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二元性の世界

 

この地上世界は、ものの善悪や寒暖、光と闇などの二元性を体験するには絶好の場だと言えます。

それに加えまして、一定範囲内での自由意志が行使できる世界でもあります。

 

否応なく、道理にかなうとはどういうことなのか、光がないとはどういう意味なのかが学べます。

愛と恐れについても骨身にしみるほどに味わうことができます。戦争の悲惨さや平和の有り難みが痛いほど、わかる世界にいます。

 

道を誤ったり間違いや失敗をおかしたりして、悪戦苦闘の日々を過ごすこともあります。

そうした中で、もしいかなる希望も見出し得ないとしましたなら、自暴自棄におちいっても仕方がない面もあります。

 

人間が霊的に成長する上で、これらすべてはどのように役立っていると言うのでしょうか。

死後も生命が存続しますからこそ、どんな困窮にも耐え得る力も湧いて来るように思うのです。

 

 

信頼と感謝の念

 

人生においてあるいは他者に対しての、信頼と感謝に満ちた態度はどのようにして生まれ、身に付けて行けるものでしょうか。

なぜ片時も忘れないほどに信頼できていないのでしょうか。いま自分の置かれています状況を正しく認識していないからでしょう。

 

こうして存在していること自体も奇跡でありますのに、そのことにさえ気づいていないのです。

どうしてでしょうか。人間や自分自身に対する無知、これが最大の問題と言えるかもしれません。

 

どうすれば、自分についてもっと知ることができるのでしょうか。もっと知ろうと欲するのです。

人間とは何でしょうか。自由意志を行使して霊的に成長する存在だと言えるでしょう。

 

なぜ人類は生まれ出たのでしょうか。創造しそれを体験するためだと思われます。

実際、それらを可能にします大いなる力が常に働いているのです。

一瞬たりとも忘れられたり見捨てられたりすることなく、支えられていないときはないのです。

 

いついかなるときも命は脈動し、その生命の息吹が感じられるでしょう。

それがわかれば、どうして信頼と感謝の念が湧いて来ずにいられましょう。

 

 

人間の本質をたどる

 

人類や宇宙を創り上げました創造主、大霊は愛だとも言われ、その分霊であります私たちも愛からできていると言われます。

しかし実際のところ恐怖心は嫌と言うほど味わって来ましたが、真の愛についてはほとんど何もわかっていないのが現状です。

 

ですから人間の本質をどこまでもたどって行きましたら、その愛の一端に迫れるような気がするのです。

一方では、愛というものがいかに尊く素晴らしいものであるかを知るために、対極であります恐れに満ちた体験から多くを学ばなければならなかったのでした。

 

いったい、恐れから何を学んで来たのでしょうか。

避けようとしたり逃げたりしましても無駄だと知り、勇気を出して恐れているものと向き合うことです。

なぜ恐れているのか、その究極の原因を直視することです。

 

決して一人ぼっちではなくて常に見守られており、揺るがずに信頼すること、などが上げられます。

これらを今なお学んでいるところです。

 

経験からの学び

 

魂からの語りかけは感情と思考、経験を通じて絶えずあったのですが、それらに耳を傾けて来なかったのではないかという指摘でした。

確かに気づかないで無視して来ましたのは、全面的に認めます。せっかく経験した内容を、自覚さえしていない場合も多々あったように思います。

 

本気になって経験から学んでいましたら、より高い境地に立って物事に対処できていましたに違いありません。

例えばいま、いろいろな制約の下で生きております。ここからどのようなメッセージをくみ取ればいいのでしょうか。

 

そう簡単には思い通りに事が運ばないというのは、裏を解せばもっと深く考える機会を与えてくれていると思えます。

違った角度からの思考を促すメッセージと受け取れます。あきらめずに、どれだけの強い意志を持って臨んでいるのかを試されているのかもしれません。

 

それでは自分が完璧ではないという体験を通して、学べます点はどんなものがあるでしょうか。

まず、限られた範囲の知識と思考パターンの中で、どのような最大限の成果が得られるかを考えて行けばいいと言えます。

 

次に、その成果を得るためにはどうすればいいのか、持てる知識を総動員しまして実行項目を練り上げます。

そして、その中ですぐ取りかかれるものから順に実践します。もしも成果が得られなかったときには、最初からやり直してみます。

 

以上のように考えてみましただけでも、経験から学べるものは実に多いというのがわかります。

 

 

体験的に知る

 

なぜ、創造のプロセスが始まったのかを想像してみました。ありとあらゆるものは元々一つの存在でありました。

あるとき、その存在は自分が全てであって完璧であることを知っていましたが、それが一体どういうことなのかを体験的にも知りたいと思ったのです。

 

