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決断のとき

 

人はときとして新たな体験をめざし、住み慣れた地から出ていくように促す、抗しがたい衝動にかられるものです。

そこに考える余地はまったくなくて、ただ「行かなくては」という思いに突き動かされるのです。

 

思えば、ある意味で快適で便利だった東京での生活を捨てて、何の当てもなく見知らぬ土地に家族ぐるみで足を踏み入れたのは、いまから26年前でした。

それは、生まれ育った故郷より単身で東京に出て来てから、10年目にしての更なる転身でした。

 

確かに以前の地にいては有りえなかった、人々との出会いや数々の体験があって、より成長できたこと、それによっていまの自分があること、そう思うと感謝せずにおれません。

二度の節目での決断は、それぞれ間違ってはいなかったのです。

あの当時の自分は、先でどんな結果が待っていようとも、とにかく前進するしかほかになかったというのが正直なところです。

 

山田洋次監督の「家族」を見終わってから、以上のような思いが一気にかけめぐったのです。

この映画では長崎県の伊王島から、はるばる北海道の根室にたどり着きます。

 

人はどんな困難や苦労もいとわず、新天地をもとめて第一歩を踏み出さずにはおれない宿命かもしれません。

これは「あらかじめ入念に計画を練って、あらゆる想定を考え抜き、万全な準備を整えてから」というような、石橋を叩いて渡るものではないのです。

 

その決断するときというのは、どちらかといえば、イチかバチかの勝負にのぞむような心境で、もうあとがない瀬戸際に自分は立つのです。

自分を信じるか否か、有無を言わさず自分を試すときです。

どうも人間には人生の節々で決断し、それを超えて行く必要があるように思います。

 

 

やってみたら?

 

いま自分に、自信の持てることは何だろうかと考えてみます。

ひとつはこうして書き続けていくことに対して、ある程度の自信をもっていることが上げられます。

今日まで書いて来たという実績を念頭において、そう言っているのがわかります。

 

続けてきた成果という点では、ひとまず成功と言えるのかもしれません。

しかし、もっと違う見方ができそうです。

 

さっきの例でいいますと、書き続けたという実績をつむこと、そのことこそ大事であったということです。

経験を少しでも積めば、つぎも出来そうな気がするのも当然で、それがまた出来たとしたら、今度はずっと出来る、と思うようになります。

そうすると、ことさら自信をもつことにこだわらなくてもいいようにも思えます。

 

「出来るかもしれない」とか「出来そうな気がする」とさえ、思えたら十分な気がするのです。

望ましい状態とは、出来るかどうかわからないけれども、やってみたい、という心境になっていることではないでしょうか。

 

「自分をどれだけ信じられたか」という言葉は、次のように置き換えられると思います。

「失敗をおそれず、自分にどれだけ挑戦する機会を与えたか」と。

重要なことは、自分自身に「うまく出来なくてもいいから、やってみる?」と言えるほどに、自分のことを許せるかどうかです。

 

成功するのかしないのか、そんなことは本来の自分自身にとっては、あまり大した問題ではなかったのです。

成功しなくても、やってみることのほうが、はるかに重要だということです。

 

うまく行かなくてもいいし、失敗したって一向に構わない、人生そのものが、自分を訓練する場でもあるのですから、たくさん失敗すればいいのです。

失敗はたくさんチャレンジした証でもあるわけですから。

 

「自信ある?」と人から聞かれたら、迷わず「もちろん」とだけ答えればいいのです。

ドジなことばかりしている自分を、ずっと信じて見守ってくれているもう一人の自分。そんな自分を、自分が信じるのは当たり前ではないか、と言ってやりたい。

 

 

より強くなれる人

 

悩みに圧倒されてしまい、ほかのことに手がつけられない状態になっている自分に気づいたら、どうすればいいのか、を考えました。

いったん、ほかのことにはいっさい目もくれずに、徹底して悩んでみることをおすすめします。

悩み抜く決意をしてみてください。

そうすることで、徐々に悩みというものの実態やその本質のようなものが、何となく見えて来るようになると思います。

 

一度、声に出して、自分はどういうことにどう悩んでいるのかを言ってみてください。

うまく言う必要はなく、出てくる言葉を声に出し、何度も言い換えて言ってみます。

こんどは、なぜそのことで自分は悩んでいるのか、理由を言ってみます。

 

次に最悪の事態になったとして、自分はどこまでなら受け入れられるか、勇気を出して言ってみてください。

そこまで出来るなら、全部引き受けてみるぞと、言葉にして言うだけでいいので言ってみましょう。

よくぞ言いきったと自分を褒めてあげてください。

 

ここまでやれたら、だいぶ気持ちが整理できたのではないでしょうか。さいごに次のことを考えてみてください。

最悪な状況にならないように、いま自分に出来ることがいくつかあるはずだと。

 

何でもいいので、それを10個以上リストアップしてください。

そのうち、すぐやれるものから、ひとつずつ実行してください。悩みに注いできた力を、生きる力に変えていきます。

 

それから、もうひとつ提案したいことがあります。

とことん自分のことで思い悩んだあとは、一旦これらの悩みごとをすべて頭から追い出してください。

そして今度は、どれだけ他者のことを思えるかを試してみます。

 

