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具体的取り組み

 

心身にこれ以上の毒素を取り入れないようにして、これまで取り込んでしまった望ましくないものについては、清める方向に舵を取るところまで理解できたように思います。

具体的にどのようにやっていくのかが見えてきません。かといって外に答えを求めても見つからないでしょう。

 

内側から何らかのメッセージを聞き取るように、ここは集中するときなのかもしれません。

次に問いが与えられました。自分の心身に対して、どんなことをして上げられるのでしょうか。

 

ひとつには、もっと成長したいという内なる声に耳を傾けます。黙想のとき、ほんとうの自分とつながれますように意識を切り替えます。

これぐらいはいいだろうという甘いささやきに聞く耳を持たず、必要のないものは口にしません。毎日、軽い運動を取り入れて心臓を鍛えます。

 

また対外的には、意に沿わない出来事をもれなく許します。すべてに対して例外なく、愛と優しさを持って接します。

努力目標としまして、エゴが語る言葉をことごとく放棄します。欲望に走ることをやめ、個人的な意思を手放します。

 

 

永遠の存在

 

これまでの最大の間違いは、やがては老いて朽ちて行きます肉体を自分だと思って来たことです。

この人生で体験するための借り物でしか過ぎない身体を、自分だと信じ込んでいたのです。

 

ほんとうの自分とは、様々な体験を味わう主体であり永遠の存在である意識でもあります。

これまでも、そしてこれからもずっと未来永劫、完璧な存在としてあり続けるのです。

 

この次元での役割を終えましたら肉体は死を迎えますが、私は別次元へ移って行き、別の使命をもって再び新たな人生を生きるのです。

ですから、死を恐れる必要はまったくないわけです。

そのときが来るまでは、この人生でやれますことに集中して取り組めばいいのです。

 

本来ならば、不安になったり心配したり悩んだり落ち込んだりする理由はどこにも存在しないのです。

また、五感がとらえます周波数の世界というのは、全体の極々一部分でしかありません。

 

もっと広大な世界に目を向けて、そこへアクセスする術を身に付けて行かなければならないのです。

たとえ、どんな絶望的な状況であろうとも自暴自棄にならず、どんなに悲惨な運命に遭遇しようとも自分を信じ、あきらめたりしなければ幻想に打ち勝つことは出来るのです。

 

 

毎日ワークを実践

 

心構えとしては、真の望みだけを描き、私利私欲を捨てて、やるべきことに集中することです。

そのひとつひとつをどのようにして行い、定着させていきますのか。それを次に考えていかなくてはなりません。

 

ほんとうの自分にとっての望みは、全体の幸せと霊的に進化しますことしかあり得ません。

あれこれと欲望を持ちますのは、個別意識が支配しているときなのです。

ですから全体意識に通じていますには、愛に意識を置かなくてはなりません。

 

自分がもし愛でありますなら、どう行動するでありましょうかと考えてみます。

私利私欲を持たないようになるためにも、つねに愛とともにいることが重要となります。

考えようによっては、自分の身体や周りのあらゆるものが愛で満ちていると言えるかも知れません。

 

ずっと以前に、あるワークショップで二人一組になって両手から愛のエネルギーを送るワークをやりましたところ、相手はびっくりするほどのエネルギーを感じたと言っていました。

愛は意識できますだけでなく、自分からエネルギーとして送り出すのも可能だと知りました。

 

意識的に見たり触れたりするときには、そのものに愛を差し出しているようにも思えます。

意識を集中させるとは、一心に愛のエネルギーを投じるということではないでしょうか。

毎日、愛のワークを実践して行くと考えればいいわけです。

 

 

自分と取り組む

 

抗しがたい宿命的な要素を数多く意識の面で、あるいは細胞レベルにおいて背負っていますのは重々承知しております。

にもかかわらず、この小さき自分としましては、内側から発せられます何らかの意図をできるだけ明確にとらえまして、

それを日常の心構えとして持ち続けられましたら、いまとはまた違った生活が展開して行きますような気がするのです

 

いかにして内なる声を聞き取り、その通りに実行しますのかが重要になって来ます。

その声は、よほどのことがない限り向こうからやって来ることはなく、こちらから投げかけた内容に対して、返答に相当しますものが返ってくるだけなのです。

 

いま抱えています問いは、みんなの幸せを考え、全体の幸福を祈願し続けますには、どのようであればいいのかです。

そして最終的には、ほんとうの自分と常時つながるという意図があります。

なぜ、全体の幸福を求めるのでしょうか。それが真の自分の願いでありまして、いまの世界はみんなが幸福ではないからです。

 

それでは、自分はどうありましたらいいのでしょうか。みんなの幸せだけを願い、無私無欲で、いま出来ます事柄を全身全霊でやりますのに尽きるようなのです。

①望みだけを描き続け、②私利私欲を捨てて、③やるべきことに集中いたすことです。

 

 

信頼と実践

 

なぜか以前と比べて、ひとりっきりになる傾向がすっかり定着して来ましたように思います。

前は仕事の仲間に会いましたら声を掛け合ったり、また一緒にイベントを企画したりして楽しんでいました。

ところが2年ぐらい前から、会っても挨拶程度で済ましているのが当たり前になっています。

 

