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自己を信頼する

 

自分を信頼しているとは、どういう状態なのでしょうか。

心の底からやり遂げたい望みは、必ず実現できますのを確信しています。

すべての生命とのつながりを自覚していて、あらゆるものを敬い尊びます意思で満たされています。

 

人から何かをしてもらうのを待つのではなく、自分のほうから与えられます何かをいつも考えています。

内から湧き出ます感情を、どのような形で表現できますかに関心を持っています。

 

それにしましても一番身近であるはずの自分自身に対しての信頼を、いとも簡単に忘れ去ってしまいますのは、いったいどうしてなのでしょうか。

自分を信じない生き方を選べば、どのような人生が待ち受けていますかを学んで、そこから再び信頼を手にしますために奮闘せざるを得ない状況を作り上げるのでしょう。

 

これまで確かに信頼心の欠如によって、さまざまな不安や恐れなどを数多く経験して参りました。

それでは、信頼を取り戻し、それを揺るぎないものにして行きますには、どのようにあればいいのでしょうか。

 

ラルフ・ウォルドー・エマソンの「自己信頼」に、次の一節があります。

『自分の考えを信じること、自分にとっての真実は、すべての人にとっての真実だと信じる――それが天才である。

 

心の中で確信していることがあるなら、声に出して語るがよい。

そうすれば、それは普遍的な意味を持つようになるだろう。』

まずは自分が抱く考えを徹底して信じて行く、これが一つの突破口になりそうです。

 

 

伝えられること

 

私が世の中に対して伝えられることがあるとしましたら、それは何かと思い巡らせてみました。

しかし敢えてお伝えしますようなものは、何一つ持ち合わせていないのを認めないわけには行きません。

 

一生涯忘れられない記憶に深く刻まれますようなこともなく、幸いと言うべきなのでしょうか。

細かいところまで目をやりますと、それなりの山や谷を乗り越えてきました。

 

これまですべて順調で苦い経験はなかったのかと問われれば、もちろん答えは否であります。

困難な中で学べましたことがいくらかはあったように思います。その困難というのは、自ら招き寄せたような気がいたします。

 

自分から行動を起こしました結果、その難題にぶつかり、それを何とか乗り切れたのです。

もっとも何もしないでも生きています以上、絶えず大小さまざまな波が押し寄せてまいります。

 

何事に対しても受け身でいますのか、それとも機会を見つけて積極的に買って出ますかで、その結果が異なって来ますのは確かであります。

 

 

 

他者を顧みる

 

そもそもエゴとは自我意識のことでありますが、利己主義とか利己主義な人を指す言葉としても使われています。

この利己主義というのは自分の利益を重視して、他者の利益を顧みない考え方です。

 

なぜエゴは抑圧しなければならないのかと言えば、他者の利益を無視します自我意識としてとらえていたからです。

対人関係におきまして、うまく行かないのはこのエゴが原因だと考えていました。

 

自分勝手な行動に駆り立てるエゴを何とか根絶しなければと、ずっと思っていたのです。

しかし自分の利益について考えますのは、別に悪いことではなくむしろ必要なことのように思われます。

 

個々人がそれぞれ自分を大事に扱いますのは、自己維持の観点からして当然であります。

そして大切なのは、自分を大事にするように他者を大事に扱わなければならないということです。

 

この物質世界は、自己を愛しますように他者を愛しますのを学ぶのに絶好の場所なのです。

 

 

限界のある前提

 

以前と比べまして、カチンと来ましたりムキになったりすることがほとんどなくなりました。

自分を含めた全ての人たちに対して、寛大な態度で接する心境になりつつあります。

 

人間として肉体に宿ったからには、限られた知識と限定された視野でもって、しかも制限された脳でしか考えられないのです。

この物質世界での人生は数多くの失敗や誤りを犯して、そこから学び成長して行くように運命づけられているのです。

 

誰一人として、そうした制約から逃れられません。

ですから気に入らないからと言って、人に根を持ちましたり仕返しをしたりしようなどと思わないことです。

 

どのような思い込みや誤解が生じましても冷静に対処できますように自分を引き上げます。

少々のトラブルに遭遇しましても、いっさい動じない強い精神の持ち主でなければなりません。

 

