内面への探求

 

なかなか分離の状態から抜け出せないでいます。

すべての存在とは、そんなにかけ離れてはいないという確証がどうしても得られないのです。

 

いまの自分という意識と魂は一つでありますのに、その実感はまったくなく強く意識しなければ気づくことすらないのです。

必要な情報は外にあるのではなく、すべて自分の内側にあるとよく言われています。

 

いくら書物やネットなどの外側に答えを追い求めましても、内側の空白を満たされますことはありません。

人々の体験談をいくら読みましても参考にはなりますが、自分の血肉となりますものではありません。

 

自らがその場を経験しなければ、どのような叡智も得られないのです。

どうしましたら叡智につながります体験へと入っていけるのでしょうか。

 

そのためのきっかけとなります何かがあるはずです。

「求めよ、さらば与えられん」という言葉が示しますように、どんな些細な願いごとでありましても求めなければ与えられません。

内面への探求へと入って行かなくてはならないところへとやって来ました。

 

 

楽ではない道

 

どのような人生を歩みたいのでしょうか。あるいは、どんな人生であって欲しいと思っているのでしょうか。

順風満帆でありさえすれば良いのでしょうか。魂が望んでいますのは必ずしも、そういうことではないような気がします。

 

荒波をくぐり抜ける体験がなくては、退屈するだけで面白みがありません。

四苦八苦します中で魂は揺さぶられ、全身全霊をかけてぶつかって行く腹を決めるのです。

 

生き抜いて行きますのに困難であればあるほど人生は、より輝いた自分に仕立て上げてくれます。

楽な道かあるいは危険な道かを選ぶ際には、十分注意しなければなりません。

 

目先のことしか眼中にないときは、楽な道ばかりを追い求めています。

努力を要します選択肢には関心が向かないのです。いつもと同じことの繰り返しから逸れたくないのです。

 

望む人生を描きますには、意識して魂の奥底から出て来ます声に耳を傾けなくてはなりません。

自分にとっての最善のシナリオとは、一層の成長を促してくれるものです。

 

 

意識して選択する

 

自分の人生は自分が創るものですから、どのような人生を生きたいのかをしっかりと描く必要があります。

それを怠った場合には望ましくない人生を、無意識に選択していることになります。

 

自分が創造しましたシナリオであるにもかかわらず、人生は思い通りにならないと嘆き悲しんでいるのです。

被害者意識にとらわれましたり、過酷な状況に翻弄されるという事態を招いたりするのです。

 

元々は自分が創り上げました困難や障害でありますのに、まったく気づいていないのです。

自らこしらえ、はまりました落とし穴から抜け出しますには、どうすればいいのでしょうか。

 

日々の生活におきまして、何から何までを意識して選択するようにします。

いつも最善を選ぶように意識していますと、間違った選択をしたときには、すぐにそれを認めることができます。

 

人生は決して自分に敵対するものではなくて、自分の意思が反映されていただけであったことに気づけるのです。

ここに至って、ようやく自分を信頼できる足場ができました。自分を敬い、賞賛し感謝する日も近いように思います。

 

 

望む現実を描く

 

霊界におきましては思考がすぐ現実になるとは、どういう意味なのでしょうか。

思考が現実をつくり出すのは、間違いのないようです。

 

物質界でも同じであるはずですが、霊界と違いますのは現実化しますまでに時間がかかる点でしょう。

思ったことが実現しますことに関しては、この地上界も霊界も変わらないと言えそうです。

 

あの世では望んでいます状況が瞬時に得られるのですから、この世でも望む状況はあきらめさえしなければ必ず得られるはずです。

望みを叶えます上でのポイントは、決してあきらめずにその思いを持続できるかどうかであると言えそうです。

 

ただし、現実となっていないという考えを持っています限り、それが実現してしまいます。

願望を持続させると同時に、現実がそうでありますようにありありと明確に描く必要があります。

 

いま一番の望みが叶いまして、間違いなく私は無条件に自己を信頼する選択をします。

いま私は、あるがままの自分自身を信じ切る選択を生きています。

 

 

三次元を超える存在

 

