「もしここが天国だったら?」タグアーカイブ

エゴを受け入れる

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」から印象的な言葉を紹介します。

 

エゴは私たちの敵ではなく、私たちはそれに打ち勝つ必要はありません。

エゴは物質世界で生き延びるために必要なものです。

 

精神世界の多くの本では、エゴとか自我意識というものを諸悪の根源のように扱われていましたので、私もそのように受け取っておりました。

しかし、そのようなとらえ方が実は成長の妨げになっているとしましたら、今後はどのように考えて行けばいいのでしょうか。

 

自己実現して行く上でエゴは否定されるべきものであって、抑圧すべき対象として教わってきました。

ところが地上界で生きて行く上で、エゴはなくてはならない要素であったのです。

 

自分の中にエゴがありますからこそ、それと対比します本当の自分に向かって行けるのです。

エゴをしっかりと受けとめ、受け入れれば受け入れるほど利己性がなくなって行くというのは、とても納得の行くとらえ方だと思うのです。

 

 

死の床にいるとしたら

 

今回もアニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」の言葉を紹介します。

もし今、自分が死の床にいるとしたら、後に残して行く人たちに何を言いたいだろうか?

 

後に残す人たちに、何よりも感謝と励ましを言いたいです。そして、いずれ再会できますことを約束したいと思います。

ようやく、あの世に旅立つときが来ました。長いあいだ付き合ってくれてありがとう。

 

お陰で楽しい人生を送れました。優しさを忘れずに、仲良く生きて行ってください。

いつの日か、あの世でまた会えるのを楽しみにしています。

 

死は一時的な別れに過ぎず、新たな世界への門出でもあるのですから、笑顔で送ってください。

 

 

宇宙の完全さ

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」からの言葉です。

自分には何か欠けていると非難しているときは、宇宙の完全さを疑っているだということを受け入れられるでしょうか?

 

もし受け入れられないのであれば、自分を含む宇宙全体を否定してしまう結果にもなるのです。

ある人から「どうせ、君にはそれぐらいしかできないでしょう!」と言われたことがあります。

 

しかし、これは私に対してと言うよりも、本人が自分自身を軽く見ていますことの表れなのです。

心のどこかで何をやってもダメだと思ったり、どうせ私は幸せになる資格なんかないとあきらめたりしているのかもしれません。

 

そんな思いをつい相手にも投影してしまうのでしょう。そういう人に何を言って上げれば良いのでしょうか。

いきなり宇宙の完全さを疑っているのですね、と言っても意味は通じないでしょう。

 

「自分は大した人間にはなれない、と思ってはいませんか?」

「あなたに劣ったところはありませんし、ほかの誰にもない能力を持っている可能性だってあるのですよ。」

 

 

一体感に包まれる

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」で記されている言葉です。

もし自分が全ての人やあらゆるものとつながっていると心から信じていましたら、

 

それは私の思考や言葉、行動にどのような影響を与えますでしょうか?

まず考えられますのは、独断的な考え方や行動などができなくなると思われます。

 

全ての人やあらゆるものとのつながりをいつも実感しています。

人の気持ちがダイレクトに伝わって来まして、まるごと相手を理解できるようになります。

 

そうしますと何もかもわかっていますので、慈しみの心で応対しますのがごく当たり前になっています。

自他の区別や分離感は消え去って、自分を守ったり相手を無視したりすることも一切なくなり、とてつもなく大きな私という心境になります。

 

ある人の幸せは私の幸せであって、ある人の悲しみは私の悲しみなのであります。

人の役に立ちますことが大きな喜びとなり、惜しむことなく日夜与え尽くそうと懸命なのです。

 

 

自分に対する愛

 

一日を始める前にぜひ励行したいのが、自分への励ましと愛の喚起であります。

自分のとらえ方を大幅に変える必要があるのに気づいたのです。

 

自分に対しまして低い評価しかできないというのは、未だに本当の自分を知らずにいるからです。

そこで、いかに愛され価値ある存在であるかを知っている振りをしてでも、行動から変えますことが重要だったのです。

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」に、次のような言葉があります。

自分のことを愛するまで、私の人生は何一つ最高の状態にはならなかった。

 

私が今経験している豊かさ、意味、喜び、そして他人に対する愛や優しさや忍耐は、

自分に対する愛の量に正比例しているの。

 

なぜ自分自身への愛の喚起が大切なのでしょうか。

動機が恐れからではなくて、愛から行動するのが自然であるからです。

そこには何が何でもこうしなければという強迫観念は全くありません。

 

 

自己愛と利他愛

 

自分を愛しますのは、自己中心の発想だと思っていました。

しかし、自分のことしか考えないのは利己的なのかもしれませんが、自己を無条件に愛しますのはそうではないのです。

 

聖書には「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」という言葉があります。

自分を愛していますのが前提として、隣人を愛しなさいと言っているのではないでしょうか。

 

自分さえも愛せない人は、他人を愛せるはずがありません。

自分を愛せない人というのは、他人から注がれています愛にも気づくことはないでしょう。

 

無条件に自己を愛しますのは、他者との関わりにおいてももっとも重要な資質であったのです。

そのためには自分よりも他者を最優先に考えられますほど、自我意識を高めて行かなくてはなりません。

 

どんな状況下でありましても、自己を見捨てず無条件に愛せるまでは、利他愛の精神も生まれて来ないように思われます。

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」を読み始めまして、以上のことに気がついたのです。