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霊的存在であること

 

自分という存在が肉体をまとった霊的存在であるのは、何となくわかってまいりました。

この自分が霊的な存在であるとは一体、どういうことなのでしょうか。

 

ある目的を携えて物質世界に降り立ち、そこで必要な体験を積むために一時的に肉体という衣をまとったということでしょうか。

しかし生まれ出た瞬間に、そうした全ての記憶は消されてゼロの状態から人生を歩み始めたわけです。

 

そして、いまようやく本来の自分という存在に目覚め、その目的などを思い出そうとしているのだと思います。

これまでの自分には想像も及ばないほど、遙かに大きな可能性を秘めました本当の自分というものが潜在意識でありました。

 

霊的存在であるとは、大霊から永遠の生命を授かった存在と言えるでしょう。

それに伴い、霊的な成長を限りなく続けて行く存在でもあるのです。

 

 

信頼と感謝の念

 

人生においてあるいは他者に対しての、信頼と感謝に満ちた態度はどのようにして生まれ、身に付けて行けるものでしょうか。

なぜ片時も忘れないほどに信頼できていないのでしょうか。いま自分の置かれています状況を正しく認識していないからでしょう。

 

こうして存在していること自体も奇跡でありますのに、そのことにさえ気づいていないのです。

どうしてでしょうか。人間や自分自身に対する無知、これが最大の問題と言えるかもしれません。

 

どうすれば、自分についてもっと知ることができるのでしょうか。もっと知ろうと欲するのです。

人間とは何でしょうか。自由意志を行使して霊的に成長する存在だと言えるでしょう。

 

なぜ人類は生まれ出たのでしょうか。創造しそれを体験するためだと思われます。

実際、それらを可能にします大いなる力が常に働いているのです。

一瞬たりとも忘れられたり見捨てられたりすることなく、支えられていないときはないのです。

 

いついかなるときも命は脈動し、その生命の息吹が感じられるでしょう。

それがわかれば、どうして信頼と感謝の念が湧いて来ずにいられましょう。

 

 

自分とは何か

 

いずれにしましても、自分というものを探求して行く身であることは自覚しています。

なんとなれば、自分とは何なのかを知らずにいるのは到底できない段階まで認識が深まったからです。

 

限られた範囲内とは言え、創造者としての資質を備えていますことや自分がまいた種は自分が刈り取らなければならないということを真に理解し始めたところなのです。

なぜ人類というものが生まれたのでしょうか。どうして宇宙というものが存在しているのでしょうか。

 

その宇宙は、どのような仕組みになっているのでしょうか。宇宙や人類を何のために、誰が造ったのでしょうか。

これらは自分を知るための手がかりになるような気がするのです。

 

 

霊的無知に気づく

 

これまで自分が知り得なかった死後の世界や霊界についての知識を授かりつつあります。

もっとも以前から漠然と、死んだ後も人は生き続けるのではないかと感じていました。

 

しかし、シルバーバーチの「古代霊は語る」の書を紐解いていきますと、死んでからが本当の意味で生き始めるのだと知ることができたのです。

とても驚くと同時に、長年の疑問が氷解する内容でありますだけに、深い感謝の念がわき起こりました。

 

100年ほど前に英国での家庭交霊会において、50年以上にわたって語り続けていた古代霊がおられたのです。

その語るところによれば地上界が惨憺たる状況なのは、霊的に無知であることが最たる原因だという指摘でありました。

 

霊的真理をまったく理解していませんから、利己主義がはびこり物質欲に支配された人生を送っていました。

死を恐れ必要以上に肉体に固執しすぎるのも、自分の本質を自覚する上での大きな弊害となっていたのです。

 

気づいたからには、少しずつでも霊的な無知から抜け出していかなくてはなりません。

 

 

気づくことから

 

この世界において、霊的に生きるのは非常に困難な状況であります。だから逆に大きな霊的成長が可能なのだと思えるようになりました。

乗り越える山がありますからこそ、乗り越えるという経験ができるのです。何もないところで成長するということのほうが難しいのではないでしょうか。

 

