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信頼する人生

 

もっと意識してまわりに信頼を寄せてもいいのではないかと思っています。

こんなことまで頼んではいけないなどと、いつも遠慮し心配しすぎておりました。

 

人生が与えてくれます機会を100パーセント信頼して、身を委ねる気持ちを大きく持ちますのが大切なのです。

どうあって欲しいのかを、もっとはっきりとした上で、それを注文すればよいのです。

 

何が望みなのかを明確に宣言しますのを、これから実践して行けばいいのです。

みんなの幸せを願い、奉仕しますことを意図します。

どうすれば喜んでもらえるか、それについていつも思考をめぐらし、出てきたアイデアはすぐ形に表して行きますのを意図します。

 

このブログにおきましては、新たな気づきや発見しました内容などをどしどし書き込んでいけますように望みます。

驚きと感動を与えますような作品が、次々と生まれますのを望みます。

潜在的な能力がいくつも開花しまして、この人生において思う存分に活用できますのを意図します。

 

世界からあらゆる不幸な出来事が徐々になくなり、分かち合いと調和を重視します気運が急速に広がって行きます。

地球上のすべてにとって、考えられないほど素晴らしい時代がもうすぐ訪れます。

 

 

自分と取り組む

 

抗しがたい宿命的な要素を数多く意識の面で、あるいは細胞レベルにおいて背負っていますのは重々承知しております。

にもかかわらず、この小さき自分としましては、内側から発せられます何らかの意図をできるだけ明確にとらえまして、

それを日常の心構えとして持ち続けられましたら、いまとはまた違った生活が展開して行きますような気がするのです

 

いかにして内なる声を聞き取り、その通りに実行しますのかが重要になって来ます。

その声は、よほどのことがない限り向こうからやって来ることはなく、こちらから投げかけた内容に対して、返答に相当しますものが返ってくるだけなのです。

 

いま抱えています問いは、みんなの幸せを考え、全体の幸福を祈願し続けますには、どのようであればいいのかです。

そして最終的には、ほんとうの自分と常時つながるという意図があります。

なぜ、全体の幸福を求めるのでしょうか。それが真の自分の願いでありまして、いまの世界はみんなが幸福ではないからです。

 

それでは、自分はどうありましたらいいのでしょうか。みんなの幸せだけを願い、無私無欲で、いま出来ます事柄を全身全霊でやりますのに尽きるようなのです。

①望みだけを描き続け、②私利私欲を捨てて、③やるべきことに集中いたすことです。

 

 

譲れない願望

 

普段から、どうあって欲しいのかをもっと鮮明に描きまして、持ち続けていますことがとても大事ではないかと思います。

何も持っていませんと突然、望んでいない状況に出合いましたとき、適切な対応がとっさに出来ないからです。

 

どんな人にも、こうであって欲しいと言う願いが、必ずやあるに違いないのです。

ただ、それを心の奥深くにしまい込んでいますので、意識しないで何も望みがないかのように毎日を過ごしています。

 

なぜ自分の願いを奥に引っ込めてしまっているのでしょうか。

ひとつは小さい頃、人に言いましてバカにされた経験がありましたからでしょう。

人から自分の願い事を酷評されて育ちましたので、二度と口にするまいと決めてしまったのではないでしょうか。

 

もうひとつは、社会に出ましてから自分の無力さをさんざん思い知らされ、痛手をこうむったからかもしれません。

容易に自信が持てない表れとしまして、願いをいだいたり夢を描いたりしなくなって来ましたように思います。

 

しかし実は、自分の持って生まれた本領を発揮しますのは、一度打ちのめされました後なのです。

ご破算にされて否定されましてもなお、これはというものが浮かび上がってまいります。

 

本心からにじみ出ました願いは、そうやすやすと葬られますことはあり得ないのです。

自分に嘘をつかない限りは、ある段階から立ち直って行けるものです。

これだけはどうしても譲れない、そういう願望を自分の中でもっと大きく取り上げて、養って行きます必要があると思うのです。

 

 

思いが現実になる

 

朝、荷物を配達し終えました帰り道、左折しようと曲がり始めましたとき、向こうから来ました車と、もう少しでぶつかるところをストップしました。

相手の運転手は怖い顔をして文句を言っていました。

それからバックし出しましたので、その横を通って進みましたが、なおも怒りをあらわにして怒鳴っている様子でした。

 

出会い頭での出来事でしたので、どちらが悪いとかは決められませんのに、どうしてあの人はあんなにも腹を立てていたのでしょうか。

たまっていました欲求不満を爆発させましたのかもしれません。

 

よく考えてみますと、自分にも身に覚えがありますので、相手の言動をとやかく言う立場にはありません。

でも、あの人はなぜあんなに怒っていたのだろうかと不思議に思ったことが、今までになかったでしょうか。

 

ムシャクシャした気持ちを持っていますと、それを逆なでしますような事態に遭遇するものであります。

また、何気なく思っていますことが、たちどころに現実となりますケースは意外と多いのではないでしょうか。

 

たとえば、目の前の信号が赤になるかもしれないと思って進みますと、その通りになってストップしましたのは一度や二度ではありません。

起こってほしいことよりも、起こってほしくない状況を考えてしまうのが常でありまして、そこに問題がありそうです。

 

起こってほしいことだけを思うように心がけておりますと、たいていはその通りになりますから面白いです。

 

 

自分の可能性

 

最大の関心事は何でありましょうか。寝ていましても覚めていましても、そのことだけを考えている、興味津々なものは何でありましょうか。

いまの自分にはないと申せます。より近いものでしたら、どうでしょうか。

このブログ更新を続けていきますことが、あるいはそれにあてはまりそうです。

 

