想の場合にはしばらく内側に焦点を当てられるのですが、以前ほどの時間は保てない状況にあります。

 

なぜだろうかと思いましても、よくわからないのであります。

たとえ少しの間でありましても、幾度も内側に入ってみます以外に方法はいまのところ見当たりません。

 

 

内面への探求

 

なかなか分離の状態から抜け出せないでいます。

すべての存在とは、そんなにかけ離れてはいないという確証がどうしても得られないのです。

 

いまの自分という意識と魂は一つでありますのに、その実感はまったくなく強く意識しなければ気づくことすらないのです。

必要な情報は外にあるのではなく、すべて自分の内側にあるとよく言われています。

 

いくら書物やネットなどの外側に答えを追い求めましても、内側の空白を満たされますことはありません。

人々の体験談をいくら読みましても参考にはなりますが、自分の血肉となりますものではありません。

 

自らがその場を経験しなければ、どのような叡智も得られないのです。

どうしましたら叡智につながります体験へと入っていけるのでしょうか。

 

そのためのきっかけとなります何かがあるはずです。

「求めよ、さらば与えられん」という言葉が示しますように、どんな些細な願いごとでありましても求めなければ与えられません。

内面への探求へと入って行かなくてはならないところへとやって来ました。

 

 

楽ではない道

 

どのような人生を歩みたいのでしょうか。あるいは、どんな人生であって欲しいと思っているのでしょうか。

順風満帆でありさえすれば良いのでしょうか。魂が望んでいますのは必ずしも、そういうことではないような気がします。

 

荒波をくぐり抜ける体験がなくては、退屈するだけで面白みがありません。

四苦八苦します中で魂は揺さぶられ、全身全霊をかけてぶつかって行く腹を決めるのです。

 

生き抜いて行きますのに困難であればあるほど人生は、より輝いた自分に仕立て上げてくれます。

楽な道かあるいは危険な道かを選ぶ際には、十分注意しなければなりません。

 

目先のことしか眼中にないときは、楽な道ばかりを追い求めています。

努力を要します選択肢には関心が向かないのです。いつもと同じことの繰り返しから逸れたくないのです。

 

望む人生を描きますには、意識して魂の奥底から出て来ます声に耳を傾けなくてはなりません。

自分にとっての最善のシナリオとは、一層の成長を促してくれるものです。

 

 

意識して選択する

 

自分の人生は自分が創るものですから、どのような人生を生きたいのかをしっかりと描く必要があります。

それを怠った場合には望ましくない人生を、無意識に選択していることになります。

 

自分が創造しましたシナリオであるにもかかわらず、人生は思い通りにならないと嘆き悲しんでいるのです。

被害者意識にとらわれましたり、過酷な状況に翻弄されるという事態を招いたりするのです。

 

元々は自分が創り上げました困難や障害でありますのに、まったく気づいていないのです。

自らこしらえ、はまりました落とし穴から抜け出しますには、どうすればいいのでしょうか。

 

日々の生活におきまして、何から何までを意識して選択するようにします。

いつも最善を選ぶように意識していますと、間違った選択をしたときには、すぐにそれを認めることができます。

 

人生は決して自分に敵対するものではなくて、自分の意思が反映されていただけであったことに気づけるのです。

ここに至って、ようやく自分を信頼できる足場ができました。自分を敬い、賞賛し感謝する日も近いように思います。

 

 

プロセスを受け入れる

 

手術の後の傷口と痛みは、日にち薬で癒やされますのを待つのみです。

歩行は相変わらず、ぎこちなく予期していたとはいえ耐えて行く以外にないようです。

 

手術の翌日、症状の経過を見ていただくために来院しました。

傷口は良好で以前のような膨らみもなくなり、まったく問題がないとの先生の言葉を聞きましてホッといたしました。

 

まだしばらくは風呂に入らずシャワーだけにして、また重いものを持たないようにとの注意がありました。

手術の日、信頼をベースに臨みましたことが幸いし、人々への感謝の念が湧いてくるのでした。

 

身体へのダメージや痛みも含めまして、自分の必要なことしか起こらないと解すべきなのでしょう。

信頼に重きを置きます生き方は一日だけに終わらせず、意識的に定着させて行かなくてはなりません。

 

自分の考え方にこだわり、相手に苛立ちを感じてしまいます傾向は未だに拭えないでいます。

後になってそうした態度を取りました自分に気づき、大いに反省するのでした。

 

 

今という瞬間にいる

 

無条件に自分を信頼しますのは、もちろん簡単にすぐできるものではありません。

せいぜいやれますのは、一日に何度か思い出すぐらいであります。

 

信頼をつくり出しますには、何が何でも信頼しつづけるという決心がまず必要でした。

これまで過ぎ去った過去の出来事を繰り返し思いつづけています自分に気づきましても、ほとんど見過ごしていました。

 

しかし、そのようにして今という瞬間にいますことを怠っていたのです。

そもそも信頼を意識しますためには、今というときにいなければできないのです。

 

何かやっていましても心はここにあらずの状態が頻繁にありまして、やり損ねますことも多々ありました。

もしも自分を百パーセント信頼していましたら、一つ一つの行動に細心の注意を払うのは、ごく当たり前になっているはずです。

 

自分を粗末に扱いますのは、自分をまったく信じていないからにほかならないのです。

できるだけ、今この瞬間を意識しますように。

 

 

思考の舵取り

 

これまで人と争ったり事故に出合ったりしましたのは、背後にいます邪(よこしま)な霊が仕向けたり呼び寄せたりしました結果であるかも知れません。

その当時を振り返ってみますと、そうとしか思えないのです。

そのときの争う直前の自分はもう自分でなくなって、別の何者かが乗り移ったかのようでありました。

 

あるいは自分の奥に潜んでいました、邪な部分が全面に踊り出た可能性もあります。

いずれにしましても自分であって自分でない、そういう心境であったのは間違いないようです。

 

その頃は何かしら心も乱れていたようで、それが災いを招いたのだと思います。

今のように地に足を着けた状態を維持していますと、邪な霊につけ込む隙を与えていないのがわかっています。

 

普段から霊主肉従の努力をしていませんと、悪霊たちに引っかかってしまいます。

常に思念の舵取りを意識し、人々の幸せを願う心で満たすことであります。