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自由意志の恩恵

 

悪と呼ばれるものがありますからこそ、人間は自由意志の恩恵を受けられるのだと知りました。

確かに善なるものばかりであれば、どれを選択しても善なのですから代わり映えしない状況となります。

学べるチャンスも生まれて来ないと言えそうです。

 

善でないものがなくては、善ということも理解できないと言えそうです。そう考えてみますと、物事に善悪がありますのも納得が行きます。

いろいろな不都合が生じてから、間違った選択をしてしまったことに気づく場合があります。

その体験を通して、正しい選択とは何かが学べたわけです。

 

間違ったことが悪とは一概に言えませんが、カルマの法則に沿った結果を受け取って、そこで気づかされるのです。

人はなぜ悪の道に走るのでしょうか。当人はそれが悪とは思っておらず、それこそ善であると信じて突き進んで行くように思えます。

そして自分のまいた種を刈り取るときになって、はじめて自分の言動の誤りに気がつくのだと思います。

参照の本:エベン・アレグザンダー著「プルーフ・オブ・ヘヴン」

 

 

最高の人間

 

人間に与えられた役割とは何なのか、自分個人のことを考える以前に、誰もが一度は問い返したことがあるのではないでしょうか。

自由気ままに振る舞っていいのだろうか、決してそうでないことを、人は心の奥底では知っているのだと思います。

 

だから、やりたい放題のことをやっている人を見ると、あの人は間違っていると思うのです。

好き勝手に自分がやっているときには、それになかなか気づかないもので、人から言われてハッと気がつくものです。

 

人間には、やっていいことといけないことの節度をわきまえる能力が最初から備わっているものだと思います。

それなのになぜ、そこから逸脱してしまうのか、とても不思議なことだと思ってしまいます。

おそらく、それは自由意志というものをはき違えているからなのでしょう。

 

ある意味では確かに他の生物とくらべて、人間に与えられている自由の度合いは格段に大きいものがあります。

それをいいことにして人間は何をしてもいいのだ、という思い上がった考えが芽生えるのかもしれません。

 

人間にしかできない、あることをやり遂げるために自由ないし自由意志というものがあるのだと気づくべきでしょう。

しかし、自由意志といえども無制限に許されるわけではないはずです。この自由意志とは、何なのでしょうか。

 

仮に、どんな強制があったとしても最終的に、自分が行う「選択の自由」のことではないかと思うのです。

地上のあらゆる生物の頂点に立つ人類は、ある重大な役割を担っていることだけは確かです。

個人個人の役割というものはすべて、この人類に課せられた役割の延長線上にあるものだと言えます。

 

もし延長線上になければ、それはその人の自己満足でしかないものです。自己満足のどこがいけないのか。

人生を単なる自己満足だけで、終わっていいのかどうかを自分に問いかければわかることです。

 

人間に与えられた役割とは、いったい何なのでしょうか。いまの段階で言えることは、考えられる最高の人間になる、ことではないかと思います。