自分と向き合う

 

ほんとうの自分とは、いつもビクビクしています小心者の自分でもなければ、やがて老いて朽ちて行きます肉体でもないのです。

また、自分にとりまして今の人生が全てでもありません。はるか以前から自分はいたのでありまして、これからもずっとあり続ける存在なのです。

 

まず、そこのところをしっかりと押さえておくことであります。

その上でこの人生において、なぜ小心者のように振る舞ってしまうのか、そこからよく考えてみる必要があるのです。

 

ついビクビクしてしまう自分を、言わば分身として眺めます視点を持つようにしてみます。いろいろな理由が浮かんできますので、それらを受けとめて行きます。

自分の中で、問題を抱えています自分と第三者的な立場の自分とで穏やかな対話を重ねて行きます。

 

たまたま映画「戦場のメリークリスマス」を見始めてみたのですが、捕虜の人間をモノで殴る蹴る、銃殺などを平気で行う場面に、あまりに霊的な進化とは逆行しており、たまらず止めてしまいました。

おそらく実際の戦場では、これ以上の地獄のような有様であったのかと想像しますと胸が裂ける思いになります。

 

ビクついてしまう要因には、これに類した戦争体験の遠い記憶であります場合が十分に考えられると思うのです。

ですから今の自分を無理に変えようとするのではなく、それを認めて行きまして気づいているだけでいいのです。

 

 

世界観を見直す

 

卓越した人というのは、この現実世界が仮の姿を映し出しているに過ぎぬこと、私たちが本質的にひとつの生命体でありますのを見抜いておられるのでしょう。

ですから、あらゆるものに執着する理由もなくなったのではないでしょうか。

 

社会が変わるには人間が変わらなければなりません。それには自分がいかに変わらなければならないのかを熟知するに至ったのだと思います。

それからというもの全身全霊で自分に取り組まれて、いま、まさにその途上におられるわけです。

 

自分が変わるとは、どういう意味でしょうか。

ひとつには、これまでの世界に対する見方や考え方を徹底して見直し、自分の本質からかけ離れた個人的なことはすべて破棄されて行かれたのでしょう。

もし仮に人から身に覚えのない仕打ちを受けたとしましても、やり返そうとしたり反駁したりするのではなく、その人がどのような意図を持って行ったのかを知ろうとするのです。

 

その上で受け流すか、あるいは何らかの対処が必要としましたら、効果的なやり方で善処されますでしょう。

どんな動機で人は行動しがちなのかを知り尽くし、行動パターンも見えていますので、前もって手を打ちますのも容易でありましょう。

 

自分本位の人の動機は、ほとんどが他者からの攻撃に対する恐れによるもので、衝動的な行動や防衛反応としての行動に終始しています。

自己本位の考え方を改めない限り、自ら作り上げました罠から抜け出せないのに気づかなければなりません。

 

 

みんなの幸せ

 

今の社会は私利私欲を、最優先にしますのが主流になっているように思います。

誰もが幸せであるとは言いがたい状況にありまして、ことの本質は非常に見えにくくなっています。

 

この閉塞しました状態を打開しますには、みんなの幸せを第一に考えます生き方が、人々の 間にどれだけ浸透して行くかにかかっていると言えます。

その生き方が自己を救済する唯一の道でもありますことを、どうしましたら理解できるのでしょうか。

 

人の苦しみは、自分の苦しみでありますことを、どのようにしたらわかるのでしょうか。

自分と他人という枠をどうしましたら、はずせるのでありましょうか。

まずは、自分とは何であるかを明確につかんでおかなければならないでしょう。

 

なぜ、霊的に進化しました人は個人的な意志を持たずに、全体への奉仕に余念がないのでしょうか。

自分は何であって、何のために生まれてきたのかをはっきりと自覚していますのは明らかです。

 

だからこそ、一切の迷いもなく一途に正しいと信じる道を堅実に歩むことが可能なのでしょう。

そこへ至るまでに、どのようなプロセスを踏まれて来られたのでしょうか。一足飛びに進化されたとは、とても思えません。

 

何をどのようにして考え抜き、どんな修行をどのように積まれましたのか。

見習って行けるかどうかは、その点をどこまで理解できるかどうかによると思われます。

 

