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人類の行く末

 

最大の関心事に持って行きますテーマは見つかりましたが、これから理解すべき事柄は膨大でありまして、残りの生涯を掛けましても足りないことだけは確かです。

ですから、中でも何を特に深めて行きますのか、絞り込む必要があります。

 

いずれはそのような選択を行いますが、まず全体構造をつかみますのと、各概要を知らなければなりません。

入門編としましては、長年研究を続けて来られて啓蒙活動を地道にやっておられる方がいました。

その方の書籍を通して、「トランス・ヒマラヤ密教」について学び始めました。

 

神尾学著「秘境から科学へ」と「智のフロンティア」です。いま新たに読み進めますのが、同著「人間理解の基礎としての神智学」です。

一度「秘境から科学へ」を通読いたしましたところ、わからないながらも初めて触れます内容が多く、まさに驚きと興奮の連続でありました。

宇宙の創世や人類の出現には、確固とした目的と計画があったことを知らされまして、そうなのかと深く安堵いたしました。

 

また、大計画を果たすに当たりましては、その責任を担う存在たちや、着実に遂行して行けますように見守り、ときに力を行使して来た存在たちが、有史以前からいましたのには驚嘆しました。

こうした背景にありまして地球と人類の行く末にも、何か希望が持てますような気がいたします。

 

 

ただ在るだけ

 

いったい自分とは何なのかと思いました。

もちろん自分は、自分でしかないのでありますが、今まで気がつかなかった体験をしましたので、それを紹介させてください。

仕事の合間で休憩していましたときに、ふと自分の内側を、愛で満たしてみようと思い、そうしましたところ、続けられそうな気がいたしましたので、しばらく、そのままでいました。

 

すると、そこでは思考がいっさい働かないのに気づきました。

短いあいだではありましたが、この「愛の状態」としか言いようのない在り方では、時間が過ぎていく気配もまったくありませんでした。

これは何なのだろうかと考え出しました途端に、何者でもない状態は消え去りまして、元に戻っておりました。

 

そして、意識をどちらに集中させるかによりまして、通常の思考の世界と愛だけの状態とを、交互に行き来しますのも可能であることを知りました。

愛と呼ばれますものに意識を向けますと、いまの自分という感覚もなく、ただ「在る」だけになるのです。

おそらくは、これが自分の本質にもっとも近いものであると思われます。

 

ですから、「愛で一日を満たしなさい」とよく言われているのでしょう。

その状態になりますと、何の考えも浮かばず、何かを感じることもありませんが、それでいて、すべてがそこにありますのがわかるのです。

 

 

観察者の視点

 

なぜ自分の思考や行動などを観察することが重要なのでしょうか。

大きな問題としまして、よほど注意していませんと、自分の思考や行動などを、自分そのものと取り違えてしまうことです。

 

そして、それらを生み出しています、主体の自分自身のことをすっかり忘れてしまうからです。

ちょうど自分の肉体が、自分自身であると思い込んでしまうのと、よく似ています。

 

それがどうしていけないのでしょうか。それは、自分の考えや行いなど、そのものに執着してしまうからです。

執着しますと、それを失ったり傷つけられたりすることへの恐れが生まれて来るのです。

それで必死にそれを守ろうとしまして、異常なまでに敵がい心を燃やしてしまうものです。

 

ときには怒りにかられたり、葛藤に巻き込まれたりするのです。

自分の意見やアイデア、手柄などを簡単には手放せなくなって、頑なになってしまうものです。

争いのほとんどは、こうしたことが大きな原因となっているように思います。

 

それに対して、観察する目を養っていきますと、執着する理由がありませんので、はるかに容易に考えを変えることができます。行動を改めていくこともたやすいのです。

いつでも当事者の目線から離れて、第三者の目で物事をとらえられますので、的確な判断を下せるからです。

それに、観察者の視点をもっていますと、自分自身への道を踏み外すことが少なくなって、迷わずに進んで行けます。

 

 

当たり前のこと

 

ある女性から「一日だけ、はさみを貸してください」と言われて、手持ちのはさみを貸しました。

一日ぐらいなら、それがなくても別にどうってことはなかったのですが、二、三日たってもはさみが返ってきません。

さすがに不便を感じることがあり、貸した人に返してもらわなくてはと思っていました。

 

やっと、その人に聞く機会がありましたので「はさみは、どうしましたか?」とたずねたところ、

「忘れていました。返そうと思っていたのですが…」という答えでした。

これを聞いて、その人に対してどんな印象を私が持ったのかは、想像がつくと思います。

 

この人は、自分の言ったことでさえも、守れないのだ。借りたものは返すのが当たり前、と思っているだけで、なかなか実行しない人なのだ。

すぐ返さなくても、貸した人は別段、困ることもないだろう、などと自分勝手なことを考えている人だ…。

 

ちょっとしたことをきちんと守る習慣ができていない人は、いくら着飾ってみても、人から好印象を持たれることはまずないでしょう。

本人がそのことに、いち早く気づいて、心を改めていけば、何の問題もないことです。

その女性は、はさみをすぐ返しに来たので、相手から言われる前に、自分から返すことを心がけるように、と伝えました。

 

