全てを許し祝福する心

この境地に立つと、もう人や自分が何をしようが、何が起ころうが、その本質だけが見えているだけです。

こうでなければいけないとか、これは間違っているとかいう判断やこだわりが一切なく、それらは全体からすれば枝葉に過ぎないことを見抜いている状態です。

 

その人の本心は何なのか、とらわれていることからの解放に向かうのか、益々とらわれの方向へ突き進んでいるのか。

敢えて問題にするとすれば、そのことだけを留意して関わるなり、観察すればいいということでした。

 

 

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