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「食べ物」の変わりように唖然とする

 

 

二十数年前に、娘のアトピーをきっかけにして、本来の「食べ物」に、こだわり続けてきました。

そして最近では「食べること」の意味が、自分なりに見えてきて「食べ物」へのこだわりがなくなってきたのでした。

結局のところ、何を食べようと食べまいと大差のないことを知ってからは、「食べ物」への関心も薄らいでいました。

ところが、あるきっかけで、「食べ物」を切り口にして、今の世界や日本を見てみると、「食」に対する意識や「食べ物」の変わりように驚くばかりです。

そのときの衝撃は痛烈でした。気持ちをもちなおして、今度はこれまで以上に「食べること」「食べ物」にこだわって行くことを決めました。

「食べる」行為には、「食べること」以上に、何か絶対に譲れない大切なものがあるように思えてしかたがないのです。

 

今や食べ物の多くは、食品として日本をはじめ世界各地の大工場で大量生産され、また規格に沿った農産物が流通しています。

数十年前には考えられなかったスピードで、「食」にまつわる状況が世界規模で一変してしまったようです。

食べ物だけではなく、身のまわりにあるもの、例えば携帯電話もスマホに変わり、どんどん変化の度合いも激しくなっています。

まるで、ある決められたレールの上を猛スピードで走らされているように感じたりします。否応なく、ある方向へ進むよう仕向けられています。

そのことに気づいている人もいれば、全く気がついていない人もいます。深いところでは、誰もが気づいているはずです。

流れそのものを変えることが出来ないにしても、いま自分は何をしてるのか?どこへ向かっているのか?

せめて、それだけでもわかって行動していることが大切です。

 

 

人と人とのつながり

 

いま関わっている直売所では、ほとんど顔なじみの常連のお客さんが大半です。

そして今度、地元に大きな「道の駅」がオープンするに伴って、16年続いた、この直売所は閉鎖になります。

果たして、新しくできる大規模な道の駅・直売所でも、お客さんと顔なじみの関係が作られるのか、かなり疑問を感じています。

 

顔の見える関係の中で、食べ物をやりとりする内は、安全安心面についても暗黙の内にキープできていました。

しかし、不特定多数を相手の商売となると、どうしても一元客としての薄い関係でしかなく、安全安心も建前論として扱われがちです。

コンビニ全盛の時代において、お店とお客とは、いっときの売り買いだけの関係のほうが、効率はいいのかもしれません。

 

でも、こと食べ物に関しては、安全安心の面からいえば、お互い顔見知りの間でのやり取りのほうが望ましいはずです。

知っている人や顔なじみの人に、おかしなものや危険なものを売ることはないので、自ずと信用は保たれていました。

 

食品業界の見えないところで、信頼を損なうようなことがまかり通っている今日、人と人との本来のつながりを取り戻せる、強固なしくみが望まれています。

 

 

食べ物と安心

食べ物と安心は切っても切れないもの

なぜ私にとって食べ物と安心が切っても切れない関係なのか、と考えて
みました。

東京で生活していた時に娘が生まれましたが、やがてアトピー性皮膚炎
の症状が現れて、その痛々しい姿に最初はどうしていいのかわからずに
オロオロするばかりでした。

原因を調べてみると食べ物による影響が一番大きいことがわかりました。

それからというもの、口に入れるものには気を使ってきましたが、水や
空気のきれいなところを求めて地方での子育てを決意したのでした。

今は地方の不便さにもすっかり慣れて、娘も来年ようやく望んだ職場に
就ける資格を手にするまでに成長しました。