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ゆっくりとしか身につかない

 

新しく得ました知識は、焦らないで一つずつ日常生活で応用して行けばいいわけです。

例えば、生命は永遠に生き続けるという真理があります。

 

永遠の時間が与えられているということは、どう考えて行けばいいでしょうか。

どんな人間であっても理解して活用できるようになるまで、とことん学べるということだったのです。

 

納得の行くまで試行錯誤してもよろしいですし、そのための時間はいくらでもあるということなのです。

知識というものは行動に移してみてそれを感じ取り体験して、はじめて身につくと言われているのです。

 

 

誤りを認め許す

 

「どうしてあんな馬鹿なことをしてしまったのか!」と過去の自分を悔やむときがよくありました。

その度に自責の念にかられて、いてもいられなくなってしまうのです。

 

当時は、それなりの指針や目的などがあって行ったのであり、いい加減にしたわけでは決してないと認めるまで、自分を苦しめていました。

それ以降は完全に癒やされたとは言えませんが、脳裏にかすめるくらいで済んでいます。

 

過去のすべての行為を認めて自分自身を許しましたが、一度だけく何度も許さなくては拭えないもののようです。

後悔の念と言うものの、その執拗な影響力の大きさを思い知りました。

 

人生に失敗は付きものであって、その失敗の中に新たな気づきや学びが得られるのだと理解しなければなりません。

過去の誤りを、悔いるのをやめて前向きに受けとめ、これからの糧とする決意が必要でした。

 

 

友愛の精神

 

F・C・スカルソープ著「私の霊界紀行」によりますと霊界の上層界では、そこの住民は自然に友愛の念を発散していると言います。

この友愛の精神がいかに足りないかを自覚していないことが、人に対してあんな軽はずみな言動を許していたのでした。

 

自分がこんなにも冷淡で、無慈悲であったのかと驚くのでした。

人を批判して嫌みを言うような態度は、二度とさせない決意で改心しなければならないと思うのです。

もうこれ以上、悔恨の思いを重ねたくありません。

 

もしかしまして、以前にも似たような過ちをやっていて、そのときも大いに反省したという記憶がよぎって参りました。

それを考慮しますと、根が相当深いのを思い知ります。

 

好ましくない態度を取り除きますには、それに取って代わる新しい態度を養って、それを身につける必要があります。

そこで、友愛あふれる自己を引き出して、常にそうでありますように努め監視して行くことから始めます。

 

 

自分中心を改める

 

霊的成長こそが、長いあいだ探し求めていました道であります。シルバーバーチの霊訓に出会いまして、それに確信が持てました。

この道を歩み、すべてを託したい気持ちが益々大きくなりつつあります。

 

なるべく高い視点に立って物事を考え、できるだけ広い視野を持って世の中を見るように心がけています。

永遠に生き続けることを思いますと、つかの間に過ぎない地上での人生で、少しでも人に役立ったと胸を張って言える人間でいたいと望みます。

 

染みついています自分中心の習性を何とかしなければなりません。

一つ一つそれに気づくことから始めて、次からこうしようという風に改め決めてかかることにしました。

 

例えば、毎日の車を運転します自分の行動の中に、自己中心的なところが随所に見られます。

こちらのほうが優先だからという理由で、思い上がった気持ちになって運転している場合が多いのです。

 

何度か、右折車に道を譲ったほうがいいと思ったら即、実行しました。

自己中が改まるまでは、意識してハンドルを握らなくてはなりません。

 

 

挑戦する価値

 

理解しておかなければならないのは自分という者でさえ、ほんの一部でしか知りようがないということです。

知らない部分の方があまりにも多いという事実です。

 

だからといって悲嘆に暮れる必要はなく、現段階で知りうることを一つずつ学んで行くしかありませんし、それが着実な生き方でもあると思われます。

しかし逆にとらえますと、自分の中には秘めた可能性というものが無限にあると言ってもいいのです。

 

