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身近にある豊かさ

「豊かさは自ら産み出すものだ」という言葉の意味がようやくわかりかけてきたように
思います。もっとお金やものが豊富にありさえすれば、豊かになれると思うのは錯覚で
あり大きな誤りでした。

真の豊かさは外側にあるのではなく自分の内面の心で、見出すことで生じるものでした。

同じ状況を目の前にしても、そこにあるあらゆる豊かさをどれだけ感じ取れ、どれほど
深く考えられるかで、その状況は豊かに思えなかったり、豊かさに圧倒されたりします。

受け取る側の意思と能力によって、豊かさがそこにあることやどんな豊かさを認めるか
目にしたものの解釈はまったく異なってくるということです。

自分が見ようとせず認めなければ、豊かさというものは現れて来ないものであることを
豊かさを求める場合には理解しておく必要があるように思います。

自分が望むものはすべて持つことができ、想像するものはすべて実現できるというのは
認識を高めた意思の力で、それらは現出できると言っているのだと思います。

豊かさを加速させるもの

 

この世界は富で溢れていることを自覚すれば、すでに自分は豊かであることもわかります。

後は手にある富を使って、更に価値あるものを生み出すことに努めて行けばいいということです。

 

富は持っていることに価値があるのではなく、それが生かされ新たな価値が産み出されることによって富としての価値があることになります。

人間の能力も持っているだけでは意味がなく、その能力を使い新しいものを産み出してこそ、価値があるということと同じです。

 

また祈る行為というものにも、より豊かになるために大きな力になることを知り始めました。

人は無意識に祈り続けた結果、求めていた成果を手に出来たことがたくさんあるはずなのです。

 

 

自分の振る舞いを観察する

無意識な状態とは、基本的に自己中心的であり、ある種の防衛本能が働いているように思いますが、それはある意味で当然のことでした。

 

それに対して意識的に関わって行こうという状態とは、相手に焦点を当ててその人を理解し受け入れようとする態度で、相手と自分は一体だという前提で動くことでもありました。

 

私がめざして行きたい方向は、もちろん意識的に生きることであり、全てとの一体感を取り戻すことなのです。

意識を極限にまで駆使して本来の自分の能力を引き出し、それを使って物事の本質の部分に迫って行くことです。

 

 

豊かさは誰も奪えないもの

一時的な豊かさでなく、真の豊かさには、量的にも質的にも豊かに産み出せる源、能力や資産を有している必要があるように思います。

でもそれは本来、誰にも備わっている能力ではないかと思っています。

そして、その力で得られた知識なり体験を人に与えることによって、産み出す能力がより加速され、益々豊かになっていくのだと思います。

 

ですから、いいと思ったことはどんどんアウトプットしていくべきです。みんなが豊かになり自分も豊かになれるのです。

間違っても奪おうとしたり、奪われないかと心配する必要はなく、もっと豊かになりたいのであれば与えることです。

 

 

偉大さに気づく能力も偉大な行為です

偉大なことには自分は全く無縁だと思っていましたが、でも至るところで偉大なものが日常を支えていることに気づきました。

平凡さと偉大さは紙一重だったのです。だから凡人の私もそこを行き来できる存在のはずです。

 

現に身の回りに見渡しただけでも偉大さがあふれています。ただそれに気がつくかどうかだけの問題です。

身近で最も偉大さを示しているのが身体ではないでしょうか。60兆とも100兆とも言われる細胞一つを取ってみてもその働きは奇跡とも思えるほどです。

 

また人間が造り出したものにも自然から授かった能力の偉大さが凝縮されているといえます。

あれこれと思い悩むことも時には必要ですが、自分が様々な偉大さに囲まれ育まれていることを思えば、どんな悩みも些細で取るに足りないものだとわかります。