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内面を意識する

 

自分の内面をどのようにして探求して行けばよろしいのでしょうか。

自分自身の内側に意識を当てますと、あれこれと思考が飛び交っていますのがよくわかります。

 

観察モードを維持していますことで、それらは収まって行き静寂が訪れます。

そこにどれだけの間、留まれますかが試されていますようにも感じます。

 

あまり長くは続かずに、意識は別のほうへといつの間にか移っていましたのを後で気づきます。

恐らくはこういった経過を何度も経まして、ようやく内面を意識しつづけられますようになるのだと思います。

 

ですから、気がついた時にはいつでも内面へと入って行くように心がける必要がありそうです。

黙想の場合にはしばらく内側に焦点を当てられるのですが、以前ほどの時間は保てない状況にあります。

 

なぜだろうかと思いましても、よくわからないのであります。

たとえ少しの間でありましても、幾度も内側に入ってみます以外に方法はいまのところ見当たりません。

 

 

望む現実を描く

 

霊界におきましては思考がすぐ現実になるとは、どういう意味なのでしょうか。

思考が現実をつくり出すのは、間違いのないようです。

 

物質界でも同じであるはずですが、霊界と違いますのは現実化しますまでに時間がかかる点でしょう。

思ったことが実現しますことに関しては、この地上界も霊界も変わらないと言えそうです。

 

あの世では望んでいます状況が瞬時に得られるのですから、この世でも望む状況はあきらめさえしなければ必ず得られるはずです。

望みを叶えます上でのポイントは、決してあきらめずにその思いを持続できるかどうかであると言えそうです。

 

ただし、現実となっていないという考えを持っています限り、それが実現してしまいます。

願望を持続させると同時に、現実がそうでありますようにありありと明確に描く必要があります。

 

いま一番の望みが叶いまして、間違いなく私は無条件に自己を信頼する選択をします。

いま私は、あるがままの自分自身を信じ切る選択を生きています。

 

 

やれる範囲内で

 

もっとも成長を遂げました段階にいますのがいまの自分なのですが、何とも心もとない心境におちいってしまいがちです。

例えば、いま感じています大切なことを書こうとしましても、なかなか言葉が浮かんで来ないのです。

 

着実に進化の道を歩んでいるのでしょうか、という不安がよぎって来ます。

しかし、この「着実に」というのが、ある意味でくせ者かもしれません。

 

人生は一直線に進んでは行かないのは、少し考えてみればわかりそうなものです。

実際、人生は紆余曲折の連続でありますのが実情なのです。

 

あの世はもちろんのこと、この世でさえも、わからないことだらけなのですから、手探りで進みますしかありません。

いくら頑張ったとしましても、いまの自分がやれます範囲内のことしかできないという気づきに至ってようやく落ち着くのです。

 

 

霊的成長に専念

 

人間の霊的成長にとって、この地上世界はどのような役割があるのでしょうか。

ある意味では、霊的成長しますのに、これ以上の難しいところはないと言えるほどの場を、人間のために用意されたかのようです。

 

そこで生まれ落ちてから、その大変さや苦しさを味わう中でこそ、魂は磨かれると言われます。

簡単に行かないからこそ知恵を絞り、あらゆる努力を傾けて切り抜けて行こうとするのです。

最後まで決してあきらめずに自分のやれるだけのことを行う、これが大切でありました。

 

成長を妨げるものはことごとく捨て去り、別にどうでもいいものはすべて退けて行かなければなりません。

そして一番大事な霊的成長に専念する日々を確立して、歩んで行きますのが地上人生の唯一の目的でありました。

 

 

あるがままを受容

 

以前から家庭セールスに来る人たちに、誠実な態度で接するのは難しいところがありました。

今回も無愛想な対応をしまして、後で余りいい気持ちがしませんでした。

 

それから今度は、ごく親しい人とのやり取りのときです。

会話がはずんでいたのですが、つい相手の生活態度に自分の自説を押しつけるような口調で言ってしまいました。

 

この二つの出来事を振り返ってみまして、利他愛の精神をどのように表していけば良かったのかを考えてみました。

取って付けたようなことを言うよりも一番に、相手のありのままを受容することが大事なのだと理解できたのでした。

 

例えば、セールスの人に対しては以下のようなことぐらいは言えたはずなのです。

「寒い中をお疲れ様です。あいにくですが、間に合っていますのでお引き取りください。ご苦労様でした」と。

 

 

毎日、実践の場

 

自分に対して、こんな疑問が湧きました。唯一の霊的成長をめざして実践しているでしょうか。

それで霊的成長とは何なのかを、改めて考えるようになりました。正直なところ、まだまだわかっていないのが実情であります。

 

それでも一つだけ浮かんで来ました。実践しますことで確実に霊的な成長につながりますのが、利他愛という行為です。

しかし知っているだけでは、どうしょうもないのにも気づきます。これをどのように実践して行きますかが、いまの課題でありました。

 

利他愛を生かせます場をまず見つけます、そう意図することから始まるのだと知るのです。

自分は何も求めずに相手に与えることだけを求めますが、そのように行うと意図するのは、何もしないときよりも違って来るのは確かだと思います。

 

また人と一緒でなくても、自分一人のときでもできます何かがあるはずです。

例えば、出会った人を思い浮かべて、その人が一層の幸せを喜んでいます姿を思い描き、祝福のメッセージを送れます。

 

 

私と個別意識

 

なぜ、大して重要でないことに思い煩うのでしょうか。

内側の意識に焦点を当てて見ましても、そこには煩った痕跡は見当たりませんでした。

私の個別意識が思い煩っていただけでした。元々実態のないものだけに、絶えず恐れを抱かずにはおれない小心者です。

 

いつかは、この個別意識を手放すときが訪れるような気がします。

だからと言って、それはなくなってしまうわけではなく、隅のほうで観察者の役目を果たしているだけだと思われます。

 

それまでは、この自我意識に振り回される生活が続くことになります。

今後も思い悩んだり、恐れおののいたりすることでしょう。

ただ、それと完全に同一化してしまわないよう気をつける必要があります。

 

 

信頼というパワー

 

大切なことは、もっと宇宙を信じ、自分自身を信じて行くことなのです。どこまでもまっすぐに伸びている道があります。

信頼する心が導いてくれます。信頼から大きなパワーが得られます。自分を生かしています宇宙の力は完璧です。

 

いま手にしています結果は最良のものであり、今後得るであろう結果も最善のものなのです。

だから迷わず、目の前のことに自分のベストを尽くせばいいのです。

 

また、優しさと思いやる心を持ち続ける重要性は、想像している以上に大きいことが伝わって来ます。

ほとんどの人たちは様々な制約によって雁字搦めに成りながらも、それでも生き抜いて行こうとしているのです。

人々の幸せを祈らずにはおられません。宇宙の心は、どの人をも慈しみ等しく愛情を注がれているのです。