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無条件の信頼

 

数年前のNHK大河ドラマ「真田丸」の中で、次のように語っていました。

先が読めない時代でありますからこそ、いまを必死に生きるしか道はないのです。

 

この言葉は現代におきましても、十分に通用するのではないでしょうか。

つまり、いつの時代でありましても先を読みますのは困難きわまりない、それが実情と言えましょう。

 

ですから先を案じますよりも、いまやれますことに全力を傾ける、それ以外に進む道はないとわかるのです。

どこまでも自分を信じて、突き進んで行くのみであります。この自分自身を見限ることがあっては決してならないのです。

 

この世で生を受けています限り、何がありましても最後の最後まで自分という存在を信頼しつづけるだけです。

自分を信じ切るという思いに、どういう意味を込めればいいのでしょう。

 

この自分自身の本質の部分を信じて、ありのままを精一杯に生きます。

いまもこうして私を通しまして、脈動しております大いなる存在を感じており、無条件の信頼がそこにはあります。

 

 

望む現実を描く

 

霊界におきましては思考がすぐ現実になるとは、どういう意味なのでしょうか。

思考が現実をつくり出すのは、間違いのないようです。

 

物質界でも同じであるはずですが、霊界と違いますのは現実化しますまでに時間がかかる点でしょう。

思ったことが実現しますことに関しては、この地上界も霊界も変わらないと言えそうです。

 

あの世では望んでいます状況が瞬時に得られるのですから、この世でも望む状況はあきらめさえしなければ必ず得られるはずです。

望みを叶えます上でのポイントは、決してあきらめずにその思いを持続できるかどうかであると言えそうです。

 

ただし、現実となっていないという考えを持っています限り、それが実現してしまいます。

願望を持続させると同時に、現実がそうでありますようにありありと明確に描く必要があります。

 

いま一番の望みが叶いまして、間違いなく私は無条件に自己を信頼する選択をします。

いま私は、あるがままの自分自身を信じ切る選択を生きています。

 

 

三次元を超える存在

 

自分はこの三次元世界のどこにいると言うのでしょうか。「ここ」にいますことは、間違いないようです。

しかし「ここ」とは、どういうところなのでしょうか。自分が存在している場所と言えるかもしれません。

 

仮に、家の中にいると思っていましても本当は肉眼を通して、ある視点から家の中を眺めているに過ぎないのであります。

肉体は家の中にあるとしましても、同じように自分もそこにいるとは限らないのです。

 

存在していますのは確かですが、物質を超えた私自身は、この三次元ではどこにもいないような気がします。

ですから、物質世界に関しまして、あまり深入りする必要性がないのに気づいていなければならないのです。

 

自分に取りまして、もっとも大事なことは何でしょうか。

人生におきまして常に自分を見失わずに、あらゆる機会を生かして十分に体験しますことではないでしょうか。

 

地上界での出来事に翻弄されず、自由意志による選択権を行使しまして、自分を信頼し主体的に生きて行くことなのです。

 

 

プロセスを受け入れる

 

手術の後の傷口と痛みは、日にち薬で癒やされますのを待つのみです。

歩行は相変わらず、ぎこちなく予期していたとはいえ耐えて行く以外にないようです。

 

手術の翌日、症状の経過を見ていただくために来院しました。

傷口は良好で以前のような膨らみもなくなり、まったく問題がないとの先生の言葉を聞きましてホッといたしました。

 

まだしばらくは風呂に入らずシャワーだけにして、また重いものを持たないようにとの注意がありました。

手術の日、信頼をベースに臨みましたことが幸いし、人々への感謝の念が湧いてくるのでした。

 

身体へのダメージや痛みも含めまして、自分の必要なことしか起こらないと解すべきなのでしょう。

信頼に重きを置きます生き方は一日だけに終わらせず、意識的に定着させて行かなくてはなりません。

 

自分の考え方にこだわり、相手に苛立ちを感じてしまいます傾向は未だに拭えないでいます。

後になってそうした態度を取りました自分に気づき、大いに反省するのでした。

 

