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同胞と向き合う

 

先日、久しぶりに親しい人と話す機会がありました。相手の方が一時、体調を崩されて、その理由をいろいろと言われていました。

それを聞きました後、そうではなくこうすべきだと諭すように自分は言っていたのです。相手のあり方を駄目だと否定していましたのに、後で気がつきました。

 

どれだけ優しく言ったとしましても、自分の意見を押しつけていたことに変わりはありません。どうしてこうした行動に走ってしまうのかを考えてみました。

ひとつには、相手を上から目線で見ていました。気づかない内に傲慢な姿勢で応対していました。そうでなければ、相手を批判するような接し方は生まれて来なかったはずです。

どんな高尚なことを考えて行きましても、人を見下し驕りある態度が出て来ます素地が自分にあるということです。

それを認めて警戒を怠らないで行きますと共に、謙虚さをもっと養って行かなければと思いました。

 

ふたつ目としまして、人にはそれぞれ、その人自身を常に見守っています存在がいます。

ですから、人のことはその人に任せまして自分が心配します必要はなく、それよりも自分を正しますことに専念すべきなのです。

 

みっつ目として、ひとつ目と関連しますが、相手が誰でありましても、その相手と自分とは人間的に全く対等であります点です。

たとえ年齢や地位などがどんなに離れていましても、それらは本質にはいっさい関係がないのです。

同じ道を歩みます同胞として、お互いに向き合っているのですから、それを決して忘れてはならないと思いました。

 

 

こき使われる

 

「なぜ、いつもこき使われなければいけないのだ」と、こぼすことがあるとしたら、それがいま取り組むべき課題であり、向き合うときなのかもしれません。

再度「こき使われる」ことを取り上げてみました。

 

もし職場や家庭、あるいはそれ以外のところで、自分は「こき使われている」と思うときこそ、大きなチャンスです。

ほんとうは「こき使われている」のではなくて、幸運にも人に尽くせる場に自分はめぐり合えたからです。

 

さらに言えば、こうしたチャンスを自分から招き寄せたということにも気づかなくてはなりません。

でも自分には、まったく身に覚えがないと言い張るかもしれませんが、現状からすればこういうことであり、またそう受け取るほうが賢明なこともわかるでしょう。

 

不平不満を言っている場合ではなく、自分が願ったことが実現しているのであって、このことについてむしろ感謝し喜ぶべきであり、そうした状況にいま自分がいるということに気づくことです。

まず「こき使われている」と思うこと自体を直ちにやめ、自分はその人に尽くそうとしているだけ、と考えるのです。

 

なぜ、自分の本心は人に尽くそうとするのか?それは自分をもっと磨くためなのです。

尽くす立場に身を置くことで、つねに自分の最高を差し出すことに余念がないからです。

そういう意味で人に尽くすとは、自分に尽くすということでもあるのです。

 

特に自分のうちに謙虚さを大きく育て上げて、これ以上に自分を高めてくれるものはそう多くはありません。

人に尽くしていくという生き方は、あらゆる人との信頼関係を揺るぎないものにします。

 

どんどん、自分を人にこき使ってもらうことです。

いまの段階では人にこき使われて、そこではじめて、その人に尽くすことができるのですから。

人を育てる喜び

 

社会人になって就職した会社で部下をはじめて持つ身になったときの話です。

自分が指示した通りにやったことに対し(もっとも彼らにとっては当然のことをしたまでかもしれませんが)

 

私にとってはその時に体験したことは、とても新鮮で彼らのその態度と姿勢に感激してしまって、謙虚さというものの大切さを教えてもらい、それが伝わり合うものであることを実感しました。

それ以来、人の成長を見守り育てていくこととそれにふさわしい自分に成長していくことが自分の使命のように感じて今日まで来ました。