「心のあり方」カテゴリーアーカイブ

人は人によって磨かれる

シミュレーション

 

いよいよ手術当日を迎えました。事前に必要なことは済ませて、準備するものも用意しました。

信頼に生きる一日を前にしまして、どのような日にしたいのかを思い巡らせてみます。

 

この瞬間にありますことを、常に心がけています。

全幅の信頼を体験させていただける周りの人々や病院のスタッフの方々に、感謝しつつ笑顔で接しています。

 

生かされています喜びを味わい、いつも愛されていますことに愛でもって応えます。

辺り一面を信頼という言葉から放たれますエネルギーで満たされています。

 

多次元的な存在として、今ここにありますことを意識しています。

身体の全細胞に伝えます。びっくりしなくてもいいですよ、大丈夫ですからと。すべてを信頼して、ただ委ねればいいのです。

 

すべてを受け入れて、それらすべてが自分だと思えればいいですし、無条件の愛と信頼に生きるのです!

 

 

内面に向かう

 

人間というのは元々この地上で、肉体をもった多次元的な存在だと言われています。

その自覚をもつためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは、内なる声に耳を傾ける必要があるということに気づきます。

 

現世に向けていました意識を、内面にあります自分の本質の部分に焦点を当ててみます。

そこは思考のおしゃべりや感情などは一切なくて、静寂と平安があります。

 

こんな身近なところにとても大事な、なくてはならないものが見つかるのです。

ようやく心から安心できる境地にやって来られたという思いになります。

 

これまでの迷いや焦りとかの世俗的な煩悩などとは無縁な存在感に包まれます。

また、ありとあらゆるものが潜在的にあるような感じもします。

 

この場と一体になればいいのにと思うのですが、なれない自分を意識して分離の状態に気づきます。

それと同時に、すべてを委ねる気持ちが徐々に湧き起こりつつあるのもわかります。

 

 

今に焦点を当てる

 

頭には絶えず思考が渦巻いています。改めて、そのようにプログラムされています自分に気づくのです。

日々の雑用に追われて我を忘れていますと、心は過去の記憶の世界に漂いつづけ、この瞬間にいることができない状態になっています。

 

ですから今という時にとどまりますには、意識して今に焦点を当てつづけている必要があるのです。

この瞬間に自分を委ね、ありのままの自分を無条件に受け入れて、今という時を存分に楽しむことなのです。

 

こんなことをしていてはいけないとか、ほかにすべき要件があるのではないかという心配は無用なのです。

このブログを書いている時には、ほかは考えなくてもいいのです。

 

 

他者を顧みる

 

そもそもエゴとは自我意識のことでありますが、利己主義とか利己主義な人を指す言葉としても使われています。

この利己主義というのは自分の利益を重視して、他者の利益を顧みない考え方です。

 

なぜエゴは抑圧しなければならないのかと言えば、他者の利益を無視します自我意識としてとらえていたからです。

対人関係におきまして、うまく行かないのはこのエゴが原因だと考えていました。

 

自分勝手な行動に駆り立てるエゴを何とか根絶しなければと、ずっと思っていたのです。

しかし自分の利益について考えますのは、別に悪いことではなくむしろ必要なことのように思われます。

 

個々人がそれぞれ自分を大事に扱いますのは、自己維持の観点からして当然であります。

そして大切なのは、自分を大事にするように他者を大事に扱わなければならないということです。

 

この物質世界は、自己を愛しますように他者を愛しますのを学ぶのに絶好の場所なのです。

 

 

自分に対する愛

 

一日を始める前にぜひ励行したいのが、自分への励ましと愛の喚起であります。

自分のとらえ方を大幅に変える必要があるのに気づいたのです。

 

自分に対しまして低い評価しかできないというのは、未だに本当の自分を知らずにいるからです。

そこで、いかに愛され価値ある存在であるかを知っている振りをしてでも、行動から変えますことが重要だったのです。

 

アニータ・ムアジャーニ著の「もしここが天国だったら?」に、次のような言葉があります。

自分のことを愛するまで、私の人生は何一つ最高の状態にはならなかった。

 

私が今経験している豊かさ、意味、喜び、そして他人に対する愛や優しさや忍耐は、

自分に対する愛の量に正比例しているの。

 

なぜ自分自身への愛の喚起が大切なのでしょうか。

動機が恐れからではなくて、愛から行動するのが自然であるからです。

そこには何が何でもこうしなければという強迫観念は全くありません。

 

 

倫理的に正しい道

 

ジェームス・ヴァン・プラグ著の「人生をもっと幸せに生きるために」には、次のような言葉があります。

すべてにおいて意識的に良い点を見つけるようにすれば、前よりはるかにポジティブな人生を送れるようになる。

 

ネガティブな思いを何とか変えようとしますよりも、いつも良い点を見つけるように努力します方が適切でありました。

そうしますだけで、自ずとネガティブな感情もなくなって行きますように思います。

 

どんな最悪と思われます出来事でありましても根気強く探せば、どこかに一抹の希望が見いだせるように思われるのです。

常に倫理的に正しい道を歩むと、言い換えることができるかもしれません。

また、次の言葉も勇気づけられます。

 

自分の意識レベルを上昇させて、出会うすべての人の中に神を見いだそう。

他の人のハイヤーセルフに気づき、つながることができるようになればなるほど、魂としての本当の彼らを理解できるようになる。

 

何か落ち着かないときというのは、その原因として人との魂レベルでのつながりを見失っている場合があります。

その人の高次の存在に気づくことができましたら、強い絆で結ばれていますのがわかり落ち着きを取り戻したのです。

 

 

自分が作り上げている

 

一宇氏の著「人生の法則:3000人の前世療法で明らかになった真実」で、最初に次のように語られています。

あなたの人生は、あなたの思い通りになっています。

 

良い悪いは別にして、確かに自分の思い通りになっていましたのは間違いないと言えます。

例えば、人生とはそんなに甘いものではないと思っています限りは、甘くない人生を歩み続ける羽目になります。

 

これはこういうことだと自分で決めつけ思い続けていましたので、そのようなことが現実化してしまっていたのです。

こうした前提条件をすべて破棄して、真っ新な気持ちで取り組んでみますと、スムーズに物事が進んで行きますのに気づきます。

 

本来、中立ないし好ましいことしか起こらないという言葉にも頷けるのです。

無条件に全てを受け入れて認めます段階に行けますように、心を空にして目の前のことに向き合うことを心がけています。

 

 

人生の意味

 

この人生には何か目的があるはずだと思っていましたが、案外そうでないかもしれないと思ったりしています。

人生を有意義に過ごしますために必ずしも、ある決まった目的がなくてはならないとは思えなくなったのです。

 

今の状況の中でやれますことを精一杯行わないで、人生の目的についてあれこれと思索ばかりしていましては本末転倒です。

生まれて来ました理由がどうでありましても、いま与えられています仕事なり、頼まれましたことに専念すべきなのです。

 

何のためにこの地上界に生まれて来ましたのか、それは必要な時が来ましたら明らかになるはずです。

それまでは自分が行います全てが、その目的に合致しますと思っても間違いではないでしょう。

 

無理をして背伸びをしてみましたり、ないものをつかもうとしたりしましても、機が熟さない内は無益な形で終わるでしょう。

いつの時だって、目の前のことにのみ集中すべきなのです。