自分と関わっている人たち、一人ずつ思い浮かべて、その人にしてあげられること、喜んでもらえることは何か、考えていきます。

するかしないかは別にして、とにかく些細なこと、ちょっとしたことでいいので考えてみるのです。

 

人間としての器は、どこまで他者のことを自分ごとのように思えるか、それで決まるといわれています。

自分の器を大きくすることによって、これまでの悩みをぜんぶ自分の強みに、転換してしまう意気込みで明日を迎えましょう。

自分をこき使う

 

前回は、人にこき使われることについて書きました。

今回は「自分をこき使う」をテーマに、進めていきたいと思います。

 

まず問題にしなくてはいけないのは何のため、誰のために自分をこき使うのかということです。

何のために自分をこき使っていく必要があるのかは、自分を高めていくため、より成長するためです。

 

では誰のためにこき使うのか、一にも二にも人々に奉仕していくためなのです。

勘違いしがちですが、そもそも自分の能力を伸ばして、可能性を広げていこうとするのは、何のためなのでしょうか。

自分の立身出世や金儲けのためでは決してありません。

 

なぜすべての人は持って生まれた能力開発の可能性を秘めているのか、それは人々に奉仕するためだと言っていいのです。

まわりで自分を支え助けてくれる人たちは、私たちに奉仕する機会を与え、それを体験させてくれる有難い存在なのです。

権力者の奴隷とか搾取、操作の標的になるためではないのです。

 

自分をこき使って、出来ることは何でもやって行くと、思ってもみなかった力を発揮している自分に気づくことがあります。

奉仕して行く過程で、能力はさらに磨かれていき、可能なこともふえて守備範囲は広がり大変なのですが、充実度も深まっていくのです。

 

信じ続ける

 

どんなことを行うにしろ、またどんな事態になったとしても、いまの自分を信じ続けられるかどうか、それがいつも試されているように思います。

 

心の中を望ましいことだけで満たして行くには、どういうことに気を付けていけばいいのでしょうか。

まず、やることに対して自信をもつことが上げられます。

 

どんな状況に陥ったとしても、自分を奮い立たせる最良の方法は、自分を信じることです。これに勝るものはありません。

もし、いまが最悪で自分を信じることなど、とても出来ない状況だとしても、そんな自分でも良いところの一つや二つはあるはずで、そのことに気づかなくてはなりません。

 

日常生活での浮き沈みというものは、誰しもが経験するものであって、その程度や頻度に違いがあるだけです。

ですから思い通りにいかなくても気にせずにいることです。無理に明るく振る舞おうとしなくてもいいのです。

落ち込みたくなる状況をそのまま冷静に受け止めて、次に臨めばいいのです。

 

「明けない夜は無い」と言われるように、この世は明暗の繰り返しの世界だということを知ることです。

また「諸行無常」という言葉どおりに、この世のあらゆる物事は永遠には続かず、移り変わっていくものだということを受け入れることです。

 

現実の世界はそのようであったとしても、心の中で自信に裏付けられた動じない世界を築くことは、自分次第で可能だということも知っておいてください。

 

 

困ったことに、どう対処するのか

自分が「困った状況にある」ということを別の言葉で言い換えると自分が「そのままでいることができず、何かせずにはいられなくなってしまった!」といえます。

そのとき、その困ったことをどうとらえるのか、がその後の人生を決める大きな分かれ道にはいっていきます。

 

まず困ったことの原因は、どこにあると思うのか?の分かれ道です。
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自分の最高を引き出す力

普段、自分が考えたことや選んだこと、感じたことなどをどれだけ大切に思っているか、
それによって自分をどれだけ信頼しているかがわかります。

自分が大好きな人は、自分を大事に扱おうとするので気持ちも安定し、いつも安心感で
満たされた生活をおくっています。

時には選んだことが失敗だったり、ヘマをしたり、一時的に気がめいることがあっても
きちんと受けとめ、その経験を次に生かそうと考えます。

自分の未熟な状態を受け入れ、それを制覇していく喜びにこそ、大きな価値があること
に気づくのです。

挑戦すべきことは目の前に広がっており、ただ自分のやり遂げる力を信じて飛び込んで
いけばいいだけです。

人生を何のために生きるのか

ジョン・キム氏の『時間に支配されない人生』を読みはじめて得るものが多く、
この著者との出合いにとても感謝しています。

特に、人生で何を一番大切にするのか?人生は何のためにあるのか?が
自分の中ではっきりと見えてきたことで迷いが激減しました。

私は社会人となる20代の頃から、もっと自分を高めたいという思いにかられ、
自己啓発に関することを調べたり自分で研修に参加してみたりしていました。

いろいろなアイデアや考え方などを取り入れたりして試行錯誤してきましたが、
これまで満足のいく結果はなかなか得られずにいました。

例えば、発言する場で考えがまとまらずうまく言えなかったり、大事なところで
やるべきことをやれなかったり、場違いなことをしたりして、そのたびに自分の
未熟さというものを思い知るのでした。

いまの私であれば、仮に発言する場がめぐってきても無理に何か言う必要はないし、
やるべきと思ったことが誤りで、やらなかったことが正解だったかも知れないと
とらえます。

当時は見る視界や考えたりする世界がせまくて、見えなかったり考えられなかった
だけなのです。

もちろん、いまも限界のある視野や考え方をしている点では変わらないのですが、
それを自覚しつつ少しでも広げていくこと、成長する努力を続けたいと思うのです。