 

鼠径ヘルニア 3

 

手術が終わりました。信頼し委ねる気持ちでおりましたので、実際に始まりますまでゆったりと待つことができました。

病院の先生方、スタッフの方々はとても親切に応対していただきまして感謝しています。

 

全身麻酔しましたお陰で、手術は難なく通り過ぎて行きました。

その間のことは覚えていませんが、気がついたときには終わっていました。

 

それまで断続的に意識が戻り始めていましたのを、途切れがちな印象として残っています。

回復室に運ばれましてもまだ麻酔が効いていますのか、傷口の痛みはまったくありませんので安心しました。

 

その後の数時間を眠ったり付き添いの家内に話しかけたりしまして、通常の状態を取り戻して行きました。

外はあいにくの雨模様で低めの気温の中で、無事に日帰り手術を終えまして、おぼつかない足取りで帰宅いたしました。

 

前日の昼食以来ですので、格別お昼の食事が美味しく感じられました。

明日からの仕事に備えまして、残されました時間を横になってゆっくりと過ごしました。

 

痛み止め薬をいただきましたが、帰りの道中で服用しましただけで、それ以降は下半身に力が入りますときに痛むぐらいで済んでおります。

 

 

シミュレーション

 

いよいよ手術当日を迎えました。事前に必要なことは済ませて、準備するものも用意しました。

信頼に生きる一日を前にしまして、どのような日にしたいのかを思い巡らせてみます。

 

この瞬間にありますことを、常に心がけています。

全幅の信頼を体験させていただける周りの人々や病院のスタッフの方々に、感謝しつつ笑顔で接しています。

 

生かされています喜びを味わい、いつも愛されていますことに愛でもって応えます。

辺り一面を信頼という言葉から放たれますエネルギーで満たされています。

 

多次元的な存在として、今ここにありますことを意識しています。

身体の全細胞に伝えます。びっくりしなくてもいいですよ、大丈夫ですからと。すべてを信頼して、ただ委ねればいいのです。

 

すべてを受け入れて、それらすべてが自分だと思えればいいですし、無条件の愛と信頼に生きるのです!

 

 

鼠径ヘルニア 2

 

私が鼠径ヘルニアに見舞われましたのは、いかに「信頼を生きる」のか、その試金石として与えられたものではないかと思っています。

日帰りの手術による治療に賭けてみる決断をしました自分を、どれだけ信じ切れますことかが試されているのです。

 

それはまた医療に対しましても、どれほどの信頼を寄せられますかどうかでもあります。

もちろん、手術に伴います合併症などのリスクのありますこと、その説明は伺っています。

 

それらを承知の上で決定したのであります。しかしながら治療の当日までに何がありますか、それはわかりません。

体調をくずしましたり予期せぬ事態に見舞われたりしまして、予定は中止になるかもしれません。

 

いずれにしましても、自分が致しました選択を尊重するほかに道はありません。

私を信頼しますことは、私を生かしています大いなる存在を信頼することでもあります。

 

ですから、どのような展開になりましても、ありのままを無条件に受け入れます心の準備はと問われれば、万端と言えるのです。

 

 

あるがままの自分

 

ありのままの自分を信頼して、そのすべてを受け入れますことが何よりも大切でした。

そのためには、まずありのままの自分を意識していなければなりません。

 

今まさに考えています事柄や、行っています内容そのものに注意が向くことになります。

たとえばヘルニア手術を気にかけていたり、雑用にダラダラと時間をかけていたりしている自分に意識が行きます。

 

きっと適切な処置をしてくれますから、治療に関してはお医者さんを信頼して任そうじゃないかと元気づけられます。

また雑用は適当なところを見計らって終わらせようと、声をかけることもできます。

 

このように自分を第三者の視点で見られますので、そのときどきに迷路に入ってしまう自分を即座に救出できます。

今という瞬間にとどまり、あるがままの自分を信頼して受け入れますだけで、自らを脇道から正道へと導けるのです。