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霊的成長に専念

 

人間の霊的成長にとって、この地上世界はどのような役割があるのでしょうか。

ある意味では、霊的成長しますのに、これ以上の難しいところはないと言えるほどの場を、人間のために用意されたかのようです。

 

そこで生まれ落ちてから、その大変さや苦しさを味わう中でこそ、魂は磨かれると言われます。

簡単に行かないからこそ知恵を絞り、あらゆる努力を傾けて切り抜けて行こうとするのです。

最後まで決してあきらめずに自分のやれるだけのことを行う、これが大切でありました。

 

成長を妨げるものはことごとく捨て去り、別にどうでもいいものはすべて退けて行かなければなりません。

そして一番大事な霊的成長に専念する日々を確立して、歩んで行きますのが地上人生の唯一の目的でありました。

 

 

何に尽くすか

 

山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」を見ました。

時は幕末の頃、地方の一介の武士の生き様を描いたものでした。

移り変わり行く時代の狭間で、家族をかかえ困窮の中にありながらも、精一杯に生きて行きます。

しかし武士の身として、いざとなれば命を張って藩に尽くすしか、ほかに道はなく、どうしようもなかったこと、それが痛いほど伝わってきました。

 

どういう時代に生まれたかによって、人はどう生きるかは大体決まって来るように思います。

もし戦時中に生まれていれば、嫌でも戦(いくさ)と関わることになり、限られた選択の中で生きて行くことになります。

また今という時代に生まれてきた場合は、もっと幅広い生き方が可能かもしれません。

でも、この時代が要求する範囲の中でしか、選択が出来ないという点では変わりはないと言えます。

 

結局のところ、人はある時ある場所に偶然に生まれてくるのではないようです。

時代や場所、そしておそらく両親をも、あらかじめ決めて生まれてくるのではないでしょうか。

そう考えないと、限定され違った時代時代に人間として生まれてくる意味が見つからないからです。

 

だから、幕末の混乱の時代にあえて武士の家系で生まれ、戦(いくさ)で命を落としたとしても、侍として忠誠を尽くすことに意味があったのではないかと思うのです。

いま、この時この場所で生まれて来たことを信頼し、この時この場所でしかできないこと、やることがあるはずなのです。

いま自分は何に集中し、尽くして行くべきなのかを問い、それに見合ったことだけに専念する、そういうことだと思いました。