「利他愛」タグアーカイブ

寄り添う生き方

 

他人という存在に対しましての、より深い理解ができますまでは、利他愛の思いが内から自然に浮かび上がって来ますことはないかもしれません。

理解を広げますには、利己性を少しずつ手放して行く努力が欠かせないように思われます。

 

他者に対しての自己の振る舞いがいかに批判的でありますかを観察し、自分を正す重要性に気づかなければなりません。

そして、全くの中立の立場で人と接します課題をクリアして行く必要があります。

 

相手が言っています内容や言葉に左右されないで、その人の気持ちに寄り添う生き方ができますかどうかなのです。

相手の心の声にどれだけ耳を傾けられますか、が問われていると言えます。

 

意識の根源的な部分に焦点を当てるようにして、外見や表面上の出来事にはとらわれないようにします。

他者をより深く理解しますには、相手との本質的なつながりに意識を向けて、一体感をどれほど多次元的にとらえられますかにかかっているように思われます。

 

 

霊的成長の道 2

 

スピリチュアリズムによりますと、人生の目的は魂を成長させることにある、と言われています。

魂の成長と言いましても、それはどのような道なのでしょうか。また、どのようにして歩んで行けばいいのでしょうか。

 

それについて、もっとよく考えて行かなければなりません。霊的成長にふさわしい場所としまして、この地上世界があると言います。

人間が肉体をまとい人生を生きていますのは、ひとえに魂を成長させるためであったのです。

 

しかし、こうした肝心なことを何も知らず、肉体本能や物質欲を満たすことに、うつつを抜かして来ました。

霊的成長の道とは、どのような道なのでしょうか。

 

ひとつには人生の様々な場面において、利他愛を実践して行くということです。

なぜ、利己愛ではなくて利他愛なのでしょうか。そこがわかっていませんと、実行に移せるものではありません。

 

 

霊訓との出合い

 

十数年以上も前に「シルバーバーチの霊訓」や「霊界からの手記」「輪廻転生」などの本をすでに購入しておりました。

不思議に思いますのは、それらの本をきちんと読み始めましたのがごく最近なのであります。

 

そうした内容を受け入れる用意が、それまでは自分にできていなかったということでしょうか。

何度か手に取っては見ましたものの、いつも読む気になれなかったのを思い出します。

 

霊的な真理と出合いますには時期尚早で、まだ準備が整っていなかったと言えるのでしょう。

いまでは他のどんな分野の本よりも興味津々でありますので、その落差には驚かされます。

 

英国のホームサークルでシルバーバーチがメッセージを語り始めてから百年後に、こうして霊訓に巡り会えたのです。

人生の目的とは霊的に成長する、これに尽きますこと。

 

人は死によって肉体を脱ぎ捨てた後、霊界において本当の生活が始まりますこと。

利他愛の実践などを通して人間は成長し、永遠の旅を続けますことなど、これらを学んでいるところです。

 

 

霊的な生き方

 

霊界の人たちは、地上の私たちが霊的には死んでいるのも同然の生き方をしていると指摘しています。

そして、人間は死んでからはじめて生き始めるようになると言います。

地上人生はつかの間に過ぎず、霊界での人生が永遠に続くものでありますなら、死後の生活が実りあるものとなりますよう生きている間に準備しなければなりません。

 

霊界での暮らしがどんなものでありますかを知りますと、地上がいかに過酷な状況でありますかが理解できます。

霊界では身体の疲れがない、病気がない、お金がいらない、睡眠をとる必要がない、飲食も不要、願ったことはすぐ実現する、行きたい場所へは瞬時に行けるなど、夢みたいな世界です。

 

天国のような生活が死後に待っているとしまして、この地上で霊的に生きますにはどうすればいいのでしょうか。

物欲を手放し、利他愛で生きますよう努力することと言えます。まず、この世的な欲望から距離を置きます。

また、許せない人々も自分と同じ分霊を宿す同胞としまして愛せますように努めます。

 

 

最高の叡智から学ぶ

 

着実に霊的成長をめざしますには、霊界にいるかのように過ごしますのが一番のようです。

そうするためには霊的知識でしっかりと精神統一して、様々な邪念を排して行かなければなりません。

 

現在、人類が手に入れることのできる最高の叡智と言われます「シルバーバーチの霊訓」を学んでいるところです。

最初の入門偏にあたります「シルバーバーチは語る」から読み進めております。

 

百年ほど前にロンドンの一室で始まりました霊界からのメッセージを、いま紐解いているのです。

数百年後に、そのメッセージが地上の隅々にまで行き渡っていますのを想像しますと、感慨無量の心境となります。

 

どんなに素晴らしい世界が展開していますことでしょう。それを目の当たりにします日が、待ち遠しくてなりません。

自分もその頃には霊界での利他愛の実践もかなり積んで、見通せます視野や思考能力もいまの比ではないと思われます。

 

 

地球家族の一員

 

なぜ、人生においても自分の守備範囲を、ここまでと決めてかかっていたのでしょうか。

所有しているところか、そうでないかで分け、自分のものだけに関心があったからではないでしょうか。

 

所有物という観点から自分の居住地内に限定して、その中においてのみ責任を取ればいいと思っていたのです。

ですから、この範囲以外の場所でゴミが落ちていても知らないで通すことができたのです。

 

すべてを自分事とは思わず、狭い自己に固執している生き方が根強く残っていました。

自分や自分の家族さえ良ければ、それでいいという利己主義に染まっていることを改めて思い知るのです。

 

自分と他人という枠で見るのではなく、みんな家族なのだと思うには、どうすればいいのでしょうか。

特に好きになれない人や自分に反感を持っている人をも、大事な家族の一員だと思えますには、どうしたらいいでしょうか。

 

地球家族と思えるまでは利他愛の実践も難しく、心に巣くっています利己主義もなくならないような気がします。

 

 

思考の舵取り

 

これまで人と争ったり事故に出合ったりしましたのは、背後にいます邪(よこしま)な霊が仕向けたり呼び寄せたりしました結果であるかも知れません。

その当時を振り返ってみますと、そうとしか思えないのです。

そのときの争う直前の自分はもう自分でなくなって、別の何者かが乗り移ったかのようでありました。

 

あるいは自分の奥に潜んでいました、邪な部分が全面に踊り出た可能性もあります。

いずれにしましても自分であって自分でない、そういう心境であったのは間違いないようです。

 

その頃は何かしら心も乱れていたようで、それが災いを招いたのだと思います。

今のように地に足を着けた状態を維持していますと、邪な霊につけ込む隙を与えていないのがわかっています。

 

普段から霊主肉従の努力をしていませんと、悪霊たちに引っかかってしまいます。

常に思念の舵取りを意識し、人々の幸せを願う心で満たすことであります。

 

 

自己のコントロール

 

人生の大半を「自己成長」にこだわり続けて来ましたのは、どうしてなのかがようやくわかり始めました。

すべては「霊的成長」へ至るように、という守護霊の導きであったのです。

 

この人生で本来、歩むべき道にたどり着き、当初の任務を果たせる状況がようやく整ったことになります。

まずこれから取り組むべき課題は、霊主肉従と言われる段階になれますように自己をコントロールしなければなりません。

 

本能の赴くままに行動していましたのを、霊的成長に照らし合わせて行動しますように改めて行くことです。

自己中心的な言動を利他愛に沿ったものに変えて行くということでもあります。

急には難しいですが、徐々にその方向へ進むために意識しているところです。