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観察に専念する

 

主に黙想を通しまして、自分を観察するようにしています。

当初は思考します自分と観察しています自分とを、同時に共存させますのがきわめて困難でありました。

ある考えに、はまりきってしまうか、あるいは観察の視点をもつときかの、どちらかでありました。

 

ごくたまにでありますが、想念をいだいていますところを、離れて見ている状態になれる瞬間がありました。

このまま時間をかけて行っていきますと、観察者の目で自分の思考や感情を追って行けそうに思います。

 

ここで注意しなければいけないことがひとつありました。観察する側に立った自分は、ただそのことだけに専念し続けます。

このとき、決して思考をコントロールしようとしてはならないのです。

あるとき誤ってそれをやりまして一瞬、頭がおかしくなって混乱してしまいました。もう二度とやるまいと思いました。

 

自分の心をただ見つめるだけに集中しておりますと、時間の経つのがとても速いように感じます。

そこで次からは、思考や感情をどれだけ詳細にわたって眺められるのか、そこに気をつけながら進めて行きましたら、もっと時間を有効に使えそうな気がいたします。

 

 

監督者の立場

 

自分を観察する大切さを、もう少し考えてみます。

いまこうして人間として生まれてきて現在がありますが、これは仮の姿であるのに気づいている人は、どれだけおられるでしょうか。

 

何度もお伝えしていますように、本来の自分自身という存在がおりまして、それは人間以上のものであることを理解しておかなければなりません。

見るものと見られるもの、あるいは創るものと創られるもの、との違いであります。

 

自分を観察者の視点に立って眺めますと、仮の姿であります自分との距離を置きやすくなります。

見方によりましては人生が、ある人間の役を演じます舞台であるような気がしてまいります。

 

日頃、上手に自分の役をこなして行きますのには、だれかに監督してもらう必要があります。

しかし、もともと自分が監督者でもありますのに、それを忘れて役者に没頭しきっていますのが現状なのです。

 

ですから、ときどきは役者を降りまして監督者に戻り、第三者の目で筋書きを追っていきます時間を持たなければならないのです。

自己をきちんと見つめるときをもつ重要性は、もっとほかにもありましょう。

 

今回は、いまの自分とは仮の姿であり、また自分は役者であると同時に監督者でもあるということを取り上げてみました。

定期的に自分の思考や行動などを観察するようにしますと、それらに気づかせてくれるのです。

 

 

自分を観察する

 

今すぐ取りかかれる問題として、黙想を生活の中でどのようにして定着させるかです。

時間的には夕方の30分を確保しています。

 

いま自分が行っている黙想をかんたんに紹介しますと、目をつむり座ったまま、身体を動かさずに心を静めていきます。

そして浮かんでくる考えや情景などをただ観察して行くだけです。

 

以前は30分以上、黙想しておりましたが、最近は15分がようやくという状況です。

時間が短くなったのは、始める前に終了時間を特に設定せず、ある程度できたら、そこで切り上げるようにしてからです。

黙想をうとましいと思っている自分の声に従い、それを許して来た結果でもありました。

 

30分間の黙想のときの効果は、それほど大きな変化はなかったように思います。

しかし、一時間以上の黙想を提唱されていますのに、30分ぐらいでは、成果が出ないというのは当然なのです。

ここまで考察して来まして、積み上げる重要性を思い起こすに至りました。

 

これまで黙想を行うことに関しては、途中でやめたくなってきてもやり通す、そんな意気込みを欠いておりました。

つぎからの黙想では、30分間は続けていきます。それを定着させてから、一時間に戻して行く予定です。

自分の思考や行動などを観察する重要性については、日をあらためて考えてみるつもりです。

 

 

望むことに集中

 

これまでで、なぜ心の休まるときがないのだろうかと、疑問に思ったことはないでしょうか。

一日のあいだでも、落ち着いているときもあれば、何かにせき立てられていたり、ちょっとしたことが思い通りにならないので、イライラするときがあったりします。

 

何をするにせよ、また何があろうとも、出来れば心はつねに平静でいられるに越したことはありません。

充実した毎日を過ごすうえで、いつも気にかけておくべきことが、何かきっとあるはずです。

 

そのひとつとして、いわゆる放心状態のときをなくすことが上げられます。

何かに集中しているときや、目的をもって何かをしているときというのは、心が定まっているので特に問題はないといえます。

気を付けなければいけないのは、何となく過ごしているときや、感情的になっているときです。

何となくやっていると、気がゆるんで心にスキができます。そこに好ましくない想念が忍び込んで来たり、魔が差すこともあるので注意しなければなりません。

 

感情的になっているときは、何をやってもうまく行かないはずですので、そんなときはいったん手を休めることです。感情が通り過ぎるまで、待つ必要があります。

イライラしたりする原因となるような、しこりを心に残さないためです。気持ちが落ち着いて来たら、そこで再開すれば問題はないでしょう。

 