 

最大の願い 

 

霊的に成長して来ますと、いかなる状況にありましても、みんなの幸せをいつも考えています。

みんなが幸せになれる社会をめざしますのが、個人としての最大の願いなのです。

 

全ての人が幸せになりますこと。この祈願は自分が何をいたしますときも組織にいましても、重要な決定を下すときの大原則なのです。

一人一人の人間は常に全体を最優先に考えていますので、当然ながら定められた社会制度の全てはことごとく一人一人のことを最大限に配慮した内容になっています。

 

まさに宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」を、個人個人が現実に体現しているのです。

よく言われます、個人か全体かという二者択一の問題にすり替えてはならないのです。

 

あくまでも、一個人それぞれが原因となりまして、全体の幸せという結果を産み出し、各個人の幸せがもたらされるのです。

この順序の逆は、存在しないのです。

 

高度に進化しました人と言いますのは、全体の進化のことしか眼中にはないのです。

しかし、そういう人たちも元をたどりますと、今の私たちと同じ段階を通ってそこまで進化を遂げられたのです。

 

より霊的に成長します鍵となりますのは、いかに全体のことを自分事として受けとめられるかであります。

これは別に自己犠牲をすすめているわけではありません。

 

深いレベルにおいて、全体の一人一人が自分自身でもあると気づいていますので、全ては自分事としてしか考えられないのです。

自分とは何かを、どれだけ霊的な意味で会得していますかどうかにも関連して来るのであります。

 

 

霊的な成長

 

人が生きている意味は、霊的に成長して行くことにありました。

いろいろな本で読んで来まして、それをようやく知り得ましたが、そういう核心的な事柄を、どうして学校では教えないのでしょうか。

毎日、生活費を稼ぐために仕事をし、欲望を満たして消費するだけが人生のすべてであるとは、とうてい思えません。

 

人間が霊的に進化しますとは、どんなことでありましょうか。

高度に進化した人というのは、普通の人にはない雰囲気(オーラ)をまわりに漂わせていると言われています。

どんな人にもその人独自の雰囲気をまわりに放ってはいるのですが、その力が微弱なため他の人には感じられないだけかも知れません。

 

霊的に進化しますと人が本来、持っています各能力は高まりますと共に、特殊な能力も発揮できるようになると言います。

もっとも、そうした超能力なるものは成長して行く過程で起きます付随的な出来事でありますので注意しなくてはなりません。

 

霊的に成長するとは、イメージとして何となくわかるような気がしますが、ほんとうはどういうことなのか、まだ完全に把握できているわけではありません。

イメージ的には次のようなものが上げられそうです。自我や感情をコントロールできますのと、意識が高く大きな視野で物事を深く思考できて来ます。

人間の起源とその本質、地球や宇宙の成り立ちが理解できております。

 

 

全肯定の選択

 

自分とは何かにこだわっていましたのは、何か自分が特別な任務を背負っているかのように思っていたからでした。

と言いますのは、本質的には他の人たちと異なるものではないと認めてみますと、自分が何者であるかに執着する理由がなくなっていますのに気がついたのです。

 

ありのままの自分を素直に受け入れられまして、思うところに従いまして生きて行けそうなのです。

ずっと問い詰めていました重圧が取れましたような身軽さを感じています。

これまでやって来たことに間違いはなかったという肯定感に包まれまして、今やっていますこともベストな選択でありますのがわかるのです。

 

何を選びましても、最終的な目的地にたどり着く道を歩んでいますのに変わりがないのです。

悩んだりあせったりする必要はまったくなく、失敗を恐れます根拠もいっさい見あたらなくなりました。

これまで問題と見なしていました、どんな事態も全て善なるものであったのがわかります。

 

そうした出来事のどれひとつでも欠けていましたら、今の自分はあり得なかったのですから、全部が正解の連続であったと言えます。

これから行いますのも、好ましい物事しか考えられません。

どれもが正しいのですから、よりワクワクするようなこと、自分に一番マッチしそうなものを選ぶだけでよいのです。

間違いや後悔する場合がなくなり、そこにありますのは信頼です。