しかし、書いていく内容につきましては書き始める前まで、特に考えておりませんし、ごくたまにテーマが浮かんで来るぐらいであります。

ただ努めていますのは、朝から何度も、何かを必ず書き上げるようにと自分に言い聞かせております。

このように見ていきますと、ブログを続けるのが現在の最大の関心事とは申せないでしょう。

 

書く内容では、どうでしょうか、自分にとりまして注目に値するような主題か何かは、ありますか。

思い巡らしましたが、これと言って見当たらないのです。いま差し迫った状況にはいないと言い変えましてもいいと思います。

ある意味におきましては、これはこれで喜ぶべきなのかも知れません。でも、もしかしましたら大事なことを、見落としている場合も考えられます。

 

確かに、何かとても大切な教えを見逃しているような気がします。そのときに見合いました課題が提示されているはずですから。

それを真っ先に取り上げまして、可能な限り掘り下げていかなければならない、そのような主題があるはずです。

また、そのようであってほしいと望みます。自分であるからこそ行えます役柄に、応じたいだけなのですが。

一晩、考えまして続きを記すことにいたします。

 

 

望むことに集中

 

これまでで、なぜ心の休まるときがないのだろうかと、疑問に思ったことはないでしょうか。

一日のあいだでも、落ち着いているときもあれば、何かにせき立てられていたり、ちょっとしたことが思い通りにならないので、イライラするときがあったりします。

 

何をするにせよ、また何があろうとも、出来れば心はつねに平静でいられるに越したことはありません。

充実した毎日を過ごすうえで、いつも気にかけておくべきことが、何かきっとあるはずです。

 

そのひとつとして、いわゆる放心状態のときをなくすことが上げられます。

何かに集中しているときや、目的をもって何かをしているときというのは、心が定まっているので特に問題はないといえます。

気を付けなければいけないのは、何となく過ごしているときや、感情的になっているときです。

何となくやっていると、気がゆるんで心にスキができます。そこに好ましくない想念が忍び込んで来たり、魔が差すこともあるので注意しなければなりません。

 

感情的になっているときは、何をやってもうまく行かないはずですので、そんなときはいったん手を休めることです。感情が通り過ぎるまで、待つ必要があります。

イライラしたりする原因となるような、しこりを心に残さないためです。気持ちが落ち着いて来たら、そこで再開すれば問題はないでしょう。

 

ここまででわかったことは、ものごとに取り組む際には、その目的なり何らかの意図を持ってやり始めることです。そうすれば、望む結果も生まれやすいということです。

また一日を始めるにあたっては、今日をどんな日にしたいかを考えてみることです。そして、声に出して言ってみることです。その後で、忘れてしまってもいいのです。

 

自分はどんな日にしたいのかを考え、それを声にして言うことが大事なのです。望むことに集中する時間をもつことなのです。少なくとも望まないことを描くことはないはずです。

 

 

満たすもの

 

心は絶えず、見るものや聞くものなど、注意を向けるあらゆるもので満ち満ちています。

普段はそういうことに全く気付かず、過ごしていることにちょっと驚いてしまいます。

 

現実だと思っている、目の前に広がるこの世界は、実は自分が脳内で作り出した幻影に過ぎないことは前から知っていました。

それを考慮に入れると、心というスクリーンに五感で得た情報を映し出して、それを眺めているのが自分だと納得がいきます。

 

だから毎日、心をどういうもので満たし続けるかが大問題であり、その重要性にどれだけ気が付いているのかどうかです。

愛で一日を満たすという課題に取り組んでみた結果、以上のところまでを思いを巡らすことが出来ました。

 

何かに取り組む場合に、注意せず成り行き任せでいると、予期せぬ事態を招くことがあり、それに慌てて対処し、かえって悪化させてしまうことがよくあるものです。

どんな心がけで日々を過ごして行くのか、そうした自己管理を怠っていると心は隙だらけなので、悪夢のような状況を引き寄せないとも限らないのです。

 

自分が望むことや喜ばしいこと、嬉しいこと、楽しいこと、人に役立つことなど、いつもそういうものだけで心を満たしていれば、少なくとも好ましくないことは起こりにくくなるのは間違いありません。

 

 

 

自分の時間

 

人にはそれぞれ、その人の時間が流れている

高倉健主演の映画「あなたへ」で語られるメッセージです。

夫婦といえども、お互いをすべて知っているわけではない、だからこそ、迷いが生まれて当然だともいわれます。

 

人にはその人固有の時間が流れているので、他人のことで過度に思いわずらっていると、自分の時間というものをせき止めてしまうことになります。

そうすると、その人は魂の抜け殻のような生き方しかできなくなってしまいます。

 

人にはそれぞれ、自分の時間が流れている

このメッセージは、先立たれた夫への思いで時間が止まっていた洋子に、英二(高倉健)から贈られます。

それを受け取った洋子は、ようやく自分の時間を取り戻すのです。

英二と夫婦となった洋子は、亡くなる前に「さようなら」という言葉だけの遺言を手紙に書いて、英二にさきのメッセージを伝えるのでした。

 

自分の中で流れている時間を、どのように使っていくのか、それを考え、生きて行くことも非常に大切です。

何も考えずに過ごすことも出来るし、一分一秒を大事に使うことも出来ます。

 

一生で与えられる時間は有限です。自分が使える時間は、いつかはなくなり終わってしまう、そのことをつい忘れがちです。

せめて人に喜ばれることや、人の役に立つような何かのために、自分の時間を使い果たして、終えたいものです。