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内なる魂と対話

 

「(神のメッセージは)本気で耳を傾ければ、必ず聞こえてくるはずだ。本気で聞けば、無視することはできない。」

と「神との対話」では続きます。

なぜ、今まで聞こうとはしなかったのでしょうか。別に聞く責任はありませんし、受け取る責任もないと確かに思っていました。

 

もし

「神のメッセージを受け取ったと認めれば、自分で考え、実行する責任が生じる」

からでありまして、まさに図星です。

ですから

「神の言葉は誰かほかの人が聞いていると決めつけ、その人たちの言うことを聞いている」

だけでありました。

 

どうして自分で考えようとはしなかったのでしょう。もちろん、他人の解釈を聞いているほうが楽で安全だということも考えられますが、それだけではないような気がします。

「神は特別な方法で、特別な人にだけコミュニケートすると信じて」

いたのです。

 

何よりも自分に神が語りかけているとは、まったく露ほども思えなかったことです。

神というものは、はるか雲の上のかけ離れたところにいる存在としか認識していなかったからです。

自分にも神性を宿しているかもしれないと知ったのは、ずっと後になってからです。

 

そして今ようやく、内なる魂とのコミュニケーションを実感したばかりで、

「この瞬間にも受け取っているかもしれない、神のメッセージを理解しようと努力」

し始めたところなのです。

 

 

経験からの学び

 

魂からの語りかけは感情と思考、経験を通じて絶えずあったのですが、それらに耳を傾けて来なかったのではないかという指摘でした。

確かに気づかないで無視して来ましたのは、全面的に認めます。せっかく経験した内容を、自覚さえしていない場合も多々あったように思います。

 

本気になって経験から学んでいましたら、より高い境地に立って物事に対処できていましたに違いありません。

例えばいま、いろいろな制約の下で生きております。ここからどのようなメッセージをくみ取ればいいのでしょうか。

 

そう簡単には思い通りに事が運ばないというのは、裏を解せばもっと深く考える機会を与えてくれていると思えます。

違った角度からの思考を促すメッセージと受け取れます。あきらめずに、どれだけの強い意志を持って臨んでいるのかを試されているのかもしれません。

 

それでは自分が完璧ではないという体験を通して、学べます点はどんなものがあるでしょうか。

まず、限られた範囲の知識と思考パターンの中で、どのような最大限の成果が得られるかを考えて行けばいいと言えます。

 

次に、その成果を得るためにはどうすればいいのか、持てる知識を総動員しまして実行項目を練り上げます。

そして、その中ですぐ取りかかれるものから順に実践します。もしも成果が得られなかったときには、最初からやり直してみます。

 

以上のように考えてみましただけでも、経験から学べるものは実に多いというのがわかります。 ※参照「神との対話1」

 

 

真実は感情の中に

 

魂とコミュニケーションするには、どうすればいいのでしょうか。「神との対話」によれば、魂は感情を通して語りかけていると言います。

自分が感じています、その中に多くの真実が含まれていると言うのです。

 

ではいま何を感じているのかを探ってみますと、特にこれといったものは見当たりませんでした

しかし、先ほど仕事のことを考えていましたとき、落ち着かない感じがしていました。

 

その原因を考えてみますと、商品が売れ残ったという現象に対して不安を感じていました。

お客さんに気に入ってもらえなかっただけですのに、どうしてそんなに深刻に受けとめるのでしょうか。

 

仕事は順風満帆でなければ、食っていけないのではないかという恐れを持っていました。

でも実際に食っていけないほどに困ったことは、いままでに一度だってなかったのにです。

 

もし、こうした感情が魂から来ているとしましたら、何を伝えようとしているのでしょうか。

売れ残らないほどに、もっと仕事に打ち込めと言うメッセージなのでしょうか。

 

あらゆる努力を傾けて、これ以上は考えられないほどの緻密さで仕事をしているかと問われれば、もちろんとは言い切れず、そういう意味では激励であります公算が大です。

ここまで来まして、ようやく魂の真意を受け取ることができたように思います。

 

 

体験的に知る

 

なぜ、創造のプロセスが始まったのかを想像してみました。ありとあらゆるものは元々一つの存在でありました。

あるとき、その存在は自分が全てであって完璧であることを知っていましたが、それが一体どういうことなのかを体験的にも知りたいと思ったのです。

 

そして、それを体験したくてたまらなくなりました。体験するためにはどうすればいいのかを考え、乗り物であります肉体と、それを統御し観察する分身(魂)が必要であることに気づいたのです。

そこで、体験したいという思いを徐々に大きく膨らませ、ついには大爆発を起こして一つだったものから、たくさんの微少な部分が生まれたのです。

 

「神智学大要」によりますと、大筋として超微粒子を束ねて基本となります構造物を作り上げましてから、それらをいくつか集めて物質の構成単位となる原子の基を作りました。

また違った角度から「神との対話」では、自分が光であることを知っている小さな魂がそこから離れ、闇の世界に入って光を体験として知る話があります。

 

もう一つの体験としては、許すというテーマで述べられています。なぜこの世に悪がはびこり、許せない状況があるのか、それを解きます意味深長な内容であります。

 

 

自分は何者であるか

 

1999年に『神との対話』と出会い、スピリチュアルな世界を知りました。

はじめてこの本を読んで、自分というものについての理解が格段に深まりました。

 

再度、読みはじめてみると、また新たな氣づきが次々と生まれて来るのです。

例えば「非難せずに、すべてを祝福するように」とあります。

 

なぜなら、どんなことも必要があって、自分が創造したことでもあるからです。

このすべては自分に帰着するという考え方は、当初は受け入れがたいものでした。

 

しかし嫌なことを拒絶するより、一旦受け入れてから手放すほうがスムーズに行くことから

大きな自分の一部として、どんなものでも受け入れる余裕が生まれたのです。

 

この人生での目的の一つが、肉体を持っている間に自分らしさを十分に表現して

より自分にふさわしい存在になることだったのです。

 

だから何かをするということは、自分が何であるかを指し示すためなのです。

宇宙に向かって自分というものは、こうなんだと宣言しているようなものです。

 

また何かをしないということも、それは自分にとってふさわしくないのだと

言っていることでもあるのです。

 

では何かを変えるには、どうすればいいのでしょうか。

現状をそのまま受け入れ、すべては一体であることを認めることから始まります。

そして、より自分にふさわしいものを選び直すだけでいいのです。

 

このとき自分は失敗したとか間違ったとか、考えたりしないことです。

今までと違う選択をするだけの話で、別の道を選び直して進めばいいのです。

決して過去に心を奪われることなく、未来を案ずることもまったく不要です。

 

常にいま、こうありたいと願う自分を創造し続けるのみです。

こうして自己の枠をどんどん押し広げ、その枠を取っ払うことにつながります。