光の生き方

 

バーバラ・マーシニアックの「プレアデス+かく語りき」には驚くべきことがたくさん書かれています。

自分に取りまして、この世界がすべてではありませんし、またこの世で体験者である自分が、自分のすべてでもないという真実を肝に銘じておく必要があります。

 

確かに、知れば知るほど絶望に陥ってしまうような状況が、この世界にはあまりに多く見受けられます。

かといって逃げ出そうとしたり、簡単にあきらめたりしますのも賢明なやり方とは言えないでしょう。

 

大変な事態でありますほど一層、冷静になって身の処し方を考えなければなりません。

いますぐ捕らえられてどこかへ連れて行かれるのでなければ、まだ対策を練ってそれを講じることはできるのですから。

 

客観的に考えてみますと、彼らはなぜ地球を乗っ取り人類を支配するのでしょうか。

自分たちの儀式を遂行し、食料源を確保するためなのでしょうか。

あまり触れたくはないのですが、悪魔であるためには悪魔的な要素を絶えず発散させていないと、自分を維持できないからでありましょう。

 

思いやりとか優しさ、信頼など、愛を基調とします思いは、悪に対し免疫としての機能を果たすと言われています。

そして最終的には、光はどんな暴虐をも許すことを学ばなければならないのです。

 

 

豊かさを求める

 

この宇宙が生まれました理由のひとつは、より豊かさを追求するためではないかと思われます。

それを実現して行く媒体として人間や他の生物が創造されまして、豊かさを生み出す源泉として自由意志や創造性、想像力などが賦与されたように思うのです。

奴隷のように酷使されたり、操作されたりするために人類が生まれたのでは決してありません。

 

全体がより豊かになりますには、構成員の個々が創造性を発揮して豊かになり、更なる豊かさを求め続ける意思を貫かなければなりません。

それから各個人が個人の域を一刻も早く抜け出し、グループから全体へと思考の枠を広げて行きまして、知恵を最大限に働かせる必要があります。

真の個人の豊かさは全体の豊かさから、もたらされるものであるからです。

 

個人が行います第一歩としまして、信頼に裏付けられました愛を自身と周りにできる限り満たします。

そして、周りのありとあらゆる存在の本質である愛を見届けます。

どんな出来事にも意味があることを認め、それらを謙虚に受けとめます。

この人生は自分を磨く修行の場と考えますと、何が来ようとも恐れるに足らずです。

 

 

考えが現実に

 

たとえ、どんな厳しい状況下に置かれたとしましても、そこを切り抜けて行きますには、自分が何を信じどのように考えて行くのか、が要となるように思うのです。

心より考えました通りに物事は展開して行くものであるからです。

 

そういう意味でも、普段から何を信じて生きているのか、がとても重要だと言えます。

どうしても自分が信じている範囲のことしか頭に浮かばす、それしか考えられないものなのです。

 

もしも自分の可能性をどこまでも信じますならば、あらゆる場合について思考をめぐらすことができますので、相当のところまでやり遂げられるはずです。

自己実現された人たちというのは、ほとんどがそういう人々であったのではないかと思います。

 

信頼に足る自分を確立しますには、様々な執着や思い込みなどを手放して純粋性を取り戻します。

自分自身への信頼を揺るぎないものにする努力と共に、望むような現実を心の中でどれだけ微細にわたり創り上げて行くかが最重要であり、それが最大の関心事となります。

 

 

体験から学ぶ

 

いわゆる闇に対しまして、どのように対処していけばいいのでしょうか。

光だけを受け入れて闇には断固として拒絶すれば、それですむのでしょうか。なぜ闇と称せられるものが存在するのでしょうか。

 

この世の中に無駄なものは何ひとつないと考えますと、闇にも何か重要な役割がありますように思われます。

諸々の誘惑に負けましたり退廃的な行動に走ってしまったりしますのも、その根となる怠惰な性質が自分の内にもあったからです。

そのことに気づけましたのも、引き金となります魔の力に出会ったからです。

 

これではいけないと思って強くあろうと努力し、自分の身を立て直す方向に行かせるきっかけを与えてくれたのです。

あるいは、そのままズルズルと深みにはまってしまって、頭をガツンとやられるまで気づかない場合もあります。

いずれにしましても、学びがそこに生まれるわけです。

 

闇と呼ばれますものの中には、様々な試練を人間に与えますことで、向上しようという意欲を呼び覚ます役目になっています。

それに関連しまして、下降があってはじめて上昇が生まれるという構図もあります。

 

成長しますには、それを阻む要因を必要とするのです。不幸な体験を経ましたからこそ、幸福の有り難みを実感できるのと同じです。

夜の明けない朝はないと言われますように、仮にどんな逆境に見舞われましても、いつかは去って行くものであって耐える力を養うときであります。

 

 

心を満たしておく

 

何かをやっていますときに、それが少しでもうまく行かないとイライラし、「いい加減にしてください」という言葉が出て来る場面にときどき遭遇します。

なぜイライラするのでしょうか。また愚痴る声は、いったいどこから出て来るのでしょうか。

 

