謙虚さを学べるのは娘から

 

謙虚になるためには自分はどうあればいいのか、この機会に考えてみました。

例えば、運転中に方向指示器を出すのがが早いと言われた時、運転していた当事者という立場をはなれて、第三者として聞く姿勢に切り替えていれば、

自分のやったことは確かに早かったと謙虚に受けとめられたのではないかと思います。

 

それで、急に切り替えることはできないので普段から、やったことに対して執着せず、その都度、手放すぐらいに身軽でいることを心がけたいと思うのです。

ところで、物語の主人公と脚本家のことも触れたいと思います。

 

私たち一人一人は、自分の人生の主人公であると同時にその脚本家でもあるということです。

でも、自分の一生なのに脇役で過ごす人もいれば、悲劇の主人公を演じる人もいたりします。

 

いずれも本人は意識していないかもしれませんが、そういう脚本を選んで自ら演じていることに変わりはないのです。

この脚本家になるというのが、観察者の視点で生きるということに通じるのです。

 

よく陥(おちい)りがちなのが、主人公という当事者に成りきってしまって脚本家であることを忘れ、被害者を演じてしまうことです。

私も過去の人生で被害者をずっと演じていた時期がありました。脚本家でもあることを知らせれてやっとそこから脱出できたのです。

脚本家であるとは、自分が知らずに被害者という役を演じていたストーリーを自由に書き変えることです。

 

望まない状況を望む状況へと変えるにはどうすればいいのか?

まずその望まない状況は、自分がもたらしたことを素直に認めることです。その上で、どういう風な状況へと変えたいのかを明らかにすることです。

そして、そうするためには自分はどういうことをしなければならないのかをリストアップします。

 

その後はリストに優先順位を付けて一つずつ手がけていくのです。もちろん先のことはわからないので、融通と余裕をもつことも必要です。

ただし、やると決めたことは確実にやっていくことがポイントだと思います。

 

 

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