自分はこの三次元世界のどこにいると言うのでしょうか。「ここ」にいますことは、間違いないようです。

しかし「ここ」とは、どういうところなのでしょうか。自分が存在している場所と言えるかもしれません。

 

仮に、家の中にいると思っていましても本当は肉眼を通して、ある視点から家の中を眺めているに過ぎないのであります。

肉体は家の中にあるとしましても、同じように自分もそこにいるとは限らないのです。

 

存在していますのは確かですが、物質を超えた私自身は、この三次元ではどこにもいないような気がします。

ですから、物質世界に関しまして、あまり深入りする必要性がないのに気づいていなければならないのです。

 

自分に取りまして、もっとも大事なことは何でしょうか。

人生におきまして常に自分を見失わずに、あらゆる機会を生かして十分に体験しますことではないでしょうか。

 

地上界での出来事に翻弄されず、自由意志による選択権を行使しまして、自分を信頼し主体的に生きて行くことなのです。

 

 

本質に立ち帰る

 

いま自分が認識しております宇宙の成り立ちに関して右往左往します前に、もっと自分自身について承知しておく必要があるように思います。

自分の本質は何かと問いますなら、間違いなく魂だと言えそうです。

 

それが肉体をまといまして、物質世界という造られた枠内で様々な体験をしています。

また魂は愛に基づいたエネルギーだと言われており、魂であります自分はすべてとつながっているのです。

 

それらを踏まえ、確固とした意識状態で在り続けるのがもっとも重要なことです。

よほど気を付けていましても何か不快な出来事や刺激に出会いますと、いとも簡単に揺れ動いてしまうのです。

 

いまの状態がまさしく、それなのです。

もし驚きますような説がその通りだとしますと、これまで事実と受け取っていましたのは仮説であるかもしれない、ただそれだけのことなのです。

 

真実とはあらゆる可能性であるわけですから、特定の考えに固執しますことこそ避けなくてはなりません。

そうかもしれませんし、そうでないかもしれないと受けとめ、物事に中立的な態度で臨みますのが無難と言えそうです。

 

 

幻想の世界

 

霊界通信などによりますと、この地上界とはつかの間の世界であり、あの世での生活を送るための準備期間であると記されていました。

死後に訪れます霊界におきまして、はじめて本当の人生がスタートするのだと思っておりました。

 

ですから、これまで死後の世界について、できるだけ学ぼうと努力して参りました。

ところが、ウィングメーカーの「ネルダ・インタビュー5」を読み返していましたら、とんでもないことが書かれていたのです。

 

死後の世界も物質界と同じ幻想の一部であり、プログラムされた世界に過ぎないとあるのです。

この世とあの世も本当の世界ではないとの指摘に、即座に信じるか信じないかはともかく、とても困惑してしまいました。

 

いったい何が真実なのかが、わからなくなって来ますのも正直なところです。

果たして、この幻想から抜け出す方法はありますでしょうか。

 

たとえ、それがとても困難な道だとしましても、幸いなのは幻想である事実に気づける機会を得ましたことであります。

すべてが現実のものに見えるようにプログラミングされていますのに、それを知らずにいる状態を避けられたのですから。

 

 

プロセスを受け入れる

 

手術の後の傷口と痛みは、日にち薬で癒やされますのを待つのみです。

歩行は相変わらず、ぎこちなく予期していたとはいえ耐えて行く以外にないようです。

 

手術の翌日、症状の経過を見ていただくために来院しました。

傷口は良好で以前のような膨らみもなくなり、まったく問題がないとの先生の言葉を聞きましてホッといたしました。

 

まだしばらくは風呂に入らずシャワーだけにして、また重いものを持たないようにとの注意がありました。

手術の日、信頼をベースに臨みましたことが幸いし、人々への感謝の念が湧いてくるのでした。

 

身体へのダメージや痛みも含めまして、自分の必要なことしか起こらないと解すべきなのでしょう。

信頼に重きを置きます生き方は一日だけに終わらせず、意識的に定着させて行かなくてはなりません。

 

自分の考え方にこだわり、相手に苛立ちを感じてしまいます傾向は未だに拭えないでいます。

後になってそうした態度を取りました自分に気づき、大いに反省するのでした。