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望むことを生きる

 

これだけは捨て去るわけにはいかない願望、あるいは理想はいったい何なのでしょうか。

そういうものが果たして自分にもありますのでしょうか。

勝手に向こうの方から表れて来るのではなくて、やはり自分で見つけ出して行かなくてはなりません。

 

これまでに、どういうときに、どんなことを願っただろうかと振り返ってみました。

困りきって立ち往生しましたときに、すぐそばに力になってくれます人がいたら何と心強いかと思いました。

 

また、逃げ出したいほどみじめな目に会いましたとき、自分にどんな状況でも乗り越える強さと勇気を持ち合わせていたならと、願わずにいられませんでした。

大勢の人が寄り集まりました席で、自分が名乗り出るチャンスがありましたときも、何ものをも恐れない勇気と自信がみなぎるほどあれば、即座に行動しましただろうにと思うのでした。

 

ほかにも似た例がたくさん出て来そうですので、集約してみますと、

①いざというとき、必ず頼れる人がいると確信している。   ②すでに勇気や強さが自分に備わっていることを認めている。 ③自分は信頼に足り得ると知っている。

結局のところ、人間の本性を信頼する自分が、強さや勇気、自信の源泉となりますこと、自分が信頼に値しますことを自覚しているのです。

 

 

譲れない願望

 

普段から、どうあって欲しいのかをもっと鮮明に描きまして、持ち続けていますことがとても大事ではないかと思います。

何も持っていませんと突然、望んでいない状況に出合いましたとき、適切な対応がとっさに出来ないからです。

 

どんな人にも、こうであって欲しいと言う願いが、必ずやあるに違いないのです。

ただ、それを心の奥深くにしまい込んでいますので、意識しないで何も望みがないかのように毎日を過ごしています。

 

なぜ自分の願いを奥に引っ込めてしまっているのでしょうか。

ひとつは小さい頃、人に言いましてバカにされた経験がありましたからでしょう。

人から自分の願い事を酷評されて育ちましたので、二度と口にするまいと決めてしまったのではないでしょうか。

 

もうひとつは、社会に出ましてから自分の無力さをさんざん思い知らされ、痛手をこうむったからかもしれません。

容易に自信が持てない表れとしまして、願いをいだいたり夢を描いたりしなくなって来ましたように思います。

 

しかし実は、自分の持って生まれた本領を発揮しますのは、一度打ちのめされました後なのです。

ご破算にされて否定されましてもなお、これはというものが浮かび上がってまいります。

 

本心からにじみ出ました願いは、そうやすやすと葬られますことはあり得ないのです。

自分に嘘をつかない限りは、ある段階から立ち直って行けるものです。

これだけはどうしても譲れない、そういう願望を自分の中でもっと大きく取り上げて、養って行きます必要があると思うのです。