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最善を尽くし後は忘れる

やるべきことだけをやれば後は、成るように成るものだということを教えられました。

また、自分に乗り越えられない課題は与えられないということでもありました。

 

今やるべき目の前のことに集中して取り組むことが、後々の試練にも耐え得る力量を蓄え、メンタル面も鍛えられるということです。

私も以前と比べものにならないくらい動じなくなり平静さを保つのも容易になりました。

 

結局、環境に影響されることが限りなく小さくなったということであり、それは自分が認めない限り何ものも存在せず、自分が選ぶ主体であるという確信があるからです。

 

 

自分の可能性

 

どんな人生でも歩むことができると聞かされても、その確証が自分に持てないうちは、どんな人生を歩もうか、などと考える気にはなれないものです。

ただその確証というのがくせ者なんです。確証を待っていたらいつまで経っても先に進めないことを私は知りました。

 

どんな人生でも歩めるかどうか、実際やってみないとわからないというのが真実ではないでしょうか?

だから、やる前から確証なんて持てるわけがないんです。
じゃーどうすればいいのか?

 

自分の望むような人生をその通り生きている人を探し出して、その人について深く理解することで、どんな人生でも歩むことは可能かもしれないと、ある程度の確信は得られると思うのです。

私は、自分が望む人生を現実に歩んでいる人に会ってみて、そのように生きることは可能なんだと知りました。

だからあなたにもぜひ、そういう人に出会って自分の目で確かめてほしいです。

 

もちろん、いろんな分野で成功した人たちの話を耳にしたり、本で読んだりしたことがあるかもしれませんが、そういう人のことをあなたはどのように受けとめていたでしょうか?

成功した人たちというのは、自分にない何か特別な能力があったからで自分とは無縁な人たちだと思っていませんか?

 

よくよく調べてみればわかることですが、成功した人たちのほとんどが成功するまでは普通の人だったということです。

(ほんとうは、どんな人も特別であって普通の人なんて、いないはずですが‥)

ほかの人が成し得た成功を、自分はどのように受けとめるのか、がとても重要です。

 

もし自分の可能性を信じ活かしたいなら、何かを成し遂げた人のことをどう受けとめればいいのでしょうか?

そういう人を、自分と関係のない別世界の人と見るか、あるいは自分の可能性を示してくれた人と見るか。

もしも、いろいろな人の成功をすべて自分の可能性でもあるというとらえ方ができると一体どういうことが起きるのでしょうか。

 

 

どんな人生を送りたいのか?

「自分はどんな人生を送りたいか?」
この問いは毎日やってもいいぐらい、
とても大事です。

私は以前までこんな風にしか
考えられない人間でした。

「あの人が自分のことを信じてくれないから
仕事がうまく行かなかった」
「こんなことになったのもあの人のせいだ」

自分の人生でなく、
ほかの人の人生に生きていたのです。

自分はこの人生で一体どうしたいのか?
それがわかっていませんでした。

自分が被害者意識で生きていることに
まったく気づかず、
問題をすべて
人のせいにしていたのです。

自分の人生を明らかに
生きてこなかったのです。
でもようやく、
そのことに気がつき始めたのは、
ある一つの疑問からでした。

「なんでいつも同じように
相手とぶつかり、
別れることになるのだろうか?」
と不思議でした。

何度も同じパターンであることに、
おかしいと思うようになって、
やがて自分のあり方に原因があり
自分が衝突を招いていたことがわかったのです。

ずーっと相手を替え、そんな生き方でいいのかと
何度も私に教えてくれていたこと。

そのことに気づけて
相手の人に感謝したい気持ちが
どっとわき起こりました。

それ以来、自分は見守られている
という確信と信頼感ができました。

話をもどしますと、
自分の人生を生きるとは、
自分が責任を取りながら
生きるということであり、

自分の人生で起こる原因は
自分なんだという
主体性をもって生きること
でもあります。

だから、どんな人生を送りたいか?
と自分に問うことが
とても大事なのです。