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未知の「本当の自分」

 

この地上での人生の目的が明確になりましてから、日常で遭遇します問題はどれも些細に見えて、どうでも良いように思えるのです。

そうした問題で悩むことはなくなり、しばらくしてから自然に最善の方法へとたどり着いているのです。

 

霊的に成長しますとは、どういう意味なのでしょうか。ひとつでも多く、未だ知らない真実に気づいて行くことでしょう。

例えば、未知の「本当の自分」についてです。いまの自分が知らない、別の自分というものが無数にあるということです。

それらすべてが「本当の自分」という存在の構成要素なのです。

 

死を迎えて肉体の束縛から解放された霊体となって、はじめて本来の自分に目覚めて生きて行けるのです。

地上世界で肉体をまとって生きています限り、本当の自分に出合うことはあり得ないのです。

 

いま認識しております自分とは、「本当の自分」の極々一部分でしかありません。

しかしながら、今生では限られた知性と知識、能力などを最大限に活用してやって行くしか方法はないのです。

 

 

相手本位の視点

 

「スピリチュアリズム入門」を読んでいまして、地上世界でしか通用しない物事に関わっている場合でないのに気づきました。

例えば、自分の所有物に愛着を持つことよりも、人の思いにもっと関心を持たなくてはならないことです。

 

それで自分が作った新商品を親しい人に食べていただき、それを評価してもらうのでした。

それなりに考えた末の作品だったのですが、あまり良くない評価でした。

それを聞いても不思議とがっかりせず、相手の意見に素直に同意できました。

 

それからもう一つ思ったのは、今から心の中を浄化して行かなくてはならないことです。

死後の世界では思ったことがどんな内容であれ、直ちに周りの人たちに伝わるのです。

 

そのときになってあわてて悔い改めようとしましても、仕方がないのです。

特に自己中心的な動機などは即刻、手放して行かなくてはなりません。

どこまでも相手本位の視点で考えて行き、純粋な気持ちを持ち続けるように努めます。

 

 

思考を観察する

 

地上での生涯を終えました後もなお、人は生き続けるというのはわかってまいりました。

肉体は確かに死ぬ運命にあるのですが、私という存在はもともと不滅であり永遠の霊であったのです。

 

肉体を脱ぎ捨ててから、向かいます死後の世界は人によって全く異なっていると言います。

この人生をどのように生きたかによって、その行き先は地獄のようなところから天国のようなところまであると言われています。

 

物欲など、この世的な欲望をどれだけ制御することができたのか、人々のためにどれほど貢献して来たのかで決まるのです。

その人間に一番ふさわしいところへ行き着くと言うのですから、素晴らしい世界へ行きたければ、それこそ素晴らしい人間になるように努めるだけなのです。

 

いつも何を思い、何を考えているのかがとても重要なのでした。

自分についてでしょうか、それとも人のことに心を砕いているのでしょうか。

その有様がまさに自分という人間を決めていますから、普段から思考にもっと気をつけて観察することです。

 

 

目的に沿った生き方

 

自分がそもそも霊的な存在でありますのを、しっかりと理解しておく必要があります。

自分は少なくとも、いずれは朽ちて行きますこの肉体でないことだけは確かです。

肉体は乗り物のようなものであって、用がなくなれば捨てて行くものでしかありません。

 

そうは言いましても、地上世界で生きて行くためにはなくてはならない大事な身体です。

和食主体の食事に心がけて運動を欠かさないなど、身体の健康管理には充分に配慮する必要があります。

 

もう一つの注意点としまして、入って来ます情報についても監視して行かなければなりません。

どうでもいいことにこだわり過ぎまして混乱状態におちいり、自分を見失いますのが常でした。

 

人生の目的がはっきりしました以上は、それ以外のことに構わないようにしなくてはなりません。

限られた時間と労力を無駄にしてはならないのです。

 

 

大霊と守護霊

 

地上世界ではなかなか実感しにくいことでありますが、死後の世界においては誰もが万物の創造主との結びつきを顕著に感じられると言います。

霊界の人たちは大霊の愛の恩恵を四六時中、受けているのが痛いほどわかると言うのです。

 

今後、霊的視野を養って行きますには、地上界にあっても同様の大霊の愛を一身に浴びていますことを、意識して感じ取る態度を持ち続けますのがとても重要な気がいたします。

 

そもそもスピリチュアリズムに出合いまして、ようやく確信できましたのが死後の世界と守護霊の存在でありました。

この守護霊に対しまして日頃の導きへの感謝を示すと共に、霊的成長へ向けての協力を自分から要請して行くことの大切さに気づけたところです。

 

 

生かされ愛されて

 

この地上世界を生きて行きますのに、なぜこれほどまでに過酷極まりないのでありますのか。

それは、死後の本格的な生活への準備を行う場として、最もふさわしいということなのです。

困難な中でこそ飛躍的な学びが得られ、霊的成長が促進されるからだと言います。

 

確かに、この世界が愛を必要としていますのは事実であります。利己主義がはびこっていますからこそ、利他愛が求められています。

そして何よりも気が付いていなければいけないのは、たとえどんな厳しい状況下に置かれましても、自分は生かされ愛されていますことです。

 

それを絶えず意識して、感じ取って行かなければなりません。

どのような間違いを犯したとしましても、決して見捨てられることもないのです。