「友愛の精神」タグアーカイブ

学ぶための代償

 

友愛の念で、なぜ人と接しなければならないのでしょうか。一つには、それが理にかなっているからではないかと思います。

どうしてかと言いますと、これまで友愛の念に反した態度でありましたが故に、様々な悩みや苦痛を味わって来たのであります。

災いを招くようなことを自ら行っていたのでした。それを学ぶための代償であったのです。

 

例えば、人間とはどういうものかについて、自分がどんなに考えたとしましても、限られた知識と知性では推し量ることのできない真理があまりに多いのです。

自分自身のことさえも、充分には分かっていないのですから、そのことに気づけただけでも幸いだと言えます。

 

みんなが幸せな社会は、どうしましたら生まれますでしょうか。

自己中心的な生き方をやめて、友愛の精神で他者のために役立とうと生き始めることだと思うのです。

 

 

日々の暮らし方

 

あの世であろうとこの世であろうと結局は、毎日をどのように生きますかが非常に重要だとわかります。

あの世の実態を一端でも知り得た者として、何よりも人の模範となるような生き方をして行かなくてはと思うのです。

 

いい加減な暮らし方をしていては居心地が悪く、とても我慢できるものではありません。

どのような生き方がベストであるかを知りましたからには、それを実践しなくてはいたたまれないのです。

 

一人のときは人の幸せを思い、祈るのを常といたします。人の役立つことが見つかれば見逃さず、丁寧に行います。

人にはいつも友愛の精神で接します。魂の声に従い、その導きに沿った生き方を心がけます。

 

 

 

人に役立てる

 

世界のみんなが分かち合いと友愛の精神で生き始めますには、少なくとも自らが先んじて実践していなければなりません。

難易度の点では断然、自分が行うほうが低いからです。では、どのようにして手がけて行けばよろしいでしょうか。

 

まず何をする場合にも何を考える場合でも、みんなのことを念頭においてやっていますでしょう。

自分はどのようにして役立てられましょうかと、それしか脳裏にないのです。

これは、ある意味では大霊のご意志に沿うことでありまして、大霊になり代わってやらせていただいているとも言えるのではないでしょうか。

 

そう考えますと、人々に役立つ行いにも自然と敬虔な気持ちで臨むことになります。

自分を「大霊に道具として使っていただく」のも、とても有り難いものだとわかってくるのです。

参照の本:シルバーバーチ「古代霊は語る」

 

 

意識して過ごす

 

先日、一人で友愛の精神でもって周りの人たちを念頭におきつつ、その人たちにお役に立つには自分は何ができるだろうかと思い巡らせておりました。

その課程で、二度も役立つチャンスを逃してしまったことに気がつきまして、無念の心境でありました。

 

この友愛の念こそが、利己主義的な傾向を改める上での心強い味方になってくれると思いました。

これを養って行きますには、どうすればいいのでしょうか。

霊界の上層界の人たちから学ぶべきことも多々あるように思います。もっと霊界について詳しく知る必要があります。

 

飛びきりの友愛で全身を満たすというのは難しいとしましても、絶えず意識して過ごすように心がけています。

そして、どうしたら役に立てられるだろうかと問うことも忘れてはなりません。