個は全体の縮図とも言われますように、ほんとうの自分とは、考えられます全てを有する存在でありますに違いないでしょう。
つまり自分というのは、何者でもない者かも知れません。
絶えず流動的で、とらえどころのない、あらゆる可能性そのものが、本来の自分かも知れないのです。
もしそうだとしますと、明確にこれだと特定しますのは、そのほかの全てを否定しますのと同じになってしまいます。
自分の一部分をもって、全体もそうであるかのように言ってしまうのです。
これは言葉で言い表せませんのに、そうしようと試みるからでありまして、ある意味ではそれも仕方のないことです。
自分という者を敢えて表そうとしますには、たくさんの要素からいくつかだけで表現せざるを得ないのです。
ですから問題となりますのは、その内のどれをもって表現するかでありますが、
自ずと意識に上がって来ましたものや、頭に浮かんで来ましたもので限定するほかはありません。
それは脳に刻まれました記憶の中から特に、一番心に響きました事柄でありましたり、強く印象に残った体験の断片であります。
それらはどれも全体の縮図を宿してはいますが、ほんの一例に過ぎないこと、自分の全てを表してはいないことをわきまえています必要があります。