最高の叡智から学ぶ

 

着実に霊的成長をめざしますには、霊界にいるかのように過ごしますのが一番のようです。

そうするためには霊的知識でしっかりと精神統一して、様々な邪念を排して行かなければなりません。

 

現在、人類が手に入れることのできる最高の叡智と言われます「シルバーバーチの霊訓」を学んでいるところです。

最初の入門偏にあたります「シルバーバーチは語る」から読み進めております。

 

百年ほど前にロンドンの一室で始まりました霊界からのメッセージを、いま紐解いているのです。

数百年後に、そのメッセージが地上の隅々にまで行き渡っていますのを想像しますと、感慨無量の心境となります。

 

どんなに素晴らしい世界が展開していますことでしょう。それを目の当たりにします日が、待ち遠しくてなりません。

自分もその頃には霊界での利他愛の実践もかなり積んで、見通せます視野や思考能力もいまの比ではないと思われます。

 

 

簡素な生き方へ

 

一人のときも人と一緒のときも、自分自身に問いかけます。どうしましたら自分を人の役に立てられるでしょう?

それは、いまの仕事にもっと精を出しますことであり、運転中に道を譲って差し上げることかもしれません。

 

少し考えただけでも数多くありそうです。大切なのはそのように問いかけまして実行しますのを、どれほどの頻度で行えるかです。

これを妨げますことが無数にありますから、一筋縄で行かないのは容易に予想できます。

 

どうでもいい欲望を一つずつ手放して行き、あれこれと思い煩う機会を減らすように取組中です。

例えば、間食の習慣をきっぱり断ち、興味本位なネットサーフィンを慎みます。

 

いま以上に、簡素な生き方へと変えて行く必要もありそうです。なるべく所有せずに、本などは図書館から借りて済ませます。

また、身の回りのモノはなるべく必要最小限に抑えます。不要なモノは潔く処分して行きます。

 

これまでの生活は何かにつけ、モノに頼りがちでした。必要でないモノや情報を持ち過ぎているのです。

 

 

痛みから学ぶ

 

自分にも大霊の一部を宿していますのは何となく知っていましたが、それがどういう意味なのかを深く考えてはいませんでした。

無私の心で人に奉仕していますとき、自分を通して大霊の力が働きますことに役立っていたのです。

 

道具に徹しますとは、霊界から流れ込みます霊力の通路としましての役目を果たすことでありました。

わかったつもりでいただけで、実は何もわかっておりませんでした。

 

課題は本能のままに生きます肉主霊従の状態から、いかに本能を統御し霊的に生きます霊主肉従へとシフトして行けますかです。

それを怠りますと、自分は何ら動物と変わらなくなります。先頃も過ちをおかしたところです。

 

つい欲が出まして食の乱れが生じてしまい、毒素が身体の弱点であります首や腰に来まして断続的な痛みがあります。

この痛みから学んでいますのは、不必要な間食などを慎み主食以外は身体に取り込まないことであります。

真理を学ぶ環境

 

知識を得れば得るほどに、その奥の深さに圧倒されますが、同時にその知識に対する責任も薄々感じておりました。

それにもかかわらず、もっと学びたいという思いを押し留めますことはできません。

 

霊的真理への渇望は、ほかのどんなことよりも切実で重要であると認識しています。

そこまで理解できたのです。無知から脱却しますときが、自分にも巡って来ましたのを実感しています。

 

しかし戒めとしまして、いかなる真理でありましても心の奥底まで届きますように徹底して学んで行かなければなりません。

上辺だけをかじっただけで終わらせては、何の価値も得られず何も変わることはないからです。

 

真剣勝負で向き合う覚悟がなければ、真理を求めます資格はないと言わざるを得ません。

ほかの全てを捨てましても、真理を取りますという固い決意が必要とされます。

 

また、知ってしまった以上は知らなかった状態に二度と戻れず、より大きな責務も伴って来ると自覚していなければなりません。

これらの条件が整いまして、ようやく真理を学ぶ環境ができ上がったと言えます。

 

 

利他の心

 

地上界に生きています以上は、どうしても身体を維持しますために食べたり寝たり、清潔に保って行かなければなりません。

快適に生活したいという欲望も、ある程度は満足させて行くことになります。

 

これらはすべて個人的な部類に属し、この世で生きる限りは利己性を全くなくすることはできないとわかります。

そうしますと、心は利己性と利他性の間を行ったり来たりしますのを認めて行く必要があります。

 

利他の心は、どのようにして根付かせて行けばいいのでしょうか。当面は、次のように自分に問うようにします。

どうしましたら、もっと人に喜んでもらえましょうか。何をすれば、もっと人の役に立てられましょうか。

困っている人のために、他に何ができましょうか、と。

 

また、どうすれば日常生活の一つ一つを、霊的視野で眺めて行けるものでしょうか。

いまは、霊的真理を繰り返し学ぶしかないように思えます。

 

 

心の成長

 

幸運にも人生の指針となり得ます「シルバーバーチの霊訓」に出合いましたが、学んだことを日常で全くと言っていいほど生かしていないのに気づきました。

どのように実践して行くかという観点で、改めて学び直す必要があります。

 

霊的成長を人生の第一目標に据えているのですが、肝心の「霊的成長」が今ひとつピンと来ません。

霊的成長とは心の成長と解釈しても、当面は差し支えないようです。

 

その後、心の中をのぞいてみましたら、我欲に突き動かされました自己中心の考えが渦巻いていました。

人に役立とうという発想は、どこにも見当たりませんでした。

このような状態からしまして、改善して行きます筋道が何となく見えて来るような気がします。

 

心が成長しますとは、どういう意味でありましょうか。

自分のことしか眼中になかった貧しい心が、人のために尽くし奉仕する豊かな心になるということでしょうか。

「利己主義」に染まった心は、いかにして無私の心へと至れるのでしょうか。

 

 

無知に気づく

 

自分がどれほど無知な状態でありますかに、普段は気づいていないケースが多いように思います。

致命的なのは人間そのものについてほとんど何も知らないという、その自覚がないことです。

自分自身のことでさえも、よくわかっていません。

 

ですから何のために生まれてきたのかを知らず、ただ食べるために生きているのが現状です。

ときどきは人生について考えてみますが、限られた思考力と知識の中では納得の行くような結果は得られないのです。

 

そうした中で、自分が霊的に無知でありましたのに気づけましたのは、何と幸運でありましょうか。

霊的真理に目覚めて霊的に成長して行きますにつれて視野は広がり、必要な知識も得られるようになるのです。

 

こうして生かされていますこと自体が常に見守られ、愛されています証拠と言えます。

人間の成長というものに限界がありませんので、どこまでも、より高い境地へと行けるのです。

 

 

コミュニケーション

 

どうして勝手な思い込みをしたり、誤解が生じたりするのでしょうか。それを防ぐには、どうすればいいのでしょうか。

相手の真意や気持ちをくみ取ろうとはせず、独りよがりなところがあるからではないでしょうか。

 

相手に対する思いやりや配慮など、心にゆとりがなければ意志の通じ合いはうまく行かないのです。

霊界であれば言葉を介することもなく思ったことが瞬時に伝わって来ますので、お互いの思い込みや誤解などはいっさい起こりえません。

 

しかし、この地上界では相手の言葉や表情などに注意を払い、誠意を持って対応しなくては相手はなかなか心を開いてくれないものです。

自分からオープンな態度で接する努力を怠れば、相手に誤解されたとしても仕方がないと言えます。