自分の中に、ある力というものを感じるときがありました。自分にはその力こそが、自分のすべてであるような気がしました。
自分とは何だろうか、その力のことなのだろうかと思いました。
例えば物を見ている自分や考えている自分とは、物でもなく考えでもなくて、この肉体でもないということはわかります。
自分がここにいることは確かなのですが、見えず聞こえず触れることもできないそれは、自由に動かせる肉体を通して存在を示すことはできるのです。
車を運転しているとき、ふと気づいたことがあります。自分の車をどうのように運転するかは、自分で自由に出来ます。
しかし前を走っている車は、自分で自由に出来るものではないという、ごく当たり前のことをつい忘れるものです。
自分がどんなに急いでいたとしても、それは前の車や周りには全く関係のないことであるのに、道を譲ってくれないことにイライラし、不平不満をぶちまけるのです。
自分で自由にコントロール出来るものと、そうでないものとを識別することさえ、いまだ出来ていないということです。
これは元はといえば、自分の原動力の源である、ある力に気づいていないから、こういうことが起きるのだとわかったのです。