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倫理的に正しい道

 

ジェームス・ヴァン・プラグ著の「人生をもっと幸せに生きるために」には、次のような言葉があります。

すべてにおいて意識的に良い点を見つけるようにすれば、前よりはるかにポジティブな人生を送れるようになる。

 

ネガティブな思いを何とか変えようとしますよりも、いつも良い点を見つけるように努力します方が適切でありました。

そうしますだけで、自ずとネガティブな感情もなくなって行きますように思います。

 

どんな最悪と思われます出来事でありましても根気強く探せば、どこかに一抹の希望が見いだせるように思われるのです。

常に倫理的に正しい道を歩むと、言い換えることができるかもしれません。

また、次の言葉も勇気づけられます。

 

自分の意識レベルを上昇させて、出会うすべての人の中に神を見いだそう。

他の人のハイヤーセルフに気づき、つながることができるようになればなるほど、魂としての本当の彼らを理解できるようになる。

 

何か落ち着かないときというのは、その原因として人との魂レベルでのつながりを見失っている場合があります。

その人の高次の存在に気づくことができましたら、強い絆で結ばれていますのがわかり落ち着きを取り戻したのです。

 

 

ただ望むだけ

 

例えば自分が神秘体験をしますには、それ相応の意識のレベルに達するまで修行をしなければならないと考えていました。

そうしますと当然、修行をしなければならない状況へと招かれて行くことになります。

 

このように何かを得るために前提条件を自分で勝手に作り上げていますので、そこから改めて行かなくてはなりません。

どうしてそのような条件を考えついてしまうのでしょうか。

 

小さい内から、価値のあるものは簡単には手に入らないと教え込まされて来たからです。

勉強ができて成績が優秀でなければ、欲しいものを得る資格はないと言われて育って来たのです。

 

だから今の自分では、いくら欲しくても何も得られはしないと思い込んでしまったのです。

また汗水流して手にしたものにこそ価値があると、ずっと信じて来たのです。

 

それはある意味で真実かもしれませんが、全て価値あるものは簡単に手にできないという誤った考えを抱くようになりました。

このことに気づけましたなら前提条件をいっさい付けずに、ただ望むだけです。

 

 

思いが実現する

 

人生には失敗は付きものだとよく言われており、私もそう思っておりました。

しかし、よく考えてみますと、必ずしも失敗する必要はないことに気づいていなければなりません。

 

もし、どこかで失敗しました場合には、それを周り状況や人のせいにしてはならないです。

成功しなかったということは自分の選択の間違いに気づかせてくれますサインに過ぎず、それだけのことなのです。

 

ですから、うまく行かなかった自分はダメな人間なのだと思う必要は全くなかったのです。

そもそも失敗しなくても目的は果たせるのですから、失敗は付きものという考えこそ改めなければなりません。

 

また、回り道もしたくなければやめればいいですし、やりたければやればいいだけの話です。

どちらを選びましても、いずれ目的地へたどり着くという点においては大差がないのです。

 

一刻も早く着きたければ、いっさい脇目もふらずに進んで行けばいいですし、寄り道をして遊びたければそれもOKなのです。

 

 

無知に気づく

 

自分がどれほど無知な状態でありますかに、普段は気づいていないケースが多いように思います。

致命的なのは人間そのものについてほとんど何も知らないという、その自覚がないことです。

自分自身のことでさえも、よくわかっていません。

 

ですから何のために生まれてきたのかを知らず、ただ食べるために生きているのが現状です。

ときどきは人生について考えてみますが、限られた思考力と知識の中では納得の行くような結果は得られないのです。

 

そうした中で、自分が霊的に無知でありましたのに気づけましたのは、何と幸運でありましょうか。

霊的真理に目覚めて霊的に成長して行きますにつれて視野は広がり、必要な知識も得られるようになるのです。

 

こうして生かされていますこと自体が常に見守られ、愛されています証拠と言えます。

人間の成長というものに限界がありませんので、どこまでも、より高い境地へと行けるのです。

 

 

ポジティブな態度

 

どのようにしましたら、ポジティブな態度を常にとり続けられるでありましょうか。

揺るぎない信頼が、そこにはあるように思われます。何に対しての信頼でありましょうか。

 

霊的な存在としましては、一身に受けます愛の大元であります大霊への絶大なる信頼と感謝が上げられます。

いつも自分に降り注がれております、愛のシャワーに気づいていなければなりません。

 

また、大霊の限りない愛に値します自分自身への全幅の信頼があります。

みなぎる信頼と感謝に裏打ちされた、自信あふれるところから楽観的な態度が生まれるのではないかと思います。

このポジティブな態度から、更に一層信頼の度合いは増して行くのです。

 

 

異質性の受け入れ

 

霊界では意識状態が同じレベルの人たちとグループをなし、心は一つだと言います。

それでいて個別性は失われていないと言われておりますが、そこがよく理解できないところです。

 

もともと波長の合う人たち同士ですからお互いの繋がりも強く意識できますし、一つになれるのもそんなに難しくはないように思われます。

ある意味では自他の区別もないわけですので、どの人も自分の一部であって他人とは思えない心境にあるでしょう。

まさに友愛の情が自ずと湧き出て来ることと思います。

 

問題は波長の異なる人たちと、どうやって心を通い合って、一つの心境になれるかです。

自己との個性の違いを意識し過ぎて、その異質性から相手を他者として認識する傾向があり、どうしても一つとは思えない状況に映るのです。

それをどのようにして克服していくのか、それを学べる場にいるわけです。

 

 

意識して過ごす

 

先日、一人で友愛の精神でもって周りの人たちを念頭におきつつ、その人たちにお役に立つには自分は何ができるだろうかと思い巡らせておりました。

その課程で、二度も役立つチャンスを逃してしまったことに気がつきまして、無念の心境でありました。

 

この友愛の念こそが、利己主義的な傾向を改める上での心強い味方になってくれると思いました。

これを養って行きますには、どうすればいいのでしょうか。

霊界の上層界の人たちから学ぶべきことも多々あるように思います。もっと霊界について詳しく知る必要があります。

 

飛びきりの友愛で全身を満たすというのは難しいとしましても、絶えず意識して過ごすように心がけています。

そして、どうしたら役に立てられるだろうかと問うことも忘れてはなりません。

 

 

友愛の精神

 

F・C・スカルソープ著「私の霊界紀行」によりますと霊界の上層界では、そこの住民は自然に友愛の念を発散していると言います。

この友愛の精神がいかに足りないかを自覚していないことが、人に対してあんな軽はずみな言動を許していたのでした。

 

自分がこんなにも冷淡で、無慈悲であったのかと驚くのでした。

人を批判して嫌みを言うような態度は、二度とさせない決意で改心しなければならないと思うのです。

もうこれ以上、悔恨の思いを重ねたくありません。

 

もしかしまして、以前にも似たような過ちをやっていて、そのときも大いに反省したという記憶がよぎって参りました。

それを考慮しますと、根が相当深いのを思い知ります。

 

好ましくない態度を取り除きますには、それに取って代わる新しい態度を養って、それを身につける必要があります。

そこで、友愛あふれる自己を引き出して、常にそうでありますように努め監視して行くことから始めます。