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誤りを認め許す

 

「どうしてあんな馬鹿なことをしてしまったのか!」と過去の自分を悔やむときがよくありました。

その度に自責の念にかられて、いてもいられなくなってしまうのです。

 

当時は、それなりの指針や目的などがあって行ったのであり、いい加減にしたわけでは決してないと認めるまで、自分を苦しめていました。

それ以降は完全に癒やされたとは言えませんが、脳裏にかすめるくらいで済んでいます。

 

過去のすべての行為を認めて自分自身を許しましたが、一度だけく何度も許さなくては拭えないもののようです。

後悔の念と言うものの、その執拗な影響力の大きさを思い知りました。

 

人生に失敗は付きものであって、その失敗の中に新たな気づきや学びが得られるのだと理解しなければなりません。

過去の誤りを、悔いるのをやめて前向きに受けとめ、これからの糧とする決意が必要でした。

 

 

体験的に知る

 

なぜ、創造のプロセスが始まったのかを想像してみました。ありとあらゆるものは元々一つの存在でありました。

あるとき、その存在は自分が全てであって完璧であることを知っていましたが、それが一体どういうことなのかを体験的にも知りたいと思ったのです。

 

そして、それを体験したくてたまらなくなりました。体験するためにはどうすればいいのかを考え、乗り物であります肉体と、それを統御し観察する分身(魂)が必要であることに気づいたのです。

そこで、体験したいという思いを徐々に大きく膨らませ、ついには大爆発を起こして一つだったものから、たくさんの微少な部分が生まれたのです。

 

「神智学大要」によりますと、大筋として超微粒子を束ねて基本となります構造物を作り上げましてから、それらをいくつか集めて物質の構成単位となる原子の基を作りました。

また違った角度から「神との対話」では、自分が光であることを知っている小さな魂がそこから離れ、闇の世界に入って光を体験として知る話があります。

 

もう一つの体験としては、許すというテーマで述べられています。なぜこの世に悪がはびこり、許せない状況があるのか、それを解きます意味深長な内容であります。

 

 

理解することから

 

これから人といい関係を築いていくにあたって注意することがあります。

それは、相手が根本的に信頼に足る人だとしても、その人を頭から信用して大丈夫だとは言いきれないことです。

また、こちらがいくら信頼をよせたとしても、相手がその信頼にこたえるとは限らないことを承知しておく必要があります。

 

ほかのことでもいえることだと思いますが、見返りを期待して何かを行うときは、往々にして望ましくない結果を招くということです。

信頼関係を何かの手段に利用してみたり悪用しようとする人は、二度と周りからは信用されなくなるでしょう。

 

信頼できるというのは、生き方に共鳴できると言い換えてもいいのかもしれません。ですから、何も知らない人に信頼を抱くことは基本的に出来ないわけです。

相手のことをよく知ることは、人と関わって行くのに欠かせません。お互いに理解し合っているからこそ、信頼関係が生まれてくるからです。

 

いきなり信頼することをめざすのではなく、相手を理解することから始めて行くことが大切かもしれません。

理解しようとする心に、見返りや打算、損得勘定の入る余地はないはずです。

 

自分への信頼を深めていく上でも、自分を知ること、理解することに焦点をしぼって取り組めば、自然と自分のことがより好きになって行くものだと思います。

自分のことは知っているつもりでも案外、自分のことを理解できていないものです。

 

なかなか自信がもてないのも、自分のことがよくわかっていないからかもしれないのです。

たとえば、失敗したときのくやしい思いとか大恥をかいたことなど、過去のさまざまな痛手で、いまもなお傷ついたままの幼いころの自分がいることを知っているでしょうか。

 

何かの拍子に忘れていた過去のことがチラッと浮かんで来たり、理由もわからず突然泣き出してしまった自分にびっくりしたことはありませんか。

思い出せる範囲で一度、過去の自分にさかのぼって、そこで自分をいじめた人たちと向き合い、彼らを許すことを学ぶ必要のある場合があります。

 

自分がそうだったのです。許すことができただけで、ずいぶんと心の重荷が減ったように思います。

 

 

ありのままの自分が大好き!?

仮に1つや2つ出来たからといって、あるいは出来なかったからといってそのことに余りに重きを置き過ぎていないかどうか振り返ることが重要だと思いました。

しかし、これまで私は小さい頃から自分が出来ないことに対して大きなコンプレックスを感じながら育ち、何で自分は出来ないんだと出来ない自分を許せなかったことも度々でした。

 

だから、そういう過去の自分を重ねて出来ていない今の自分もどうしても好きになれないことがわかりました。

でも、それだからこそ自分が大好きだと言える自分になる必要があるのだと思います。

 

 

100%の自分でいる

 

どんなに前向きに考えようとしても、その時々の感情はいつも同じという訳には行かず、どうしても起伏があります。

ポジティブな感情でいることもあれば、些細なことで弱気になったりしてネガティブな感情におそわれることもあります。

 

自分が自分でなくなるとは、例えば怒りという感情が起こった時に自分が怒りそのものに乗っ取られてしまう場合です。

いつもの冷静さがなくなり、自分で正しい判断ができなくなる状態になってしまうのです。

 

100%の自分でいるには、例えば怒りの感情が起こった時、怒りそのものを十分に味わった後はその怒りに対し距離を置くと決意することでした。

怒りという感情がやって来たら、いずれ去って行くまで、その間だけ自分にいることを許して上げればいいのです。