そもそもそんな些細なことで、イライラするほどに短気でいますのが不思議でありまして信じられないのです。

まったく意識できていませんでしたが、そのときの心はここにあらずの状態であったことです。

 

そして別人のようになって、言うことを聞かない相手やモノに恨みを晴らしていたようなのです。

それは一瞬のうちの出来事でありまして、すぐに自分の異常な行動に気づいて我に返るという具合でした。

 

ずっと以前に取り上げました記事と重なる内容でもあります。

心にスキがありますと、いつでもこうした事態を招くというのがようやくわかって来ました。

 

愚痴が出て来ますのは何かコントロールしようとしまして、それができない焦りからではないかと思われます。

自分の内側や外側には、いわゆる闇の部分に当たるものが存在します。

だからといって、それらを敵視したり恐れたりしますと、ますます相手を助長してしまいます。

 

どのように向き合って行けばいいのでしょうか。

闇には闇の存在理由がありますのを、まず認めて行かなければなりません。

 

意図を持って行う

 

観察者の視点をつねに持っていることの重要性は、思っている以上に大きいように思います。

本来の自分を忘れてしまいますのは、体験者に成りきってそのまま突っ走ってしまうからでした。

 

ですから冷静でいられますように、あまり深刻に物事を受けとめないように注意する必要があるのです。

体験者の身として気をつけなければいけないのは、ほかにどういう点があるでしょうか。

 

選択した結果によりましては、恐れで固まってしまって身動きが取れなくなります。

恐怖心を抱きますのは決して悪いことではなく、何かを教えてくれるサインだとして受けとめるように切り替えます。

 

もし恐怖を感じましたら、そこから逃げ出そうとせずに何に恐れているのか、その恐れるものをじっと見つめて対峙するのです。

これは自分に何を伝えようとしているのか、と考えます。

 

そのほとんどが、不注意によるものや軽はずみな行動に対する警告でありまして、以後充分に注意して行かなければと思うのです。

普段から明確な意図を持って、事に当たっているかどうかが問われています。

 

「よしっ、自分を信じてやろう」と、体験者であります自分に信頼を寄せますことで、その信頼に応えます自分がもう一方にいるのを忘れないことなのです。

 

 

自分に帰る

 

自分を信じて行動しますには、相当の注意力を維持していなくてはなりません。

それを頭の片隅に、かろうじて置いておけます段階に今いるところです。

 

では、そのとき以外はどういう状態なのかと考えますと、空中に漂っています様々な想念のどれかにとらえられてしまっているのではないでしょうか。

あるいは無意識に浮かんできます過去の記憶にしたがって、衝動的に動いているだけであるかもしれません。

 

はっきりとした自分の意思や意図というものを持たずに、いわば操り人形と変わらない動きをしているように思えます。

自発的に頭をひねって考え、行動してはいないのです。そうでなかったなら、意識的に過ごすのがこんなにも困難であるはずがないのです。

 

自分を心から信じていますときは、そこに迷いや不安などが入る余地がなく、これが生きる基本の姿勢なのではないかと思います。

外で起きています現象をそのまま内側のスクリーンに映し出し、それを見ていますのが本来の自分なのであります。

 

なのに、なぜ改めて自分自身を信じるように仕向けなければならないのでしょうか。

それは映像に心を奪われてしまい、そこで映っています翻弄されているように見える分身を、あたかも自分だと見なしているからです。

 

つまり体験者としての自分と、観察者であります自分自身とを混同して生きてしまっているのです。

ですから何度も自分に帰るように唱えつづけて、意識を元に戻す必要があるのです。

 

 

信じて選択する

 

普段、自分の考えていますことを、いかに疑ってかかっているかがわかりました。意外にも、ほとんどと言っていいほど自分を信じていないのです。

それで信じる方向に、ともかくも舵をきるように意識を向けました。否定的な想念がこんなにもはびこっていましたのに驚きます。

 

肯定的な思いに取って変えますには相当の根気強さを試されており、是が非でもやり遂げます。

黙想のときに、全身をできる限り信頼の波動で包みました。今までにない境地に身も心も震えていました。

 

しかし、黙想が終わってからは、またいつも通りの状態で過ごしていました。

翌日、目が覚めましてもそのままで、しばらくして思い出すまでずっと信じる決意のことを忘れていました。

 

自己改造の第一弾が、まだ始まったばかりですから、あったことやこれからやりますことは、すべて前向きにとらえ考えて行くのです。

いますぐ出来ますのは、意識をしっかり持ちまして、いかなるときも迷わずに自信を持って選択します。そして断固として実行します、ただそれだけです。

 

もう一つ大事なのは、それらの結果でもあります身に起こる出来事は潔く受けとめまして、もし改善すべきところがわかりましたら直ちに改めます。

原因であります自分が、どうすればいいのかは周りが教えてくれているのです。