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プロセスを受け入れる

 

手術の後の傷口と痛みは、日にち薬で癒やされますのを待つのみです。

歩行は相変わらず、ぎこちなく予期していたとはいえ耐えて行く以外にないようです。

 

手術の翌日、症状の経過を見ていただくために来院しました。

傷口は良好で以前のような膨らみもなくなり、まったく問題がないとの先生の言葉を聞きましてホッといたしました。

 

まだしばらくは風呂に入らずシャワーだけにして、また重いものを持たないようにとの注意がありました。

手術の日、信頼をベースに臨みましたことが幸いし、人々への感謝の念が湧いてくるのでした。

 

身体へのダメージや痛みも含めまして、自分の必要なことしか起こらないと解すべきなのでしょう。

信頼に重きを置きます生き方は一日だけに終わらせず、意識的に定着させて行かなくてはなりません。

 

自分の考え方にこだわり、相手に苛立ちを感じてしまいます傾向は未だに拭えないでいます。

後になってそうした態度を取りました自分に気づき、大いに反省するのでした。

 

 

シミュレーション

 

いよいよ手術当日を迎えました。事前に必要なことは済ませて、準備するものも用意しました。

信頼に生きる一日を前にしまして、どのような日にしたいのかを思い巡らせてみます。

 

この瞬間にありますことを、常に心がけています。

全幅の信頼を体験させていただける周りの人々や病院のスタッフの方々に、感謝しつつ笑顔で接しています。

 

生かされています喜びを味わい、いつも愛されていますことに愛でもって応えます。

辺り一面を信頼という言葉から放たれますエネルギーで満たされています。

 

多次元的な存在として、今ここにありますことを意識しています。

身体の全細胞に伝えます。びっくりしなくてもいいですよ、大丈夫ですからと。すべてを信頼して、ただ委ねればいいのです。

 

すべてを受け入れて、それらすべてが自分だと思えればいいですし、無条件の愛と信頼に生きるのです!

 

 

今に焦点を当てる

 

頭には絶えず思考が渦巻いています。改めて、そのようにプログラムされています自分に気づくのです。

日々の雑用に追われて我を忘れていますと、心は過去の記憶の世界に漂いつづけ、この瞬間にいることができない状態になっています。

 

ですから今という時にとどまりますには、意識して今に焦点を当てつづけている必要があるのです。

この瞬間に自分を委ね、ありのままの自分を無条件に受け入れて、今という時を存分に楽しむことなのです。

 

こんなことをしていてはいけないとか、ほかにすべき要件があるのではないかという心配は無用なのです。

このブログを書いている時には、ほかは考えなくてもいいのです。

 

 

エゴを受け入れる

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」から印象的な言葉を紹介します。

 

エゴは私たちの敵ではなく、私たちはそれに打ち勝つ必要はありません。

エゴは物質世界で生き延びるために必要なものです。

 

精神世界の多くの本では、エゴとか自我意識というものを諸悪の根源のように扱われていましたので、私もそのように受け取っておりました。

しかし、そのようなとらえ方が実は成長の妨げになっているとしましたら、今後はどのように考えて行けばいいのでしょうか。

 

自己実現して行く上でエゴは否定されるべきものであって、抑圧すべき対象として教わってきました。

ところが地上界で生きて行く上で、エゴはなくてはならない要素であったのです。

 

自分の中にエゴがありますからこそ、それと対比します本当の自分に向かって行けるのです。

エゴをしっかりと受けとめ、受け入れれば受け入れるほど利己性がなくなって行くというのは、とても納得の行くとらえ方だと思うのです。

 

 

自分が作り上げている

 

一宇氏の著「人生の法則:3000人の前世療法で明らかになった真実」で、最初に次のように語られています。

あなたの人生は、あなたの思い通りになっています。

 

良い悪いは別にして、確かに自分の思い通りになっていましたのは間違いないと言えます。

例えば、人生とはそんなに甘いものではないと思っています限りは、甘くない人生を歩み続ける羽目になります。

 

これはこういうことだと自分で決めつけ思い続けていましたので、そのようなことが現実化してしまっていたのです。

こうした前提条件をすべて破棄して、真っ新な気持ちで取り組んでみますと、スムーズに物事が進んで行きますのに気づきます。

 

本来、中立ないし好ましいことしか起こらないという言葉にも頷けるのです。

無条件に全てを受け入れて認めます段階に行けますように、心を空にして目の前のことに向き合うことを心がけています。

 

 

ユニークな存在

 

相手の意見がどんなに自分の考え方とかけ離れていたとしましても、そうした相違がお互いに理解し合う上での障害にはならないということです。

むしろ、多様な考え方を受け入れて幅広い視野を持つためには好ましい状況と言えます。

 

たとえ突拍子もない発言に聞こえましたり、相容れない主張と思われたりしましても、その人にとってはそれが真実なのです。

受けて来ました教育や置かれた環境などが人によってまちまちなのですから、培って来ました人生観や世界観なども違っていて当然であります

 

それこそ世界の70億人の一人ひとりがユニークな存在と言えるのでないでしょうか。

自分の考えと違っていますことに腹を立てましたり、相手を否定したりしましても何の意味もないことと言えます。

 

意気投合できた人たち同士でさえも、人が違えば主義主張は同じであるはずがないのです。

そこを念頭に置いて他者と付き合って行く必要があります。

 

 

あるがままを受容

 

以前から家庭セールスに来る人たちに、誠実な態度で接するのは難しいところがありました。

今回も無愛想な対応をしまして、後で余りいい気持ちがしませんでした。

 

それから今度は、ごく親しい人とのやり取りのときです。

会話がはずんでいたのですが、つい相手の生活態度に自分の自説を押しつけるような口調で言ってしまいました。

 

この二つの出来事を振り返ってみまして、利他愛の精神をどのように表していけば良かったのかを考えてみました。

取って付けたようなことを言うよりも一番に、相手のありのままを受容することが大事なのだと理解できたのでした。

 

例えば、セールスの人に対しては以下のようなことぐらいは言えたはずなのです。

「寒い中をお疲れ様です。あいにくですが、間に合っていますのでお引き取りください。ご苦労様でした」と。

 

 

誤りを認め許す

 

「どうしてあんな馬鹿なことをしてしまったのか!」と過去の自分を悔やむときがよくありました。

その度に自責の念にかられて、いてもいられなくなってしまうのです。

 

当時は、それなりの指針や目的などがあって行ったのであり、いい加減にしたわけでは決してないと認めるまで、自分を苦しめていました。

それ以降は完全に癒やされたとは言えませんが、脳裏にかすめるくらいで済んでいます。

 

過去のすべての行為を認めて自分自身を許しましたが、一度だけく何度も許さなくては拭えないもののようです。

後悔の念と言うものの、その執拗な影響力の大きさを思い知りました。

 

人生に失敗は付きものであって、その失敗の中に新たな気づきや学びが得られるのだと理解しなければなりません。

過去の誤りを、悔いるのをやめて前向きに受けとめ、これからの糧とする決意が必要でした。