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ポジティブな態度

 

どのようにしましたら、ポジティブな態度を常にとり続けられるでありましょうか。

揺るぎない信頼が、そこにはあるように思われます。何に対しての信頼でありましょうか。

 

霊的な存在としましては、一身に受けます愛の大元であります大霊への絶大なる信頼と感謝が上げられます。

いつも自分に降り注がれております、愛のシャワーに気づいていなければなりません。

 

また、大霊の限りない愛に値します自分自身への全幅の信頼があります。

みなぎる信頼と感謝に裏打ちされた、自信あふれるところから楽観的な態度が生まれるのではないかと思います。

このポジティブな態度から、更に一層信頼の度合いは増して行くのです。

 

 

異質性の受け入れ

 

霊界では意識状態が同じレベルの人たちとグループをなし、心は一つだと言います。

それでいて個別性は失われていないと言われておりますが、そこがよく理解できないところです。

 

もともと波長の合う人たち同士ですからお互いの繋がりも強く意識できますし、一つになれるのもそんなに難しくはないように思われます。

ある意味では自他の区別もないわけですので、どの人も自分の一部であって他人とは思えない心境にあるでしょう。

まさに友愛の情が自ずと湧き出て来ることと思います。

 

問題は波長の異なる人たちと、どうやって心を通い合って、一つの心境になれるかです。

自己との個性の違いを意識し過ぎて、その異質性から相手を他者として認識する傾向があり、どうしても一つとは思えない状況に映るのです。

それをどのようにして克服していくのか、それを学べる場にいるわけです。

 

 

意識して過ごす

 

先日、一人で友愛の精神でもって周りの人たちを念頭におきつつ、その人たちにお役に立つには自分は何ができるだろうかと思い巡らせておりました。

その課程で、二度も役立つチャンスを逃してしまったことに気がつきまして、無念の心境でありました。

 

この友愛の念こそが、利己主義的な傾向を改める上での心強い味方になってくれると思いました。

これを養って行きますには、どうすればいいのでしょうか。

霊界の上層界の人たちから学ぶべきことも多々あるように思います。もっと霊界について詳しく知る必要があります。

 

飛びきりの友愛で全身を満たすというのは難しいとしましても、絶えず意識して過ごすように心がけています。

そして、どうしたら役に立てられるだろうかと問うことも忘れてはなりません。

 

 

友愛の精神

 

F・C・スカルソープ著「私の霊界紀行」によりますと霊界の上層界では、そこの住民は自然に友愛の念を発散していると言います。

この友愛の精神がいかに足りないかを自覚していないことが、人に対してあんな軽はずみな言動を許していたのでした。

 

自分がこんなにも冷淡で、無慈悲であったのかと驚くのでした。

人を批判して嫌みを言うような態度は、二度とさせない決意で改心しなければならないと思うのです。

もうこれ以上、悔恨の思いを重ねたくありません。

 

もしかしまして、以前にも似たような過ちをやっていて、そのときも大いに反省したという記憶がよぎって参りました。

それを考慮しますと、根が相当深いのを思い知ります。

 

好ましくない態度を取り除きますには、それに取って代わる新しい態度を養って、それを身につける必要があります。

そこで、友愛あふれる自己を引き出して、常にそうでありますように努め監視して行くことから始めます。

 

 

役立てられるか

 

放っておきますと、独りよがりの心境になっています自分に気づき、ほとほと呆れてしまいます。

今のノーマルな自分とは、ことあるごとに人を批判したり裁いたりしているのですから。

 

例えば、寒い寒いと言っている人に対して寒がりだねと批評し、相手から手厳しい反論があってもなお更に嫌みを言う始末なのです。

よくよく考えれば、こういう好ましくない性格が全面に表れますのは今に限らず、これまでもよくあったのです。

そんな自分の振る舞いに自覚さえなく、気づいてもいなかったというのは、何という認識力のなさだったでしょう。

 

これからの対処法としまして、「どうしたら人に役立てられるか」を口癖にします。

もし無意識な状態に気がつきましたら、その時点で改めます。

特に人との応対の際は、意識して客観的に自己をとらえる必要があります。

 

 

自分中心を改める

 

霊的成長こそが、長いあいだ探し求めていました道であります。シルバーバーチの霊訓に出会いまして、それに確信が持てました。

この道を歩み、すべてを託したい気持ちが益々大きくなりつつあります。

 

なるべく高い視点に立って物事を考え、できるだけ広い視野を持って世の中を見るように心がけています。

永遠に生き続けることを思いますと、つかの間に過ぎない地上での人生で、少しでも人に役立ったと胸を張って言える人間でいたいと望みます。

 

染みついています自分中心の習性を何とかしなければなりません。

一つ一つそれに気づくことから始めて、次からこうしようという風に改め決めてかかることにしました。

 

例えば、毎日の車を運転します自分の行動の中に、自己中心的なところが随所に見られます。

こちらのほうが優先だからという理由で、思い上がった気持ちになって運転している場合が多いのです。

 

何度か、右折車に道を譲ったほうがいいと思ったら即、実行しました。

自己中が改まるまでは、意識してハンドルを握らなくてはなりません。

 

 

成長し続ける存在

 

「自分の本体は、あくまでも成長し続ける永遠の霊であって、しかも自分が考えているようなちっぽけな存在ではない」

この言葉に、どれほど力強く励まされることでしょうか。

死を恐れたり、病や身体の不調に思い悩んだりする必要がないのがわかったのですから。

 

そして有り難いことに、私たちには自分を終始守ってくれる守護霊が必ず一人は付いてくれているのです。

これまで危ないときに何度も助けてくれていたのだと知りまして、感謝したい気持ちでいっぱいになります。

 

また、この地上界での生活は、霊界で送る生活のための準備期間だったのです。

どんな準備をすればよいかと言いますと、ともかくも人々に役立つような行いを心がけることに尽きるようです。

 

即刻、利己主義的な考えはいっさい捨て去らなければなりません。

どうしましたら、もっと自分を人に役立てられるでしょうか。

※参考「古代霊は語る」

霊的無知に気づく

 

これまで自分が知り得なかった死後の世界や霊界についての知識を授かりつつあります。

もっとも以前から漠然と、死んだ後も人は生き続けるのではないかと感じていました。

 

しかし、シルバーバーチの「古代霊は語る」の書を紐解いていきますと、死んでからが本当の意味で生き始めるのだと知ることができたのです。

とても驚くと同時に、長年の疑問が氷解する内容でありますだけに、深い感謝の念がわき起こりました。

 

100年ほど前に英国での家庭交霊会において、50年以上にわたって語り続けていた古代霊がおられたのです。

その語るところによれば地上界が惨憺たる状況なのは、霊的に無知であることが最たる原因だという指摘でありました。

 

霊的真理をまったく理解していませんから、利己主義がはびこり物質欲に支配された人生を送っていました。

死を恐れ必要以上に肉体に固執しすぎるのも、自分の本質を自覚する上での大きな弊害となっていたのです。

 

気づいたからには、少しずつでも霊的な無知から抜け出していかなくてはなりません。