そして、それを体験したくてたまらなくなりました。体験するためにはどうすればいいのかを考え、乗り物であります肉体と、それを統御し観察する分身(魂)が必要であることに気づいたのです。

そこで、体験したいという思いを徐々に大きく膨らませ、ついには大爆発を起こして一つだったものから、たくさんの微少な部分が生まれたのです。

 

「神智学大要」によりますと、大筋として超微粒子を束ねて基本となります構造物を作り上げましてから、それらをいくつか集めて物質の構成単位となる原子の基を作りました。

また違った角度から「神との対話」では、自分が光であることを知っている小さな魂がそこから離れ、闇の世界に入って光を体験として知る話があります。

 

もう一つの体験としては、許すというテーマで述べられています。なぜこの世に悪がはびこり、許せない状況があるのか、それを解きます意味深長な内容であります。

 

(※注)その後、信頼できる筋から、「神との対話」シリーズのチャネリング情報は、霊界の低級霊による悪戯によるものとの指摘を得ました。

 

思い出せばいい

 

この人生での体験というものは、それこそ無限に広がる様々な体験の一つに過ぎないということです。

だからといって、いい加減に人生をやり過ごすのは愚かなことです。

ただ、どんな体験であれ、それに執着し過ぎないように注意しなければなりません。

 

太田龍、デーヴィッド・アイク両著の「2人だけが知っている世界の秘密」を読んでいます。

第5章のレプティリアンの精神的監獄から抜け出す方法のなかで、「私たちは人間ではなくて、無限の認識であってすべての可能性」であると述べられています。

 

人間として体験していますけれども、本来は認識する存在そのものが自分なのであります。

すべての可能性であり、全知の存在であるのをただ思い出すだけで充分であって、新たに学んで完全無欠になる必要はないと言われます。

この言葉には、とても響くものがあります。

 

それでは、忘れてしまったのを思い出しますには、どうすればいいのでしょうか。

そこがいちばん大事なように思われます。

思い出すための、きっかけとなるような言葉やイメージを見つけ出せば、何かを思い出せるのではないかと思っています。

 

 

体験から学ぶ

 

いわゆる闇に対しまして、どのように対処していけばいいのでしょうか。

光だけを受け入れて闇には断固として拒絶すれば、それですむのでしょうか。なぜ闇と称せられるものが存在するのでしょうか。

 

この世の中に無駄なものは何ひとつないと考えますと、闇にも何か重要な役割がありますように思われます。

諸々の誘惑に負けましたり退廃的な行動に走ってしまったりしますのも、その根となる怠惰な性質が自分の内にもあったからです。

そのことに気づけましたのも、引き金となります魔の力に出会ったからです。

 

これではいけないと思って強くあろうと努力し、自分の身を立て直す方向に行かせるきっかけを与えてくれたのです。

あるいは、そのままズルズルと深みにはまってしまって、頭をガツンとやられるまで気づかない場合もあります。

いずれにしましても、学びがそこに生まれるわけです。

 

闇と呼ばれますものの中には、様々な試練を人間に与えますことで、向上しようという意欲を呼び覚ます役目になっています。

それに関連しまして、下降があってはじめて上昇が生まれるという構図もあります。

 

成長しますには、それを阻む要因を必要とするのです。不幸な体験を経ましたからこそ、幸福の有り難みを実感できるのと同じです。

夜の明けない朝はないと言われますように、仮にどんな逆境に見舞われましても、いつかは去って行くものであって耐える力を養うときであります。

 

 

かけがえのなさ

 

今朝、気づいたのですが、車を運転中に愛を意識していますだけでも十分に、周りを配慮した慎重な運転をやっておりました。

向こうから車がこちらに迫って来ますとき、そのものの脈動感が伝わってきまして思わず身震いしましたのは、自分の本質も愛であるからでありましょう。

 

さらに思い至りましたのは、普段の日常生活におきましてこそ、常に愛を意識しますことの大切さでありました。

そうした気持ちを持っていますと、何もやっていないときに時々感じていました、言い知れぬ寂しさとか孤独感からも解き放たれるのを知りました。

 

不足とか欠乏感が生じて来ないのにも気づき、愛という偉大な力のその一端に触れたように思われまして、感謝の念に打たれました。

どうしてこんなに大事な心がけを、いつの間にか忘れてしまったのでしょうか。

 

一時的にせよ、忘れる必要があったからなのでしょうか。そうとしか、思い当たらないのです。

なぜ、忘れなければならなかったのでしょうか。先ほど感じましたような愛の偉大さ、かけがえのなさを実体験で学んで知る上で忘却は不可欠だったのでしょう。

 

自分はもう、そのことを十分に知り尽くしましたと、天に向かって断言できればいいのですが、まだまだ言える状況ではありません。

自分が学びの途上にありますのをここで再認識し、もっと学び取ります決意を新たにするのでした。