ですから、今できないこともいずれできるわけですから、落ち込む理由はないのです。

確実に一段ずつ進化の階段を上って行くだけです。すぐ実行できますのはただ一つ、人助けであります。

 

毎日心がけるべきは、いかに人に役立てるか、何とか役立とうと努めるのみであります。

そこで利他愛の実践があります。例えば、横から割り込んで来た車に対して、その運転手の幸せを祈れるでありましょうか。

こうした難しい場面でこそ挑戦する価値があります。

 

 

生き方の転換

 

霊的な成長に取りまして利他愛を実践しますことが最良だと知りました。しかし、とても難しいことだと実感しています。

これまでの生活というのは、欲しいモノを揃えて快適に過ごす生き方や、自分が損をしないようにと自己中心的な考え方が主流でありました。

 

他者を第一に考えるのとは対極のそれらが身に染みついていますので、その方向にどうしても引っ張られてしまうのです。

これって、できない言い訳になっています。では、どうしたら一八〇度の軌道修正ができるでしょうか。

 

まず、なぜここに来て利他愛なのかを充分に検討を加えて、これからの行動指針の柱となるように心を入れ替えていかなければなりません。

生き方の大きな転換ですので、急な切り替えでは反動が来る可能性もあり、この数日間は温めて見守るのが妥当のようです。

 

 

より高い自分

 

本質に気づかないよう思考回路は分断され、身体的に改造されているのですから、自分がつねに低い周波数に立ち戻ろうとしますのも仕方がありません。

そのことに気がついていますだけでも、それに見合う適切な対応は可能だと思います。

 

自分の持てます数少ない機能をフルに使いまして、自力で一歩ずつ本来の性能を回復して行くのです。

そこで必要になって来ますのが、まず明瞭なビジョンと愛に満ちたハート、そして信頼であります。いま考えられますビジョンほかは、次のようなものです。

 

私の内の暗闇にことごとく、光を行き渡らせるのを意図します。私に起きるすべての出来事を前向きにとらえ、それを愛で強化して放って行きます。

もしも恐怖心が襲ってきましたら忌み嫌うことなく、愛の周波数で受けとめますように意図します。

 

私は自分の考え、そのものが自分の世界を創り上げていますのを重々承知しており、そうした力を持ちます自分を限りなく信頼します。

私の内にあります、より高い自分を発見します喜びを、すべての意識と分かち合えますことを意図します。

親愛なる神よ、私の意図が成功裏に終わりますように勇気と行動力と忍耐とを私にお与えください。

※参照 バーバラ・マーシニアック著「プレアデス+かく語りき」

 

 

気づいた人間から

 

「自分を信頼している」と絶えず自分自身に言い聞かせていますと、無気力さや荒々しさなど好ましくない雑念を振り払うことが出来ます。

また、空気中にはラジオやテレビの電波をはじめとしまして、人間や高等生物などが発します想念が飛び交っています。

 

それを忘れてしまって無防備な状態にいますとき、否定的な考えやエネルギーなどを取り込んでしまいがちです。

そこを充分に注意しなくてはならないのです。

 

それでなくても、すでに心身を思い込みや化学薬品などで毒されており、洗い清めて行く努力が求められているのです。

たとえば、社会を良くしようとしても無駄であるとか、自分ひとりの力ではとても無理であるとか、誰も聞く耳を持たないし相手に歯が立たないから何をやっても無意味であるとか、そうした無力感に包まれています。

 

学校や職場では競争し、核家族化とスマホが行き渡り会話のない家庭が増えるに至って、私たち一人ひとりは完全に分断されて孤立状態と言えます。

大都会ではもちろん地方に住んでいましても、お互いに助け合うということが出来にくい状況にあるのではないでしょうか。

 

社会は急速に分業化が進んで、共同社会は確実にくずれつつあります。

気づいた人間があきらめずに、出来ますことを手がけて行くしか道はないように思われます。