役立つ人となる

● 進んでいけば、山もあり谷もある

 

ネットを活用した活動の可能性は、知れば知るほど興味深いものがあります。

いろいろな方面から多様な情報を得て、この種の全体像が少しづつ見え始めました。

もっと本格的に学んで新たなステージへ進むには、それなりの覚悟と時間、労力を投じる必要があります。

 

あるとき新たな出費が発生し、お金の工面が必要となりました。

ある人に頼んだところ、まったく予期しない返答で断られました。

その人から自分に投資してもらい、つながりを持ちたかっただけでした。

 

10年後をめどに、このウェブサイト上において充実した内容を網羅することをめざして来ました。

そんな中、自分の状況を振り返ってみて、始める前と大して変わっていないことに気づきました。

目標設定を「10年後の4月1日までにメッセージを5000通にする」というように、より明確に改めました。

 

日数が経過しても意欲を保ち続け、覚悟を決めて始めたことを積み上げるだけです。

とにかく1つずつ、着実に進めて行くことです。

未来からやって来る山も谷も、両方を楽しめばいいのです。

 

● 消費から「投資」に転換する

 

お金は消費すれば、なくなって戻ってきません。

この事実を、どのように受けとめるかが、大きな分かれ道となります。

どういうことかといいますと、今までこの事実がわかっていなかったのです。

 

もしも、大切なお金がなくなってしまうことが本当にわかっていれば、くい止めようとしたはずです。

思考を最大限、働かせてお金が失くならないように、何とか防ぐ方法を考え抜くこともできたのです。

つまり消費にお金を使いながら、無一文になる怖れから思考停止していました。

 

この状況を、消費から『投資』という視点を持つことで大きく変えることができます。

これまで自分が何をしていたのか、見えていなかった状態から抜け出せるのです。

お金がなくなっていく状況を最小限にくい止めて、増やすことを真剣に考える頭に切り替わるのです。

 

その第一歩として、自分自身に投資することから始めて、お金の用い方を変えて行きます。

自分の力を高めることに、お金や時間、労力の大半を使うということです。

持てる能力をより生かせる人間になる必要があり、最終的には人々に役立てて行くことにあります。

 

● 氣づきを与える人が求められている

温かく見守り、気づきを与えることこそ、最高の学びではないでしょうか。

親子であっても仲間同士であっても、人ばどこででも学びのチャンスがあります。

 

そのためには、相手のことをよく理解する必要があります。

今どういうことで相手は困っているのか、どんな風にしたいと思っているのか、をつかみます。

そうしてはじめて、自分の知り得たことや経験したことが役立てられ、力になれるものです。

 

じっくり話を聞いてあげるだけで、相手は頭の中が整理できて解決してしまうこともあります。

聞くときは、ただひたすら聞くことに徹して余計なコメントなどを入れないことです。

相手の言葉だけでなく、そのときの感情や顔の表情などにも氣を配ることが大切です。

 

直接会えない場合は、文章や音声、動画などに事例をまとめて提供すれば、必要としている人に喜ばれます。

文章や音声、動画などのコンテンツには、わかりやすくかみくだいた文言と実例や体験談などを加えます。

混乱をまねく情報や誤った情報が世にあふれているので、これだけでも十分な価値があります。

 

最短最速で望む結果が得られる、氣づきを深めてくれる人が求められています。

時の流れが早くなって新たな氣づきから、更なる氣づきが次々と生まれるようになりました。

間違いがあったとしてもすぐ修正できる、気づきをもたらす出合いの重要性がいっそう増しています。

 

● 相手に与えることで自分は与えられる

 

徳を積むと言う意味で『天にたくわえる宝』という言葉があります。

 

この地上で、見返りを求めておこなう行為は「消えゆく宝」と呼ばれます。

これに対して、見返りを求めず他者のためにする行為のことを「天の宝」といわれてます。

いつまでも消えることのない宝が『天にたくわえる宝』です。

 

今後、重要度が増してくるのが、この天に貯金をする『天にたくわえる宝』です。

自分ひとりの力だけでは、大したものは生まれません。

その力を他者に奉仕することに向けることで、得られることがたくさんあります。

 

人間同士の関係は、ちょうど細胞同士の関係と似ています。

細胞ひとつひとつだけでは何もできません。

 

それらが集まることで、例えば胃という組織を作り消化という役目を果たして、

人の命を支えています。

 

一方で、各細胞は心臓から送られてくる血液中の酸素や栄養をもらい、ほかの

器官によって生かされています。

 

ここで注目すべきは、それぞれの細胞は見返りを求めて働いているわけではないということです。

ほかの細胞をひたすら助けることによって、ほかの細胞から助けられているという事実です。

 

人間社会も、この細胞同士の働きに見習う必要があります。

見返りを求めず他者のために尽くすことは結局、自分のためであることに氣づくことです。

そうすれば細胞たちのように、もっと調和の取れた世界になるはずです。

 

人間ひとりの力から、すべての人の力を呼び起こせるのです。

利他の心でおこなう『天にたくわえる宝』から、生まれて来るのです。

 

まずは自分から与え始めることです。

それがいますぐできることであり、自分を生かす唯一の道でもあるのです。

 

● 精一杯に生きる

 

ただひとつだけ、どの人にも言えることがあります。

それは、誰もが一所懸命に生きているということです。

楽をしたいと思うのも、楽ではないからそう望むものです。

 

人はつねに最善の選択をしようとして、その人なりの最善の努力をはらっています。

生命それ自体にとっても「生き続ける」のは、大変なエネルギーを要するものです。

 

例えば、「食べる」という行為を取り上げてみます。

食べることは、そもそも身体にとって大きな負担が生じます。

 

食べ物を噛むことから始まって消化や吸収、排泄までの重労働を身体は

こなすことになるのです。

 

頭を使い思考することも、脳にとっては莫大なエネルギーを必要としています。

結局のところ、見た目がどうであれ一個の生命体として、私たちは必死に生き抜こう

としている点でみな同じです。

 

身体が懸命に生き切ろうとしていることで、私たちは多大な恩恵を受けています。
いずれにしても、今できることを精一杯にやるしかないのです。

 

身体がどう消化しようと悩んでいるでしょうか?

身体は楽しようと手を抜いたりするでしょうか?

もっとも身近な自分の身体に、もっと見習うべきかもしれません。

 

身体をさんざん酷使して、私たちは何をめざしているのでしょうか?

現状を少しでもよくしようという意図を持って生きているだろうか。

少しでも人に役立つ、価値あることをしているかどうか、自分に問うことが大切です。

 

● 他者がなければ、自分もない

 

ブログを書く日というのは、書かない日と比べてどう違うのかを考えてみました。

 

書いていた日のほとんどは、自分の中にいる受け手であるあなたに対し、

伝えたいことを滞りなく書いていたということです。

 

あなたのことが頭にないときには伝えたい内容も浮かばず、書こうという意識も

ないままに一日が過ぎていたのです。

 

このことからブログは自分のために書いていたわけではなかったのです。

自ら発信しなければ、ネット上には自分はいないのと同じことです。

 

そこに自分がいるためには、読み手のことを絶えず意識して書いていかなければ

ならないのです。

 

“他者がいなければ、私もいない”とは、こういうことであったのです。

私という存在をもっと深く認識するためにも、画面の向こうのあなたに向かって

これからも書きつづって行きます。

 

読み手であるあなたとのつながりがあるからこそ、こうして私は書くことができて

存在することができるのです。

 

ブログといえども一種の対話で成り立っているということがわかります。

受け手にもっと積極的に投げかけてみる氣にもなれます。

 

 

鍵は自己信頼にあり!