和佐大輔さんの本『テトラポッドに札束を』に、次のような言葉があります。
「わからないから、そこに可能性がある。人間の可能性は、無知であるという一点に尽き、
理解できないから、理解できる可能性がある。‥」
これまで理解できていない自分を認めず、そこだけ見ない振りをしてずっとやって来ました。
この本と出合い、この言葉によって救われ肩の荷が降りたような思いです。
自分は何も理解していないし、何もわかってはいなかった‥ホントにその通りです。
そのことにはっきり気づいたことで、ここから奮起する力が新たに生じてくるのを感じます。
まだ何も理解していないが、いまから理解できるということは知っている。
何もわかっていないからわかる可能性があり、最初からわかっていたらわかる可能性も生まれない。
理解できていないから、理解する余地が残されている。
そこから理解しよとする意欲も湧いてくる。
いろいろな角度から考えてみて、理解するように努めよう。
何度も読み返して、その意味するところを考えてみよう。
理解できたそれぞれの点が、やがては線になって行くのがわかる。
その線が面になって行き、面がさらに立体的な理解になるまで意識して学んで行こう。
もっともっと理解しよう。
理解することに終わりはない!
まだ積み上げたものがないから、これから積み上げて行ける可能性がある。
その可能性を信じ、ひたすら積み上げていこう。
可能性は無限にあるのだから、ともかく積み上げて行こう。
もっと積み上げて行こう。