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自己愛と利他愛

 

自分を愛しますのは、自己中心の発想だと思っていました。

しかし、自分のことしか考えないのは利己的なのかもしれませんが、自己を無条件に愛しますのはそうではないのです。

 

聖書には「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」という言葉があります。

自分を愛していますのが前提として、隣人を愛しなさいと言っているのではないでしょうか。

 

自分さえも愛せない人は、他人を愛せるはずがありません。

自分を愛せない人というのは、他人から注がれています愛にも気づくことはないでしょう。

 

無条件に自己を愛しますのは、他者との関わりにおいてももっとも重要な資質であったのです。

そのためには自分よりも他者を最優先に考えられますほど、自我意識を高めて行かなくてはなりません。

 

どんな状況下でありましても、自己を見捨てず無条件に愛せるまでは、利他愛の精神も生まれて来ないように思われます。

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」を読み始めまして、以上のことに気がついたのです。

 

 

他者を思う

 

普段、いかに自分のことばかり考えていますかを思い知ります。

これまで霊的な事柄に関しまして、いろいろと教わって参りましたが、自己中心的な傾向はそのままであります。

 

利他愛につきまして、自分のものとしますまでに相当の日数がかかりそうです。

個人的な意思を手放して行きますのもずっと先のことになりそうなのです。

 

いま取り組めますのは、他者を思う心を少しずつ育てて行きますしか見当たりません。

相手はいまどんな気持ちでいますのか、およそでも見当が付けられるぐらいになりたいものです。

 

相手の心に焦点を当てます時間が長ければ長いほど、何となくわかって来ますものです。

いかに他者の存在を重んじて行けますかどうか、なのだと思います。

 

自己責任をわきまえつつ、自己に関しますことをことごとく棚に上げられます日は、いつでありましょうか。

 

 

人を思う心

 

自分の気持ちというのは、相手に通じている場合があります。

ある人に少し厳しい言葉を言いました後、すぐに優しい心を取り戻しますと、それはその人にも伝わっていました。

 

この体験から言えますのは、自分の心の有様が特に対人関係では重要な要素となっています。

批判的な態度を一変しますことで、それまでの関係は一挙に好転しますのは明らかです。

 

相手がどうすればできるのかを、一緒になって考えます姿勢も大切でした。

普段から心に余裕がありませんと、そこまで踏み込むのは難しかったでしょう。

 

相手を気遣い、幸多からんことを思う心の余裕です。

自分のことよりも人のためを思う領域が、心の中にどれほど多くありますかです。

 

 

利他の心2

 

死んだ後には必ず、終えたばかりの人生全般を精算するときを迎えると言われています。

その際いちばんに問われます点は、他者にどれほどの愛で接しましたかです。

 

どれだけ高い地位に就いていましたとか、どんなに多くの財産を持っていましたとかは、いっさい問われないのです。

このことから地上界におきまして、何がもっとも大切なのかが明らかであります。

 

他者を思いやり、どんな行為をも許し、無条件に愛しますことほど永遠の価値ある行為はないのです。

自分に関します事柄から離れてただ人を思うだけでも、どれほど利他愛の境地に自己を近づけますでしょうか。

 

身近な家族の中でこそ、まず利己的な行動を慎み相手を思いやる心を育てて行くべきなのです。

他者の利益を重んじます利他の心を揺るぎないものにしますのが、この人生で与えられました最優先の課題と言えます。

 

 

寄り添う生き方

 

他人という存在に対しましての、より深い理解ができますまでは、利他愛の思いが内から自然に浮かび上がって来ますことはないかもしれません。

理解を広げますには、利己性を少しずつ手放して行く努力が欠かせないように思われます。

 

他者に対しての自己の振る舞いがいかに批判的でありますかを観察し、自分を正す重要性に気づかなければなりません。

そして、全くの中立の立場で人と接します課題をクリアして行く必要があります。

 

相手が言っています内容や言葉に左右されないで、その人の気持ちに寄り添う生き方ができますかどうかなのです。

相手の心の声にどれだけ耳を傾けられますか、が問われていると言えます。

 

意識の根源的な部分に焦点を当てるようにして、外見や表面上の出来事にはとらわれないようにします。

他者をより深く理解しますには、相手との本質的なつながりに意識を向けて、一体感をどれほど多次元的にとらえられますかにかかっているように思われます。

 

 

霊的成長の道 2

 

スピリチュアリズムによりますと、人生の目的は魂を成長させることにある、と言われています。

魂の成長と言いましても、それはどのような道なのでしょうか。また、どのようにして歩んで行けばいいのでしょうか。

 

それについて、もっとよく考えて行かなければなりません。霊的成長にふさわしい場所としまして、この地上世界があると言います。

人間が肉体をまとい人生を生きていますのは、ひとえに魂を成長させるためであったのです。

 

しかし、こうした肝心なことを何も知らず、肉体本能や物質欲を満たすことに、うつつを抜かして来ました。

霊的成長の道とは、どのような道なのでしょうか。

 

ひとつには人生の様々な場面において、利他愛を実践して行くことだと言われています。

なぜ、利己愛ではなくて利他愛なのでしょうか。そこがわかっていませんと、実行に移せるものではありません。

 

 

霊訓との出合い

 

十数年以上も前に「シルバーバーチの霊訓」や「霊界からの手記」「輪廻転生」などの本をすでに購入しておりました。

不思議に思いますのは、それらの本をきちんと読み始めましたのがごく最近なのであります。

 

そうした内容を受け入れる用意が、それまでは自分にできていなかったということでしょうか。

何度か手に取っては見ましたものの、いつも読む気になれなかったのを思い出します。

 

霊的な真理と出合いますには時期尚早で、まだ準備が整っていなかったと言えるのでしょう。

いまでは他のどんな分野の本よりも興味津々でありますので、その落差には驚かされます。

 

英国のホームサークルでシルバーバーチがメッセージを語り始めてから百年後に、こうして霊訓に巡り会えたのです。

人生の目的とは霊的に成長する、これに尽きますこと。

 

人は死によって肉体を脱ぎ捨てた後、霊界において本当の生活が始まりますこと。

利他愛の実践などを通して人間は成長し、永遠の旅を続けますことなど、これらを学んでいるところです。

 

 

霊的な生き方

 

霊界の人たちは、地上の私たちが霊的には死んでいるのも同然の生き方をしていると指摘しています。

そして、人間は死んでからはじめて生き始めるようになると言います。

地上人生はつかの間に過ぎず、霊界での人生が永遠に続くものでありますなら、死後の生活が実りあるものとなりますよう生きている間に準備しなければなりません。

 

霊界での暮らしがどんなものでありますかを知りますと、地上がいかに過酷な状況でありますかが理解できます。

霊界では身体の疲れがない、病気がない、お金がいらない、睡眠をとる必要がない、飲食も不要、願ったことはすぐ実現する、行きたい場所へは瞬時に行けるなど、夢みたいな世界です。

 

天国のような生活が死後に待っているとしまして、この地上で霊的に生きますにはどうすればいいのでしょうか。

物欲を手放し、利他愛で生きますよう努力することと言えます。まず、この世的な欲望から距離を置きます。

また、許せない人々も自分と同じ分霊を宿す同胞としまして愛せますように努めます。