もともと内向きな性格でしたので、元に戻ったような気がしますが、何か腑に落ちないのであります。

これまで人とのつながりの中で学び、成長して来られたと思っていましたのに、ここに来て人との関わりを敢えて避けたくなりますのはどうしてなのかと不思議に思ったりするのです。

 

別に人間が嫌いになったのでもなければ、人付き合いが不要とも考えましたのでもなく、ただ家族以外で人と親密になる必要性がなくなってしまったのです。

特別な何かに脇目も振らず集中する機会を、天は与えてくれたのかもしれないと感じますことがあります。

そして何に没頭すべきかは確証が持てないだけで、思い当たるところがないわけではありません。

 

もうこれ以上、迷っている暇はありません。進むべき道はこのようにして目の前に用意されたのだと気づきました。

手元には必要なものが、すべて揃っていました。ここまで来ましたことに感謝しつつ、後は自己を信頼して実践あるのみです。

 

 

観察に専念する

 

主に黙想を通しまして、自分を観察するようにしています。

当初は思考します自分と観察しています自分とを、同時に共存させますのがきわめて困難でありました。

ある考えに、はまりきってしまうか、あるいは観察の視点をもつときかの、どちらかでありました。

 

ごくたまにでありますが、想念をいだいていますところを、離れて見ている状態になれる瞬間がありました。

このまま時間をかけて行っていきますと、観察者の目で自分の思考や感情を追って行けそうに思います。

 

ここで注意しなければいけないことがひとつありました。観察する側に立った自分は、ただそのことだけに専念し続けます。

このとき、決して思考をコントロールしようとしてはならないのです。

あるとき誤ってそれをやりまして一瞬、頭がおかしくなって混乱してしまいました。もう二度とやるまいと思いました。

 

自分の心をただ見つめるだけに集中しておりますと、時間の経つのがとても速いように感じます。

そこで次からは、思考や感情をどれだけ詳細にわたって眺められるのか、そこに気をつけながら進めて行きましたら、もっと時間を有効に使えそうな気がいたします。

 

 

最大の関心事

 

時間管理術についての動画を、続けて3回見ました。最初に見たときは、わからないところがいくつもありました。

ところが2回、3回と見ますたびに、それまで気づけなかったところに気がつきまして、先ほどまでわからなかった内容がようやくわかりかけて来たのです。

続けて3回見るという効果をまざまざと実感できました。つぎの質問がポイントでありました。

 

「なぜ時間を管理する必要がありますか?」

もちろん、それは時間を無駄にしないためです。だれもが無制限に時間を与えられていません。

限られた期間のなかで、最短最速で目標を達成したいと思いますのが、ごく当たり前です。

時間をうまく管理しまして何とか、無駄なときをなくそうと努力いたします。

 

しかし、それができるかできないかは、目標達成までの長期間にわたって、どれだけ情熱を持ち続けられるかどうかにかかっているのです。

大部分の人は、効率のよい時間管理が未だできていないのが実情です。

 

ですから注意点としまして、立てる目標は、自分が一番情熱の持てるものでなければならないのです。

あまり興味もなく、好きでもないことをやり続けて行きますのは、非常に苦しくて難しいです。ここで失敗してしまうケースが非常に多いのです。

 

もし、それが最大の関心事のことでありましたら、そこに無駄なときが生じる余地はありますでしょうか。

多少の困難に出合いましても、少しの努力で難なく切り抜けて行けます。

言われなくとも頭は四六時中、どのようにすればうまく行くのかを考えていますので、いろいろなアイデアも生まれて来るのです。

ここでは時間管理の出る幕がありません。

 

そうした状況の中では、参考となる動画や資料などを立て続けに3回読みますことも、さして苦にはならす、

理解の度合いが格段に深まって行きますのも、当然の成り行きと言えましょう。

 

 

ただ在るだけ

 

いったい自分とは何なのかと思いました。

もちろん自分は、自分でしかないのでありますが、今まで気がつかなかった体験をしましたので、それを紹介させてください。

仕事の合間で休憩していましたときに、ふと自分の内側を、愛で満たしてみようと思い、そうしましたところ、続けられそうな気がいたしましたので、しばらく、そのままでいました。

 

すると、そこでは思考がいっさい働かないのに気づきました。

短いあいだではありましたが、この「愛の状態」としか言いようのない在り方では、時間が過ぎていく気配もまったくありませんでした。

これは何なのだろうかと考え出しました途端に、何者でもない状態は消え去りまして、元に戻っておりました。

 

そして、意識をどちらに集中させるかによりまして、通常の思考の世界と愛だけの状態とを、交互に行き来しますのも可能であることを知りました。

愛と呼ばれますものに意識を向けますと、いまの自分という感覚もなく、ただ「在る」だけになるのです。

おそらくは、これが自分の本質にもっとも近いものであると思われます。

 

ですから、「愛で一日を満たしなさい」とよく言われているのでしょう。

その状態になりますと、何の考えも浮かばず、何かを感じることもありませんが、それでいて、すべてがそこにありますのがわかるのです。