「人生・生き方」カテゴリーアーカイブ

想像力を限界まで駆使する

楽ではない道

 

どのような人生を歩みたいのでしょうか。あるいは、どんな人生であって欲しいと思っているのでしょうか。

順風満帆でありさえすれば良いのでしょうか。魂が望んでいますのは必ずしも、そういうことではないような気がします。

 

荒波をくぐり抜ける体験がなくては、退屈するだけで面白みがありません。

四苦八苦します中で魂は揺さぶられ、全身全霊をかけてぶつかって行く腹を決めるのです。

 

生き抜いて行きますのに困難であればあるほど人生は、より輝いた自分に仕立て上げてくれます。

楽な道かあるいは危険な道かを選ぶ際には、十分注意しなければなりません。

 

目先のことしか眼中にないときは、楽な道ばかりを追い求めています。

努力を要します選択肢には関心が向かないのです。いつもと同じことの繰り返しから逸れたくないのです。

 

望む人生を描きますには、意識して魂の奥底から出て来ます声に耳を傾けなくてはなりません。

自分にとっての最善のシナリオとは、一層の成長を促してくれるものです。

 

 

意識して選択する

 

自分の人生は自分が創るものですから、どのような人生を生きたいのかをしっかりと描く必要があります。

それを怠った場合には望ましくない人生を、無意識に選択していることになります。

 

自分が創造しましたシナリオであるにもかかわらず、人生は思い通りにならないと嘆き悲しんでいるのです。

被害者意識にとらわれましたり、過酷な状況に翻弄されるという事態を招いたりするのです。

 

元々は自分が創り上げました困難や障害でありますのに、まったく気づいていないのです。

自らこしらえ、はまりました落とし穴から抜け出しますには、どうすればいいのでしょうか。

 

日々の生活におきまして、何から何までを意識して選択するようにします。

いつも最善を選ぶように意識していますと、間違った選択をしたときには、すぐにそれを認めることができます。

 

人生は決して自分に敵対するものではなくて、自分の意思が反映されていただけであったことに気づけるのです。

ここに至って、ようやく自分を信頼できる足場ができました。自分を敬い、賞賛し感謝する日も近いように思います。

 

 

限界のある前提

 

以前と比べまして、カチンと来ましたりムキになったりすることがほとんどなくなりました。

自分を含めた全ての人たちに対して、寛大な態度で接する心境になりつつあります。

 

人間として肉体に宿ったからには、限られた知識と限定された視野でもって、しかも制限された脳でしか考えられないのです。

この物質世界での人生は数多くの失敗や誤りを犯して、そこから学び成長して行くように運命づけられているのです。

 

誰一人として、そうした制約から逃れられません。

ですから気に入らないからと言って、人に根を持ちましたり仕返しをしたりしようなどと思わないことです。

 

どのような思い込みや誤解が生じましても冷静に対処できますように自分を引き上げます。

少々のトラブルに遭遇しましても、いっさい動じない強い精神の持ち主でなければなりません。

 

もともと不完全な状態で生まれ落ち、完全さを求めまして成長を続けますのが人間の宿命なのです。

そんな境遇をすべて承知した上で人生に取り組んで行きましたら、無知のままのときよりもずっと楽しめそうです。

 

 

死の床にいるとしたら

 

今回もアニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」の言葉を紹介します。

もし今、自分が死の床にいるとしたら、後に残して行く人たちに何を言いたいだろうか?

 

後に残す人たちに、何よりも感謝と励ましを言いたいです。そして、いずれ再会できますことを約束したいと思います。

ようやく、あの世に旅立つときが来ました。長いあいだ付き合ってくれてありがとう。

 

お陰で楽しい人生を送れました。優しさを忘れずに、仲良く生きて行ってください。

いつの日か、あの世でまた会えるのを楽しみにしています。

 

死は一時的な別れに過ぎず、新たな世界への門出でもあるのですから、笑顔で送ってください。

 

 

一体感に包まれる

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」で記されている言葉です。

もし自分が全ての人やあらゆるものとつながっていると心から信じていましたら、

 

それは私の思考や言葉、行動にどのような影響を与えますでしょうか?

まず考えられますのは、独断的な考え方や行動などができなくなると思われます。

 

全ての人やあらゆるものとのつながりをいつも実感しています。

人の気持ちがダイレクトに伝わって来まして、まるごと相手を理解できるようになります。

 

そうしますと何もかもわかっていますので、慈しみの心で応対しますのがごく当たり前になっています。

自他の区別や分離感は消え去って、自分を守ったり相手を無視したりすることも一切なくなり、とてつもなく大きな私という心境になります。

 

ある人の幸せは私の幸せであって、ある人の悲しみは私の悲しみなのであります。

人の役に立ちますことが大きな喜びとなり、惜しむことなく日夜与え尽くそうと懸命なのです。

 

 

喜びを与える選択

 

病気にならないように健康に気を付けているというのを聞きますと、何か良い心がけのように思われます。

しかし、病気になる恐れから行動しますので、どんな努力をしましょうがいずれは病気になってしまうものなのです。

 

事故に出合うかもしれないという恐れから、保険に入るのも同様ではないでしょうか。

では、どうすればいいのでしょうか。

 

病気にならないようにと考えていますので、絶えず病気のことが頭から離れません。

そうしますと自分から病気を引き寄せ続けているのです。

 

病気と無縁になりますには病気のことを忘れるか、いっさい考えないようにします。

恐れから行動を選択するのではなくて、自分にとって心地よく、より強くなれます行動を選択します。

 

やってみて生きる力と喜びを与えてくれるようなものを選んで行くのです。

自分の心の声に忠実に従うと言いますか、理屈抜きでやってみたくなるようなものであることなのです。

 

 

ただ望むだけ

 

例えば自分が神秘体験をしますには、それ相応の意識のレベルに達するまで修行をしなければならないと考えていました。

そうしますと当然、修行をしなければならない状況へと招かれて行くことになります。

 

このように何かを得るために前提条件を自分で勝手に作り上げていますので、そこから改めて行かなくてはなりません。

どうしてそのような条件を考えついてしまうのでしょうか。

 

小さい内から、価値のあるものは簡単には手に入らないと教え込まされて来たからです。

勉強ができて成績が優秀でなければ、欲しいものを得る資格はないと言われて育って来たのです。

 

だから今の自分では、いくら欲しくても何も得られはしないと思い込んでしまったのです。

また汗水流して手にしたものにこそ価値があると、ずっと信じて来たのです。

 

それはある意味で真実かもしれませんが、全て価値あるものは簡単に手にできないという誤った考えを抱くようになりました。

このことに気づけましたなら前提条件をいっさい付けずに、ただ望むだけです。

 

 

思いが実現する

 

人生には失敗は付きものだとよく言われており、私もそう思っておりました。

しかし、よく考えてみますと、必ずしも失敗する必要はないことに気づいていなければなりません。

 

もし、どこかで失敗しました場合には、それを周り状況や人のせいにしてはならないです。

成功しなかったということは自分の選択の間違いに気づかせてくれますサインに過ぎず、それだけのことなのです。

 

ですから、うまく行かなかった自分はダメな人間なのだと思う必要は全くなかったのです。

そもそも失敗しなくても目的は果たせるのですから、失敗は付きものという考えこそ改めなければなりません。

 

また、回り道もしたくなければやめればいいですし、やりたければやればいいだけの話です。

どちらを選びましても、いずれ目的地へたどり着くという点においては大差がないのです。

 

一刻も早く着きたければ、いっさい脇目もふらずに進んで行けばいいですし、寄り道をして遊びたければそれもOKなのです。