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スピリチュアリズムとの出合い

自分中心を改める

 

霊的成長こそが、長いあいだ探し求めていました道であります。シルバーバーチの霊訓に出会いまして、それに確信が持てました。

この道を歩み、すべてを託したい気持ちが益々大きくなりつつあります。

 

なるべく高い視点に立って物事を考え、できるだけ広い視野を持って世の中を見るように心がけています。

永遠に生き続けることを思いますと、つかの間に過ぎない地上での人生で、少しでも人に役立ったと胸を張って言える人間でいたいと望みます。

 

染みついています自分中心の習性を何とかしなければなりません。

一つ一つそれに気づくことから始めて、次からこうしようという風に改め決めてかかることにしました。

 

例えば、毎日の車を運転します自分の行動の中に、自己中心的なところが随所に見られます。

こちらのほうが優先だからという理由で、思い上がった気持ちになって運転している場合が多いのです。

 

何度か、右折車に道を譲ったほうがいいと思ったら即、実行しました。

自己中が改まるまでは、意識してハンドルを握らなくてはなりません。

 

 

成長し続ける存在

 

「自分の本体は、あくまでも成長し続ける永遠の霊であって、しかも自分が考えているようなちっぽけな存在ではない」

この言葉に、どれほど力強く励まされることでしょうか。

死を恐れたり、病や身体の不調に思い悩んだりする必要がないのがわかったのですから。

 

そして有り難いことに、私たちには自分を終始守ってくれる守護霊が必ず一人は付いてくれているのです。

これまで危ないときに何度も助けてくれていたのだと知りまして、感謝したい気持ちでいっぱいになります。

 

また、この地上界での生活は、霊界で送る生活のための準備期間だったのです。

どんな準備をすればよいかと言いますと、ともかくも人々に役立つような行いを心がけることに尽きるようです。

 

即刻、利己主義的な考えはいっさい捨て去らなければなりません。

どうしましたら、もっと自分を人に役立てられるでしょうか。

※参考「古代霊は語る」

霊的無知に気づく

 

これまで自分が知り得なかった死後の世界や霊界についての知識を授かりつつあります。

もっとも以前から漠然と、死んだ後も人は生き続けるのではないかと感じていました。

 

しかし、シルバーバーチの「古代霊は語る」の書を紐解いていきますと、死んでからが本当の意味で生き始めるのだと知ることができたのです。

とても驚くと同時に、長年の疑問が氷解する内容でありますだけに、深い感謝の念がわき起こりました。

 

100年ほど前に英国での家庭交霊会において、50年以上にわたって語り続けていた古代霊がおられたのです。

その語るところによれば地上界が惨憺たる状況なのは、霊的に無知であることが最たる原因だという指摘でありました。

 

霊的真理をまったく理解していませんから、利己主義がはびこり物質欲に支配された人生を送っていました。

死を恐れ必要以上に肉体に固執しすぎるのも、自分の本質を自覚する上での大きな弊害となっていたのです。

 

気づいたからには、少しずつでも霊的な無知から抜け出していかなくてはなりません。

 

 

挑戦する価値

 

理解しておかなければならないのは自分という者でさえ、ほんの一部でしか知りようがないということです。

知らない部分の方があまりにも多いという事実です。

 

だからといって悲嘆に暮れる必要はなく、現段階で知りうることを一つずつ学んで行くしかありませんし、それが着実な生き方でもあると思われます。

しかし逆にとらえますと、自分の中には秘めた可能性というものが無限にあると言ってもいいのです。

 

ですから、今できないこともいずれできるわけですから、落ち込む理由はないのです。

確実に一段ずつ進化の階段を上って行くだけです。すぐ実行できますのはただ一つ、人助けであります。

 

毎日心がけるべきは、いかに人に役立てるか、何とか役立とうと努めるのみであります。

そこで利他愛の実践があります。例えば、横から割り込んで来た車に対して、その運転手の幸せを祈れるでありましょうか。

こうした難しい場面でこそ挑戦する価値があります。

 

 

魂が喜ぶ生き方

 

なぜ今のままではダメなのか、をよく理解する必要があります。

自分を最優先に考える利己主義的な生き方はいずれ身の破滅を招くのが、どうしてわからないのでしょうか。

世界的規模で言えば、自分の国だけを優先的に考える外交方針では、いずれ国が成り立っていかなくなるのと同じです。

 

自分を最重視しますことは、自分以外のまわり全てを敵視しますのと何ら変わりないからです。

そこから争いや対立、トラブルが生まれるのです。誰もが持っています優しさや思いやり、助け合いなどは断ち切られているのです。

 

別に自分を軽視しろと言う意味ではなく、少なくとも自分と同等に相手のことも考えなければいけないのです。

さらに一歩進めて、自分のことよりも相手を思う生き方が求められているのです。それはどうしてでしょうか。

 

魂が喜ぶ生き方であるからです。利他愛の気持ちを持つとは、魂と直につながるために自分が選択できるあり方であったのです。

自分自身に関しては、常にガイドから最高の愛で愛され力強く見守られているのを忘れてはならないのです。

 

以上を考慮してみまして、自分の使命が何であるかは自ずと明らかになって来るような気がします。

生き方の転換

 

霊的な成長に取りまして利他愛を実践しますことが最良だと知りました。しかし、とても難しいことだと実感しています。

これまでの生活というのは、欲しいモノを揃えて快適に過ごす生き方や、自分が損をしないようにと自己中心的な考え方が主流でありました。

 

他者を第一に考えるのとは対極のそれらが身に染みついていますので、その方向にどうしても引っ張られてしまうのです。

これって、できない言い訳になっています。では、どうしたら一八〇度の軌道修正ができるでしょうか。

 

まず、なぜここに来て利他愛なのかを充分に検討を加えて、これからの行動指針の柱となるように心を入れ替えていかなければなりません。

生き方の大きな転換ですので、急な切り替えでは反動が来る可能性もあり、この数日間は温めて見守るのが妥当のようです。

 

 

気づくことから

 

この世界において、霊的に生きるのは非常に困難な状況であります。だから逆に大きな霊的成長が可能なのだと思えるようになりました。

乗り越える山がありますからこそ、乗り越えるという経験ができるのです。何もないところで成長するということのほうが難しいのではないでしょうか。

 

どうすれば人間の真性をいつも忘れないでいられるのでしょうか。

一つは現象面での出来事や自分の振る舞いを、当事者の目線から観察者の目で眺めるように努めることです。

二つに、自己中心的な考え方をどれだけ改めて行けますかです。

 

まずは、自己本位で動いていたり、考えていたりしたとき、いち早くそのことに気づくように心がけます。

自分で自分の考えや行いを終始、観察し続けられますように気をつけます。

 

 

五つの心がけ

 

内なる声であります魂のささやきに耳を傾けますには、どのように心がければよろしいでしょうか。

一日に一人で何もしない時間帯を設ける必要がありそうです。

 

いったん日常のことをすべて忘れて、ひたすら魂と波長を合わせるように努めるときを持たなければなりません。

これを根気よく続けて行きますのが、心がけの一つです。

 

頭の片隅で霊的成長につながる道を追い求めながら、ふだんの生活を送って行きますのが二つ目です。

魂が自分の内に宿っていますのをいつも自覚して、気軽に語りかけるのが三つ目です。

 

また、どんな人とも魂でつながっており、人間の真性を忘れないが四つ目です。

人々の霊的な成長を手助けできることは何かないかを考えるのが、五つ目です。

これら五つが成就しますように。