ここまででわかったことは、ものごとに取り組む際には、その目的なり何らかの意図を持ってやり始めることです。そうすれば、望む結果も生まれやすいということです。

また一日を始めるにあたっては、今日をどんな日にしたいかを考えてみることです。そして、声に出して言ってみることです。その後で、忘れてしまってもいいのです。

 

自分はどんな日にしたいのかを考え、それを声にして言うことが大事なのです。望むことに集中する時間をもつことなのです。少なくとも望まないことを描くことはないはずです。

 

 

いまという時

 

少しでも人生を振り返ってみたことのある人が、そこで大きな価値を見つけ出すのは、決まって、

自分を前進させてくれたものであったり、新しい経験だったり、思い込みから自分を解放してくれたもの、などであったことです。

しかし、それらはすべて、その当時の自分からすれば、決して心地よいものではなく、むしろ辛い思いをさせるものばかりであったはずです。

 

こうした自分の殻から抜け出すきっかけとなった出来事は、いきなりやって来るものですが、それ以前にそれを招くような布石を、自分が打っていたことに気づく必要があります。

身に覚えがなくても、自分が脱皮を繰り返して行くために、その結果を生むような原因の種を、自分がその都度まいていたのです。

 

もし、いま困難なことにぶつかり、それを乗り越えようとしている最中なら、それは将来の飛躍に不可欠な体験をしているのかもしれないのです。

そう思うとより一層身を入れて、この場を切り抜けようとするものです。いい加減にすませたり、手を抜くことは出来なくなるものです。

 

だからといって、いまというときを未来を案じることに、奪われないよう注意しなくてはなりません。

いまでしか、やれないこと、それだけをやって行く。確実に積み上げていくには、それが基本のような気がします。

 

未来というものは、着々といま造られつつありますが、古い過去が見直され、新しい過去が造られるのもいまなのです。

そうした未来や過去が集まる、いまという大切な時に、

「自分はいったい何をやろうとしているのか?」

「いま何をやっているのか?」

こう問うことで、自分自身に連れて行ってくれる道の、真っただ中にいる自分に気づくのです。

 

 

自分の時間

 

人にはそれぞれ、その人の時間が流れている

高倉健主演の映画「あなたへ」で語られるメッセージです。

夫婦といえども、お互いをすべて知っているわけではない、だからこそ、迷いが生まれて当然だともいわれます。

 

人にはその人固有の時間が流れているので、他人のことで過度に思いわずらっていると、自分の時間というものをせき止めてしまうことになります。

そうすると、その人は魂の抜け殻のような生き方しかできなくなってしまいます。

 

人にはそれぞれ、自分の時間が流れている

このメッセージは、先立たれた夫への思いで時間が止まっていた洋子に、英二(高倉健)から贈られます。

それを受け取った洋子は、ようやく自分の時間を取り戻すのです。

英二と夫婦となった洋子は、亡くなる前に「さようなら」という言葉だけの遺言を手紙に書いて、英二にさきのメッセージを伝えるのでした。

 

自分の中で流れている時間を、どのように使っていくのか、それを考え、生きて行くことも非常に大切です。

何も考えずに過ごすことも出来るし、一分一秒を大事に使うことも出来ます。

 

一生で与えられる時間は有限です。自分が使える時間は、いつかはなくなり終わってしまう、そのことをつい忘れがちです。

せめて人に喜ばれることや、人の役に立つような何かのために、自分の時間を使い果たして、終えたいものです。

 

 

 

平穏な一日

 

平穏な一日の有難みを感じます。

とんだ災難とか、不慮の出来事などもなく、一日が平穏に過ぎていくお陰で、自分のやりたいことがやれるのですから。

 

今朝は目覚ましのセットを忘れたので、いつもより30分遅れて目を覚ましました。たった30分遅れただけで済みました。

また今回の仕込み量はいつもより多かったのですが、通常より1時間半の遅れで焼き終わりました。

考えてみれば電気や水道が止まったり機器の故障とか、何かトラブルが発生していれば、作業は中断していたかもしれないのです。

 

だから、一日が平穏に過ぎて行くということは、どんなにラッキーなことなのか、これほど有難いことはないといえるのです。

まだ一日が終わったわけではありませんので、この後も何事もなく過ぎて行ってくれるだろうと期待しながら書いています。

 

当たり前に過ごしていることを、改めて見つめ直し考えてみることは、あっという間に過ぎ去って行く時間の流れをくい止めることにもつながるのです。

当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなかったことに気づくことで、見過ごしていた貴重な時を取り戻したいのです。

平穏な日々とは、どんな日であるのか、両目をしっかり見開いて、些細なことも見逃さずに綴って行ければと思います。

 

休むことはサボることではない

 

休息を取るということはやり続ける以上に大切なことだということです。

息抜きを兼ねて違ったことをやったり何もせずに、空白期間を設けることで潜在意識が活発になることもあります。

 

休んだ後に、復帰するとまた新たな気持ちで取り組めるものです。そして新たな視点が加わり一層中身が充実したものに出来るのです。

一定期間、距離を置いてみることは、いろいろな意味でとても大事なことでした。

 

物事を継続して行く上で、時には休むことも必要不可欠だということであったのでした。