もともと不完全な状態で生まれ落ち、完全さを求めまして成長を続けますのが人間の宿命なのです。

そんな境遇をすべて承知した上で人生に取り組んで行きましたら、無知のままのときよりもずっと楽しめそうです。

 

 

学びと実践

 

スピリチュアリズムの思想について取り上げましても、とても奥が深くて理解しますには相当の年月をかけて学び通さなくてはなりません。

そこで得た知識を実際に実践して行く過程で、はじめて霊的真理への理解の端緒がつかめて来るのです。

 

まず霊的にはまったく無知な状態であることを自覚し、人間および社会が抱える諸問題を霊的な観点でとらえる練習を積んで行かなくてはなりません。

物質欲を満たすことや自己本位の考え方を改めない限り、真の平安と幸せは決して得られないのを率直に受け入れる必要があります。

 

地上人生の目的や死後の世界について知った以上は、知らぬ存ぜぬで、これまでの生き方のままでは済まされなくなりました。

魂が求めます霊的成長に取りましては、喜ばしい状況を迎えたと言えます。

 

 

 

 

二元性の世界

 

この地上世界は、ものの善悪や寒暖、光と闇などの二元性を体験するには絶好の場だと言えます。

それに加えまして、一定範囲内での自由意志が行使できる世界でもあります。

 

否応なく、道理にかなうとはどういうことなのか、光がないとはどういう意味なのかが学べます。

愛と恐れについても骨身にしみるほどに味わうことができます。戦争の悲惨さや平和の有り難みが痛いほど、わかる世界にいます。

 

道を誤ったり間違いや失敗をおかしたりして、悪戦苦闘の日々を過ごすこともあります。

そうした中で、もしいかなる希望も見出し得ないとしましたなら、自暴自棄におちいっても仕方がない面もあります。

 

人間が霊的に成長する上で、これらすべてはどのように役立っていると言うのでしょうか。

死後も生命が存続しますからこそ、どんな困窮にも耐え得る力も湧いて来るように思うのです。

 

 

人間の本質をたどる

 

人類や宇宙を創り上げました創造主、大霊は愛だとも言われ、その分霊であります私たちも愛からできていると言われます。

しかし実際のところ恐怖心は嫌と言うほど味わって来ましたが、真の愛についてはほとんど何もわかっていないのが現状です。

 

ですから人間の本質をどこまでもたどって行きましたら、その愛の一端に迫れるような気がするのです。

一方では、愛というものがいかに尊く素晴らしいものであるかを知るために、対極であります恐れに満ちた体験から多くを学ばなければならなかったのでした。

 

いったい、恐れから何を学んで来たのでしょうか。

避けようとしたり逃げたりしましても無駄だと知り、勇気を出して恐れているものと向き合うことです。

なぜ恐れているのか、その究極の原因を直視することです。

 

決して一人ぼっちではなくて常に見守られており、揺るがずに信頼すること、などが上げられます。

これらを今なお学んでいるところです。

 

経験からの学び

 

魂からの語りかけは感情と思考、経験を通じて絶えずあったのですが、それらに耳を傾けて来なかったのではないかという指摘でした。

確かに気づかないで無視して来ましたのは、全面的に認めます。せっかく経験した内容を、自覚さえしていない場合も多々あったように思います。

 

本気になって経験から学んでいましたら、より高い境地に立って物事に対処できていましたに違いありません。

例えばいま、いろいろな制約の下で生きております。ここからどのようなメッセージをくみ取ればいいのでしょうか。

 

そう簡単には思い通りに事が運ばないというのは、裏を解せばもっと深く考える機会を与えてくれていると思えます。

違った角度からの思考を促すメッセージと受け取れます。あきらめずに、どれだけの強い意志を持って臨んでいるのかを試されているのかもしれません。

 

それでは自分が完璧ではないという体験を通して、学べます点はどんなものがあるでしょうか。

まず、限られた範囲の知識と思考パターンの中で、どのような最大限の成果が得られるかを考えて行けばいいと言えます。

 

次に、その成果を得るためにはどうすればいいのか、持てる知識を総動員しまして実行項目を練り上げます。

そして、その中ですぐ取りかかれるものから順に実践します。もしも成果が得られなかったときには、最初からやり直してみます。

 

以上のように考えてみましただけでも、経験から学べるものは実に多いというのがわかります。