「スピリチュアル」カテゴリーアーカイブ

スピリチュアリズムとの出合い

人を思う心

 

自分の気持ちというのは、相手に通じている場合があります。

ある人に少し厳しい言葉を言いました後、すぐに優しい心を取り戻しますと、それはその人にも伝わっていました。

 

この体験から言えますのは、自分の心の有様が特に対人関係では重要な要素となっています。

批判的な態度を一変しますことで、それまでの関係は一挙に好転しますのは明らかです。

 

相手がどうすればできるのかを、一緒になって考えます姿勢も大切でした。

普段から心に余裕がありませんと、そこまで踏み込むのは難しかったでしょう。

 

相手を気遣い、幸多からんことを思う心の余裕です。

自分のことよりも人のためを思う領域が、心の中にどれほど多くありますかです。

 

 

利他の心2

 

死んだ後には必ず、終えたばかりの人生全般を精算するときを迎えると言われています。

その際いちばんに問われます点は、他者にどれほどの愛で接しましたかです。

 

どれだけ高い地位に就いていましたとか、どんなに多くの財産を持っていましたとかは、いっさい問われないのです。

このことから地上界におきまして、何がもっとも大切なのかが明らかであります。

 

他者を思いやり、どんな行為をも許し、無条件に愛しますことほど永遠の価値ある行為はないのです。

自分に関します事柄から離れてただ人を思うだけでも、どれほど利他愛の境地に自己を近づけますでしょうか。

 

身近な家族の中でこそ、まず利己的な行動を慎み相手を思いやる心を育てて行くべきなのです。

他者の利益を重んじます利他の心を揺るぎないものにしますのが、この人生で与えられました最優先の課題と言えます。

 

 

恐れるものはない

 

死後の世界を信じますことで死を恐れる理由がなくなり、たとえ何が起こったとしましても平気でいられそうなのです。

これまで死ぬことほど恐ろしいものはなかったのですが、今やいつどこで死のうとも別に構わなくなったのです。

 

いつも自分の言動に、責任を持っていさえすれば大丈夫なんだと思うようになりました。

地上界のどのような出来事や物事には、適度な距離を置いて眺めますように努めているところです。

 

永遠の時間をどのように使って、霊的成長をめざして行きますかを考えるだけなのです。

その第一歩としまして、利己愛に走らないように充分に注意しながら、自分の利己的な行動に歯止めをかけて行きます。

 

買い物をします場合には自分のことよりも、家族が気持ちよく生活できますように考えて買うようにします。

常日頃から、他者に気を配りますように心がけて参ります。

 

 

死後の世界

 

死んだ後の人生について、漠然と思い回らすときがあります。

確かに一度でもあの世に行ってみなければ、死後の世界についての確証が持てないのは仕方がありません。

しかし、死んだら自分のいっさいは消滅すると考えます方が、無理があり受け入れ難い気がするのです。

 

霊魂の不滅とか霊的な事柄に関して、古代からの言い伝えや膨大な文献類が物語っていますことが全て偽りとは考えられません。

死んでも生き続けると思う方が自然ではないでしょうか。

 

そうあって欲しいという希望的な見方かもしれませんが、授かった永遠の命をどこまでも信じて生きて行きたいと思うのです。

命に終わりというものがありませんからこそ、ひとつひとつに心を砕いて行けますように思います。

 

 

私という存在

 

死後の世界では同じ成長レベルの人たちと共有意識を持つことになります。

できれば地上界にいる内から、個人的なことは徐々に手放していくのが望ましいと思います。

 

そこで、自分固有の思考や心のあり方を今後、どのように考えていけばいいのでしょうか。

それらは排除していくべきものなのでしょうか。

 

もっともアイデンティティは将来にわたって継続されていき、どんなに成長しようがなくならないと言われています。

自分らしさというものは、いずれ人間らしさに取って代わるべきだと思います。

 

そもそも、私とは何なのでしょうか? 私という存在は思考でも感情でもなく、もちろん肉体でもありません。

映画のスクリーンのようなもので、やって来るものを味わい体験する者なのです。

 

来ては去っていきます様々なエネルギーを受けとる受信機であり、内から湧き出しますエネルギーを発する発信機と言えます。

本来、何ものにも染まらず無色透明であって純粋に観察する者なのです。それが私であり、あなたなのです。

 

 

地上的な生き方

 

本能のまま、あるいは欲望に従い生きますなら何ら動物と変わらなくなります。

霊優位の生き方をめざすべきなのですが、なかなか思うようには行きません。

 

まだまだ満たされない思いが渦巻いておりますのが現状です。

ところで、死を迎えました人がまず赴くところは、地上界とよく似た幽界またはブルーアイランドと呼ばれています。

 

そこでは望みましたことが、すぐ現実となる世界であります。

まさに天国のようなところなのですが、そこで思う存分に欲望を満たしきった後で、誰もがその空しさに気づき飽きてしまうということです。

 

心は自ずと精神的なものを追い求めるようになると言うのです。

段階を踏んで地上的な欲望や喜びから卒業し、新たな霊界の世界へと進んでいくのです。

 

一部の人々を除いて誰もが幽界で過ごした後に、霊的な生き方へと旅立っていくわけです。

ですから望むことを無理矢理に捨て去らなくても、いいのではないかと思うのです。

 

 

なぜ霊的真理を学ぶのか

 

霊的に生きるとは、霊的真理に沿った生き方を心がけることだと思うのですが、その霊的真理とはどういうものかが全くわかっていませんでした。

この宇宙のあらゆるもの、森羅万象に働いています普遍的な法則であり摂理のことでありました。

 

ですから本来、霊的真理に反しますような出来事は自然界では起こり得るはずがありません。

ところが人間だけが自由意志の行使できます範囲内において摂理から逸脱し、そのツケを後で支払うようなことをやっています。

 

つまり、人間は摂理に則った生き方を自ら選択して行かなければならないと言えます。

それは霊的成長につながって行く道でもあるように思います。

 

霊的真理について学ばなければならない理由も、そこにあるのではないでしょうか。

宇宙を貫いています偉大な法則、調和に満ちたその絶妙な摂理を知る特典が人間に与えられているようにも思えるのです。

 

 

ゆっくりとしか身につかない

 

新しく得ました知識は、焦らないで一つずつ日常生活で応用して行けばいいわけです。

例えば、生命は永遠に生き続けるという真理があります。

 

永遠の時間が与えられているということは、どう考えて行けばいいでしょうか。

どんな人間であっても理解して活用できるようになるまで、とことん学べるということだったのです。

 

納得の行くまで試行錯誤してもよろしいですし、そのための時間はいくらでもあるということなのです。

知識というものは行動に移してみてそれを感じ取り体験して、はじめて身につくと言われているのです。