全ての人の幸せ

 

毎日、為すべきことを淡々と行ってはいるのですが、自分がかつて生まれるに際して取り決めたこともきちんと行っているであろうかという思いが片隅にあります。

それはクリアしたという覚えも自覚もない以上、まだ実行まで至っていないように思われます。

 

これに関しましては魂に関わる部分でもありますので、自我意識がどんなに力んだところでどうしょうもないとも言えます。

そのタイミングが訪れましたなら、黙って付いて行くだけで精一杯かもしれません。

 

こうして不自由もなく過ごせまして、健康体でいられますのは何という幸せなのでありましょうか。

慎んで全ての人の幸せをお祈りいたします。感謝申し上げます。

 

 

心のリセット

 

ときどき心が空白の状態でいるときがあります。なぜ自分は、ここにいるのでしょうか。

本来のところへ戻らなければ、という思いになったりもします。

現実逃避とも受け取れます、こうした心境になるのはどうしてなのでしょうか。

 

現実という世界は脳内で造りだしたもので、それはある事実の一つの側面を表しているに過ぎないのです。

身の回りのものから宇宙に存在するありとあらゆるものまで、人間の五感でとらえられますのは、ごくわずかな部分だけだと言われています。

 

無力感におちいってしまいそうですが、これを無視して見過ごしますのは賢明とは思えません。

わかっていることだけでもって、全てが語られると思ってはいけないということでしょう。

 

五感以外でも感じ取れますように、心をときどきリセットしておく必要がありそうです。

それと同時に、各感覚器官を研ぎ澄ましておくのことも大切でしょう。

 

 

 

心と時間を確保

 

思いやりのある態度は、とても大切な資質だと思います。しかし常にそういう態度で接していますかと問われますと、心許ないのであります。

思いやりの心境でいますとは、実際どんな状態なのでしょうか。相手の気持ちを気遣い、その人にとっての最良を行う意志をもっていることでしょう。

 

どうして普段は、そのような資質を見失っているのでしょうか。相手を受け入れ意思疎通をはかる余裕が心にないからでしょう。

いったい何が余裕を奪っているのでしょうか。生まれ育った故郷から遠く離れた異郷で、人との繋がりを深く自覚する機会がほとんどないことです。

 

一方で興味を引く情報やモノがあふれ、高価でない限り何でも手に入ります。そういったモノに心も時間も吸い取られて行ってしまうのです。

この時代にあっては、得ることよりもいかに捨てるか、あるいは為すよりもいかに為さないかが大事なわけです。

本当に大切なことに、いつも心と時間を確保しておかなければならないのです。

 

 

どんな動機を持つか

 

何を行うにせよ、その動機が自分の利害に基づくものなのか、純粋に相手のためを思ってのことなのかによって、その行為の質が決定します。

だから自己がどのような動機付けに支配されているのかを知っておくことは非常に重要だとわかります。

 

例えば恐れを回避するための行動ですが、ごくたまにあるぐらいでしたら特に問題はないようです。

しかし、もし頻繁に見られるようになった場合、何か間違った道を歩んでいる公算が大きいので生き方の見直しが必要となります。

 

普段から何を考え、何を意識しているのかが、とても大事だ気づきます。それが動機となって行動に表れるからです。

自分の得ることを最優先に考えているのか、あるいは人にどのように役立てられるか、そのどちらを考えているのかが問題です。

 

 

あるがままを受容

 

以前から家庭セールスに来る人たちに、誠実な態度で接するのは難しいところがありました。

今回も無愛想な対応をしまして、後で余りいい気持ちがしませんでした。

 

それから今度は、ごく親しい人とのやり取りのときです。

会話がはずんでいたのですが、つい相手の生活態度に自分の自説を押しつけるような口調で言ってしまいました。

 

この二つの出来事を振り返ってみまして、利他愛の精神をどのように表していけば良かったのかを考えてみました。

取って付けたようなことを言うよりも一番に、相手のありのままを受容することが大事なのだと理解できたのでした。

 

例えば、セールスの人に対しては以下のようなことぐらいは言えたはずなのです。

「寒い中をお疲れ様です。あいにくですが、間に合っていますのでお引き取りください。ご苦労様でした」と。

 

 

毎日、実践の場

 

自分に対して、こんな疑問が湧きました。唯一の霊的成長をめざして実践しているでしょうか。

それで霊的成長とは何なのかを、改めて考えるようになりました。正直なところ、まだまだわかっていないのが実情であります。

 

それでも一つだけ浮かんで来ました。実践しますことで確実に霊的な成長につながりますのが、利他愛という行為です。

しかし知っているだけでは、どうしょうもないのにも気づきます。これをどのように実践して行きますかが、いまの課題でありました。

 

利他愛を生かせます場をまず見つけます、そう意図することから始まるのだと知るのです。

自分は何も求めずに相手に与えることだけを求めますが、そのように行うと意図するのは、何もしないときよりも違って来るのは確かだと思います。

 

また人と一緒でなくても、自分一人のときでもできます何かがあるはずです。

例えば、出会った人を思い浮かべて、その人が一層の幸せを喜んでいます姿を思い描き、祝福のメッセージを送れます。

 

 

私と個別意識

 

なぜ、大して重要でないことに思い煩うのでしょうか。

内側の意識に焦点を当てて見ましても、そこには煩った痕跡は見当たりませんでした。

私の個別意識が思い煩っていただけでした。元々実態のないものだけに、絶えず恐れを抱かずにはおれない小心者です。

 

いつかは、この個別意識を手放すときが訪れるような気がします。

だからと言って、それはなくなってしまうわけではなく、隅のほうで観察者の役目を果たしているだけだと思われます。

 

それまでは、この自我意識に振り回される生活が続くことになります。

今後も思い悩んだり、恐れおののいたりすることでしょう。

ただ、それと完全に同一化してしまわないよう気をつける必要があります。

 

 

信頼というパワー

 

大切なことは、もっと宇宙を信じ、自分自身を信じて行くことなのです。どこまでもまっすぐに伸びている道があります。

信頼する心が導いてくれます。信頼から大きなパワーが得られます。自分を生かしています宇宙の力は完璧です。

 

いま手にしています結果は最良のものであり、今後得るであろう結果も最善のものなのです。

だから迷わず、目の前のことに自分のベストを尽くせばいいのです。

 

また、優しさと思いやる心を持ち続ける重要性は、想像している以上に大きいことが伝わって来ます。

ほとんどの人たちは様々な制約によって雁字搦めに成りながらも、それでも生き抜いて行こうとしているのです。

人々の幸せを祈らずにはおられません。宇宙の心は、どの人をも慈しみ等しく愛情を注がれているのです。