「人生・生き方」カテゴリーアーカイブ

想像力を限界まで駆使する

死の床にいるとしたら

 

今回もアニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」の言葉を紹介します。

もし今、自分が死の床にいるとしたら、後に残して行く人たちに何を言いたいだろうか?

 

後に残す人たちに、何よりも感謝と励ましを言いたいです。そして、いずれ再会できますことを約束したいと思います。

ようやく、あの世に旅立つときが来ました。長いあいだ付き合ってくれてありがとう。

 

お陰で楽しい人生を送れました。優しさを忘れずに、仲良く生きて行ってください。

いつの日か、あの世でまた会えるのを楽しみにしています。

 

死は一時的な別れに過ぎず、新たな世界への門出でもあるのですから、笑顔で送ってください。

 

 

一体感に包まれる

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」で記されている言葉です。

もし自分が全ての人やあらゆるものとつながっていると心から信じていましたら、

 

それは私の思考や言葉、行動にどのような影響を与えますでしょうか?

まず考えられますのは、独断的な考え方や行動などができなくなると思われます。

 

全ての人やあらゆるものとのつながりをいつも実感しています。

人の気持ちがダイレクトに伝わって来まして、まるごと相手を理解できるようになります。

 

そうしますと何もかもわかっていますので、慈しみの心で応対しますのがごく当たり前になっています。

自他の区別や分離感は消え去って、自分を守ったり相手を無視したりすることも一切なくなり、とてつもなく大きな私という心境になります。

 

ある人の幸せは私の幸せであって、ある人の悲しみは私の悲しみなのであります。

人の役に立ちますことが大きな喜びとなり、惜しむことなく日夜与え尽くそうと懸命なのです。

 

 

喜びを与える選択

 

病気にならないように健康に気を付けているというのを聞きますと、何か良い心がけのように思われます。

しかし、病気になる恐れから行動しますので、どんな努力をしましょうがいずれは病気になってしまうものなのです。

 

事故に出合うかもしれないという恐れから、保険に入るのも同様ではないでしょうか。

では、どうすればいいのでしょうか。

 

病気にならないようにと考えていますので、絶えず病気のことが頭から離れません。

そうしますと自分から病気を引き寄せ続けているのです。

 

病気と無縁になりますには病気のことを忘れるか、いっさい考えないようにします。

恐れから行動を選択するのではなくて、自分にとって心地よく、より強くなれます行動を選択します。

 

やってみて生きる力と喜びを与えてくれるようなものを選んで行くのです。

自分の心の声に忠実に従うと言いますか、理屈抜きでやってみたくなるようなものであることなのです。

 

 

ただ望むだけ

 

例えば自分が神秘体験をしますには、それ相応の意識のレベルに達するまで修行をしなければならないと考えていました。

そうしますと当然、修行をしなければならない状況へと招かれて行くことになります。

 

このように何かを得るために前提条件を自分で勝手に作り上げていますので、そこから改めて行かなくてはなりません。

どうしてそのような条件を考えついてしまうのでしょうか。

 

小さい内から、価値のあるものは簡単には手に入らないと教え込まされて来たからです。

勉強ができて成績が優秀でなければ、欲しいものを得る資格はないと言われて育って来たのです。

 

だから今の自分では、いくら欲しくても何も得られはしないと思い込んでしまったのです。

また汗水流して手にしたものにこそ価値があると、ずっと信じて来たのです。

 

それはある意味で真実かもしれませんが、全て価値あるものは簡単に手にできないという誤った考えを抱くようになりました。

このことに気づけましたなら前提条件をいっさい付けずに、ただ望むだけです。

 

 

思いが実現する

 

人生には失敗は付きものだとよく言われており、私もそう思っておりました。

しかし、よく考えてみますと、必ずしも失敗する必要はないことに気づいていなければなりません。

 

もし、どこかで失敗しました場合には、それを周り状況や人のせいにしてはならないです。

成功しなかったということは自分の選択の間違いに気づかせてくれますサインに過ぎず、それだけのことなのです。

 

ですから、うまく行かなかった自分はダメな人間なのだと思う必要は全くなかったのです。

そもそも失敗しなくても目的は果たせるのですから、失敗は付きものという考えこそ改めなければなりません。

 

また、回り道もしたくなければやめればいいですし、やりたければやればいいだけの話です。

どちらを選びましても、いずれ目的地へたどり着くという点においては大差がないのです。

 

一刻も早く着きたければ、いっさい脇目もふらずに進んで行けばいいですし、寄り道をして遊びたければそれもOKなのです。

 

 

望んだ人生

 

一宇氏の著「人生の法則」を読み進めています。この地上界をどういう風に生きればいいのか、それをわかりやすく教えてくれています。

人生には良いことも悪いこともなくて、望んだ通りの現象が起きているだけでありました。

 

そして、そうした出来事は、自分がどのような人間になるのかをサポートしますための単なる脇役に過ぎなかったのです。

様々な苦労や辛くみじめな体験というのは、自らが望んだことでありました。

 

なぜ望んだのかと言いますと、そうした体験を通じてどんな困難にも負けない強い意志を持つ人間になりたかったのです。

これまでの失敗とか間違った選択も、そのような誤りをたくさんしてそこから多くを学び、より賢明な人間になるためでした。

 

どれほど失敗したとしましても、劣等感を持ったり自分をダメな人間だと思ったりする必要は全くなかったのであります。

成功や失敗の数々は、こうありたいと思います自分になるためのお膳立てであって、当初から人生に組み込まれていたのです。

 

 

そのように生きる

 

元々完璧であり満たされている存在にとりましては、完璧であるとはどういうことなのか、満たされるとはどのようなことなのか、わかりようがありませんでした。

そうでない状態を体験してみない限り、理解することはできなかったのです。

 

体験的に知るためには、完璧で満たされているのを完全に忘れて、完璧ではなく満たされない自分を充分に経験する必要があったのです。

いま、まさにそのような状況を体験し尽くしているところだと言えます。

 

完璧で満たされた本当の自分を失ったわけではなくて、ずっと一緒であったのに気づくのです。

全幅の信頼をもって内なる魂と接触をはかり、その声に従って生きて行かなくてはなりません。

 

だからと言って、すぐに接触できるものではありません。できますのは望みを明瞭な形にして、それを黙想を通じて意図するのです。

 

 

役割を自覚する

 

ある本を読んでいましたら、10ものグループそれぞれの役割について事細やかに、周到に書かれておりました。

大きなことを成す目的で各専門のグループが集まり、分担して取りかかる例を挙げられていました。

 

人間一人ひとりが持てる最大限の力を出し切れる、そうした人たちがグループとしてやり遂げるのです。

さらに、そんなグループが連携し合い、束になって成し得ることは計り知れないものがあります。

 

しかし、それさえも全体のごく一部分であると考えますと、その先はもう想像を絶する規模へと発展して行くであろうと憶測できるだけです。

この宇宙のミクロの世界からマクロの世界まで、数多く存在します全てのものには、それぞれに託された役割というものがあります。

また、それを唯一果たすために存在していると言えます。どれもが全体の一部を担って、支え合っているのです。

 

全体の中の各構成員は、本来そういう重要な役目を受け持っていますのを重々自覚していて当然なのです。

ですから、自分の担っていますことは何であるのかを認識して、生まれて来た理由でもありますその使命を、いまこそ果たして行かなくてはならないのです。