霊的視野を養う

 

実際に何が霊的成長にとって妨げとなりますかは、わかりにくいものがあります。

当面はこの識別します目を養って行く必要がありそうです。

 

いずれは生活の全てに渡って点検しなければなりませんが、気がついたところから改めて行くことになります。

目下、霊的知識に関しまして徐々に把握するように努力しております。

 

19世紀半ばから始まりましたスピリチュアリズムは、今後数百年以内に地上世界に浸透して行きますのは確実だと思われます。

時期の問題に過ぎず、いずれ地上界は本格的な霊界での生活への準備期間として広く認識され、霊的人生を歩む人々が加速度的に増えて行くことでしょう。

 

社会全体は今とは大きく異なった様相を帯びているでしょうし、画期的な諸制度に置き換わっているのは間違いありません。

霊界と同じように霊的な世界となって、霊的文明に生まれ変わるのです。

 

 

一つの望み

 

この地上界におきましての望みは、たった一つに集約できます。大霊の良き道具となれますように、祈ることであります。

それを実践しますには、それ以外のことをいかにして手放して行くかであります。

 

人生で何が一番大切なのか、これがこれまでよくわかっていませんでした。

ですから、あれこれと手当たり次第に興味ありますものに手を出して、うつつを抜かしていたのです。

 

ようやく生まれて来ました目的がはっきりしまして、何を行うかが明瞭になりつつあります。

どうでもいいことに関わらないように充分、注意して行かなくてはなりません。

 

これまでのしがらみをどれだけ捨てられますか、それがいま試されております。

霊界の良き道具になります上で妨げとなりますものに、まず気づきましてから、それに感謝して別れを告げて行くのです。

 

 

霊優位の努力

 

心の持ち方が、自分の全てを決定します。それがようやく、わかりかけて来ました。

たとえば意志が曖昧な状態でありましたら、つい安易な方向へと考えるようになって、そのように行動してしまいます。

 

身の回りには悪に引きずり込んだり困らせたりするような霊たちや想念が漂っているからです。

はっきりとした意志を持って臨んでいますと、そうした影響を受けることはないのです。

 

弱気になったり落ち込んだりして自分から波長を下げなければ、低い波動の事象に同調することはありません。

毎日の生活において霊優位に維持できないときがあったとしましても、あきらめずに努力しますのが何よりも肝心なのです。

 

少しずつ改めて行きます以外に道は見当たらないとしましても、それが精一杯であるなら由としなければなりません。

目指すところのビジョンを、いつも携えていますのが大切です。

 

 

霊優位の生き方

 

たとえどのような災難に見舞われましても、決して忘れてはならないことがあります。

無限の力と可能性を秘めていますこと、永遠の霊的な存在でありますこと、そして大霊にいつも愛され見守られていますことです。

 

何度失敗しましょうとも、あきらめさえしなければ霊優位の生き方にシフトできるものです。そう固く信じればいいのです。

 

より成長を遂げて行きまして、より良き道具になりますよう永遠のときが賦与されています。

自分を明け渡して高級霊団に委ねる決意で臨んで行けば、何も心配したり臆したりする必要はないのです。

 

霊優位の生き方は、どれだけ霊界の道具として徹し切れますかが鍵となります。

それ故に、もっと謙虚さをお与えくださいと祈らずにはおれません。

 

 

思考の舵取り

 

これまで人と争ったり事故に出合ったりしましたのは、背後にいます邪(よこしま)な霊が仕向けたり呼び寄せたりしました結果であるかも知れません。

その当時を振り返ってみますと、そうとしか思えないのです。

そのときの争う直前の自分はもう自分でなくなって、別の何者かが乗り移ったかのようでありました。

 

あるいは自分の奥に潜んでいました、邪な部分が全面に踊り出た可能性もあります。

いずれにしましても自分であって自分でない、そういう心境であったのは間違いないようです。

 

その頃は何かしら心も乱れていたようで、それが災いを招いたのだと思います。

今のように地に足を着けた状態を維持していますと、邪な霊につけ込む隙を与えていないのがわかっています。

 

普段から霊主肉従の努力をしていませんと、悪霊たちに引っかかってしまいます。

常に思念の舵取りを意識し、人々の幸せを願う心で満たすことであります。

 

 

物質文明から脱皮

 

自分が霊的な存在でありますことに今まで、なぜ気づかなかったのでしょうか。

この身体が自分だと思い込んでしまったのは、どうしてなのでしょうか。

 

産まれ出ました社会が生き残りますのに精一杯な貧しい状況でしたので、自分について思い巡らす余裕が皆無だったからでしょうか。

確かにそれも要因の一つですが、こんなにも物質面で豊かになった今日においても、相変わらず自分のことについてもつかめていないのが現状です。

 

太古の時代では誰もが霊的な事象に対する鋭い感覚を備えていて、自然との一体感も当たり前のように持ち合わせていたと言います。

その後、科学文明に浴すると共に目に見える事象しか信じなくなり、それに伴って霊的感覚は片隅に追いやられ完全に麻痺してしまったのが真相のようです。

 

これまで幾度も物質文明が破綻して来ましたのも頷けます。

しかし、この文明においては霊的に目覚める人たちが増えて行きますことで、何とか破滅を回避できるかもしれないのです。

 

 

霊的視野で見る

 

自分が霊的な存在でありますことや死後もずっと生き続けることなどを知りましてから、とても大らかに生きられるようになりました。

霊的真理に巡り会えましたことに、心から感謝しております。

 

他の人たちにも、こうした事実を知りまして楽天的な気持ちになって欲しいと願わずにはおれません。

特に悩み多い人生を歩んでいる人たちには、一刻も早くそこから抜け出して欲しいものです。

 

そのためにも自分が率先して霊的人生を歩み出して、その手本とならなければならないのです。

どうしましたら地上の全ての人たちに、平和で幸福な人生が訪れますでしょうか。

 

もっと霊的視野で物事や人々を眺められますように、これからも祈り続けます。

一日も早く一致団結して助け合い、友愛の精神で協力し合って切磋琢磨しながら、喜びの中で人生を送れますように。

 

 

思考を観察する

 

地上での生涯を終えました後もなお、人は生き続けるというのはわかってまいりました。

肉体は確かに死ぬ運命にあるのですが、私という存在はもともと不滅であり永遠の霊であったのです。

 

肉体を脱ぎ捨ててから、向かいます死後の世界は人によって全く異なっていると言います。

この人生をどのように生きたかによって、その行き先は地獄のようなところから天国のようなところまであると言われています。

 

物欲など、この世的な欲望をどれだけ制御することができたのか、人々のためにどれほど貢献して来たのかで決まるのです。

その人間に一番ふさわしいところへ行き着くと言うのですから、素晴らしい世界へ行きたければ、それこそ素晴らしい人間になるように努めるだけなのです。

 

いつも何を思い、何を考えているのかがとても重要なのでした。

自分についてでしょうか、それとも人のことに心を砕いているのでしょうか。

その有様がまさに自分という人間を決めていますから、普段から思考にもっと気をつけて観察することです。