自分に帰る

 

自分を信じて行動しますには、相当の注意力を維持していなくてはなりません。

それを頭の片隅に、かろうじて置いておけます段階に今いるところです。

 

では、そのとき以外はどういう状態なのかと考えますと、空中に漂っています様々な想念のどれかにとらえられてしまっているのではないでしょうか。

あるいは無意識に浮かんできます過去の記憶にしたがって、衝動的に動いているだけであるかもしれません。

 

はっきりとした自分の意思や意図というものを持たずに、いわば操り人形と変わらない動きをしているように思えます。

自発的に頭をひねって考え、行動してはいないのです。そうでなかったなら、意識的に過ごすのがこんなにも困難であるはずがないのです。

 

自分を心から信じていますときは、そこに迷いや不安などが入る余地がなく、これが生きる基本の姿勢なのではないかと思います。

外で起きています現象をそのまま内側のスクリーンに映し出し、それを見ていますのが本来の自分なのであります。

 

なのに、なぜ改めて自分自身を信じるように仕向けなければならないのでしょうか。

それは映像に心を奪われてしまい、そこで映っています翻弄されているように見える分身を、あたかも自分だと見なしているからです。

 

つまり体験者としての自分と、観察者であります自分自身とを混同して生きてしまっているのです。

ですから何度も自分に帰るように唱えつづけて、意識を元に戻す必要があるのです。