ちょっとした約束ごとなのに、人はどうして守れなくなるのでしょうか。

おそらくそれは、子どもの頃には褒めてもらえたのに、大人になってからは、ちょっとした約束ごとをしっかり守り通してきたとしても、それは当たり前のことなので、高く評価してくれる人や感謝してくれる人がいなくなったからではないでしょうか。

もしそうなら、誰も褒めてくれなくても大丈夫です。

 

この次から自分が、当たり前のことを当たり前にやれたときは、自分で自分を、うんと褒めて上げればいいのです。

それじゃー、さびしいですか。

でも、当たり前のことを、当たり前にやることこそ、ほんとうは一番むずかしいことを、ほとんの人は知らないのですから、

このことの方が、よほど悲しいのではないでしょうか。

 

 

自分に帰る

 

ヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」は、「自分に帰れ」ということを伝えたかったのだと思いますが、なぜ自分に帰る必要があるのか、考えてみたいと思います。

 

「デミアン」が書かれた年代では、第一次世界大戦が起こっています。

戦争というものは、いままで生きてきた世界が崩壊したようなショックを人々に与えるのではないでしょうか。

 

著者は、基盤にしていた現実の世界が目の前で崩れ去り、その世界をより所にしていた自分とは、いったい何だったのかという内面の叫びで、何か大きな間違いを自分がして来たことに、はじめて気づかされたのではないかと思うのです。

そして長い神経症とその治癒の解明をへて、人間の本質へとつながる自己探求の道に、活路を見出すことになります。

 

この本で、もうひとつ感銘をうけたのは、主人公ジンクレールにさまざまな指南を与えつづけたデミアンという人物は、実はジンクレール自身であったということです。

自己を導いてくれるのは、自己自身しかいない、という最後のメッセージはとくに印象深いものでした。

 

他にも教えられることが、この本にはたくさんありますが、ここまでで学んだことをまとめてみました。

人間として生まれてきたのは、人生という航海をとおして自分自身に、少しでも近づけるように努力するためであり、人間が人間に完全になることが最終的な目標であるということです。

 

自分が帰るべきところは、自分自身にしかないことを心にきざんで、百パーセント自分自身になることをいつも意識して、これからの半生を生きていくことが大切だということです。

 

 

平穏な一日

 

平穏な一日の有難みを感じます。

とんだ災難とか、不慮の出来事などもなく、一日が平穏に過ぎていくお陰で、自分のやりたいことがやれるのですから。

 

今朝は目覚ましのセットを忘れたので、いつもより30分遅れて目を覚ましました。たった30分遅れただけで済みました。

また今回の仕込み量はいつもより多かったのですが、通常より1時間半の遅れで焼き終わりました。

考えてみれば電気や水道が止まったり機器の故障とか、何かトラブルが発生していれば、作業は中断していたかもしれないのです。

 

だから、一日が平穏に過ぎて行くということは、どんなにラッキーなことなのか、これほど有難いことはないといえるのです。

まだ一日が終わったわけではありませんので、この後も何事もなく過ぎて行ってくれるだろうと期待しながら書いています。

 

当たり前に過ごしていることを、改めて見つめ直し考えてみることは、あっという間に過ぎ去って行く時間の流れをくい止めることにもつながるのです。

当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなかったことに気づくことで、見過ごしていた貴重な時を取り戻したいのです。

平穏な日々とは、どんな日であるのか、両目をしっかり見開いて、些細なことも見逃さずに綴って行ければと思います。

 

欲望を減らす

 

例えば、車を運転中は、次の信号は青になってくれとか、青のままでいてくれなどと、思っている自分がいました。

またあるときは、前の車はもっと早く走るべきなんだとか、あの車は自分が通るまで待っているべきだとか、自分勝手に思っているのです。

 

これらはすべて、ほんの些細な欲望なのかもしれませんが、小さいからこそ質が悪いことに気がつき始めました。

心の隅には、こうした些細な欲望がひしめきあって、そのおしゃべりを絶えず聞かされているのです。

主人であるはずの自分は、いつもそうした欲望に突き動かされ、無意識にそれに従っているのです。

 

欲望それ自体は別に悪いわけでなく、来ては去って行くだけのものに過ぎず、それに執着しなければいずれ消えてなくなります。

 

そのことに気づいてから運転中は、自分勝手な願望は手放して、信号が青でおれば進むし、赤や黄色であれば止まることにしました。

また人の運転についても、とやかく言うことをやめ、目の前で展開していくままを受け入れて運転するように心がけています。

 

すべてをなくそうとするのではなく、気づいたひとつひとつの欲望から手放していく。その第一歩を踏み出したばかりです。

欲望に走ることをやめて、個人的な意志を手放していく。これがこれからの課題です。

 

 

自己成長が最大の関心事

自己成長をめざすことと人の役立つことをやって行くと
いうことを動画では語りました。

それで具体的に、どういうことを今後やって行くのかと
いうことです。

世界情勢や日本の経済のことを知ることも大切ですが、
自分にできることとしては、
日常のなかでの気づきを掘りさげて行くことです。

この世界を動かしている原理原則について学ぶことも
大事なことだと思います。

例えば、原因結果の法則や引寄せの法則などですが、
これらについても理解を深める必要を感じています。

結局は、日頃の小さな積み重ねを実践するだけです。

今朝の朝食です。
地元産の野菜を使ったサラダとスープ、自家製の食パンでした。
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