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人はそれぞれだと悟ること

人はそれぞれ、自分のやりたいようにして生きている。

そのことに、つくづく感じ入っています。

 

それはどういう意味かと言いますと、

例えば私は添加物の入った食べ物は、極力口にしないように心がけています。

ところがいちばん身近な家族の中にあっても、添加物の入った食べ物を買って食べています。

添加物の害については、これまで言って来たことなので、今さら改めて言うつもりはありません。

そして相手のどんな選択も尊重するようになった自分に気づくのです。

 

自分がどんなにいいことを知り、学んだことでも、それがそのままほかの人にとって、いいことだとは限らないからです。

結局、人は自分が良かれと思うことしか受け入れられないということに
やっと気がついたということです。

たとえ、どんないい話であっても、その人にそれを受け容れるだけの準備ができていなければ、なんの役にも立たないことです。

 

人の問題に関心をもつとしても、決して深入りしてはならないということ
です。

当たり前のことですが、その人の問題は、その人自身にしか解決できないということです。

他人はその人の、その選択を尊重しなければいけないのです。

 

それよりも自分にできることは、自分の問題にもっと目を向けることであり、それに専念することだけなのです。

人の問題に関心はもつとしても、少しは参考にしてもらえればいいや、
ぐらいの気持ちで情報を伝えれば、ちょうどいいのです。

 

 

 

「不食が人を幸せにする」を見て

 

私には今の社会が、違いを認め合う社会だとはどうしても思えません。私が理想とする社会は、真に「認め合う社会」です。

お互いの異なった主義主張やあり方を認め合い、そうした個人の多様性を生かす社会であり、自由に生きることが尊重され奨励される社会です。

だから、食べる食べないの選択もまったく個人個人の自由であり、食べる人がいれば食べない人だっていてもおかしくないのです。

 

まだ自分は食べ物を摂らないでも生きられるレベルにまで至っていませんが、もし食べなくても
生きられる状況になれたとしたら、確実にいまとは大きく違った生き方をしていることと思います。

1日24時間の大部分を活動に投じていて、自分の能力をフルに稼働させて自己成長に勤しみ
それをリアルタイムに情報発信しているのです。

それが現実となる日も近いような気がしています。

 

認め合う社会の実現を望むには、まず自分の中にその理想をつくり上げなければなりません。
むしろ内面にこそ強固な、調和と共存の礎(いしずえ)を築かなくてはならないのです。

 

 

1日1食の体験記18~現在の状況

1日1食の体験記18~現在の状況

私がめざしていることは、食べる食べないということに、
一切こだわらなくなって、より自由になることです。

今までがあまりに食べることにとらわれていましたので、
それをまず手放すことが先決だと考えています。

身の周りやどこかに出かけたりすると、飲食に関連する商品、情報が
あふれており、手放すことは容易でないことを実感します。

だからといって食べないことに、とらわれ過ぎても、別の枠に
ハマる結果になってしまうので注意しているところです。

数十年来、私が口にして来た物は、ほとんど野菜と穀物でしたが、
それでも不都合なく過ごして来られました。

栄養のあるものを食べなくては、生命が維持できなくなる
ということは、ほぼ間違いだと思っていますので、

何も食べないても生きている人がいる、と聞いても
自然に受け留めることができたのだと思います。

食べる食べないことや何を食べるかは、その人の趣味趣向の
問題で、生きて行くには別段どちらでも支障ないように思います。

飢餓という問題は、食べなければ生きていけないという
強い思い込みが、大きな要因になっているように思います。

例えば地震などの自然災害に対して、恐怖感をいだくのは食べものが
絶たれる恐れに反応している面もあると思うのです。

食べないと生きられないという思い込みを持ったまま、食べられない
状況になったら、食料をどう確保するかは死活問題になります。

しかし逆に、食べなくても生きていけるということを知った瞬間に、
大きな安心感に包まれるのです。

1日1食体験記13~少量の昼食で乗り切る

1日1食体験記1317~少量の昼食で乗り切る

ほぼ以前の1日2食の形に戻しましたが、わずかでも1日1食の体験を経た
後なので2食は通過点としてとらえています。

これまでは食べるのが当たり前でしたが、今はいずれ食べなくて大丈夫だと
思って食べているのです。

いつでも食べないことを選べる自由を持ちながら食べていると、かえって
食べものというものが尊く有り難いものに思えます。

前よりも食べることを楽しめるようにもなり、1日1食に向けてじっくり
歩んで行くプロセスととらえており、何のこだわりもないのです。

食べなくても生きて行っている人たちの存在が大きな支えになっています。
1日1食でも、食べなくてもいいんだとわかり、とても楽になったのです。

自分の人生をイメージし続ける

自分の人生をイメージし続ける

いま自分に与えられた人生というのは、自由にどう生きてもいい人生でも
あると思うのです。

だから、人に遠慮して生きる必要はないし自分が生きたいように生きても
全く問題がないということです。

生きたいように生きる!そう決心さえ出来たら、何でも出来るように思え
て来ます。

それは世界に向かって自分が生きている意味を与え続けることでもあると
思うのです。

どんな人生にしたいのか?これは常に問い続ける価値のある言葉でした。