どうすれば人間の真性をいつも忘れないでいられるのでしょうか。

一つは現象面での出来事や自分の振る舞いを、当事者の目線から観察者の目で眺めるように努めることです。

二つに、自己中心的な考え方をどれだけ改めて行けますかです。

 

まずは、自己本位で動いていたり、考えていたりしたとき、いち早くそのことに気づくように心がけます。

自分で自分の考えや行いを終始、観察し続けられますように気をつけます。

 

 

体験的に知る

 

なぜ、創造のプロセスが始まったのかを想像してみました。ありとあらゆるものは元々一つの存在でありました。

あるとき、その存在は自分が全てであって完璧であることを知っていましたが、それが一体どういうことなのかを体験的にも知りたいと思ったのです。

 

そして、それを体験したくてたまらなくなりました。体験するためにはどうすればいいのかを考え、乗り物であります肉体と、それを統御し観察する分身(魂)が必要であることに気づいたのです。

そこで、体験したいという思いを徐々に大きく膨らませ、ついには大爆発を起こして一つだったものから、たくさんの微少な部分が生まれたのです。

 

「神智学大要」によりますと、大筋として超微粒子を束ねて基本となります構造物を作り上げましてから、それらをいくつか集めて物質の構成単位となる原子の基を作りました。

また違った角度から「神との対話」では、自分が光であることを知っている小さな魂がそこから離れ、闇の世界に入って光を体験として知る話があります。

 

もう一つの体験としては、許すというテーマで述べられています。なぜこの世に悪がはびこり、許せない状況があるのか、それを解きます意味深長な内容であります。

 

 

役割を自覚する

 

ある本を読んでいましたら、10ものグループそれぞれの役割について事細やかに、周到に書かれておりました。

大きなことを成す目的で各専門のグループが集まり、分担して取りかかる例を挙げられていました。

 

人間一人ひとりが持てる最大限の力を出し切れる、そうした人たちがグループとしてやり遂げるのです。

さらに、そんなグループが連携し合い、束になって成し得ることは計り知れないものがあります。

 

しかし、それさえも全体のごく一部分であると考えますと、その先はもう想像を絶する規模へと発展して行くであろうと憶測できるだけです。

この宇宙のミクロの世界からマクロの世界まで、数多く存在します全てのものには、それぞれに託された役割というものがあります。

また、それを唯一果たすために存在していると言えます。どれもが全体の一部を担って、支え合っているのです。

 

全体の中の各構成員は、本来そういう重要な役目を受け持っていますのを重々自覚していて当然なのです。

ですから、自分の担っていますことは何であるのかを認識して、生まれて来た理由でもありますその使命を、いまこそ果たして行かなくてはならないのです。

 

 

意識して行う

 

日常、どんなことを心がけて過ごせばいいのでしょうか。朝、目覚めましたとき、一番に何を思い浮かべるかです。

少なくとも嫌な気持ちにさせますことは決して思い描かないように、できれば明るい気持ちになれますような言葉を口ずさむだけでもいいと思います。「よしっ、元気で行こう」と。

 

起きてから、いつもの仕度をやっていますときに、今日一日やり遂げたいことはないか考えて、何か一つやってみようと決めるのもいいのです。

仕事を始める場合には、いきなり取りかかるのではなく全体の流れをざっと描いた後、今日気をつけるところはどこかを考えてから取り組みます。

 

何をするにしましても、漠然とやらないようにしなければなりません。

これまでの長い習慣であります無造作にやってしまうのを、改めて行かなくてはならないのです。組み込まれたプログラムを変えて行くのです。

また無心になって行う場合もありますが、そんなときにも意識して行う必要があるのです。

 

やっていますことに、いつも気づいていますのが肝心なのであります。

身は起きていましても、半ば眠っているようなボーッとした状態に自分を置いてはいけないのです。

 

いままで、ただ身体を動かしているだけで、機械的に行っていたのがどれほどあったことでしょうか。

慣れるというのは一見、好ましいと思ってしまいますが、注意を怠り意識をそらします元凶でもあるのです。